あっと驚いた田中知事の脱ダム宣言
執筆者:色平 哲郎【長野県南相木村診療所長】
田中康夫県知事が発表した「脱ダム」宣言には、少なからず驚いた。日本の川の上流部の山中には、必ずといっていいほどダムがある。ダムを造らないで治水をする、そんなことができるのだろうか。なぜ今まで、そうしてこなかったのか――。そんなことを考えていたら、二年前、ドイツでの「脱原発」宣言を思い出した。
1999年6月、前年秋の総選挙に勝利したドイツの連合政権は、「脱原発」で、国内の電力業界との合意に達した。原子力発電所を新たに増設せず、現在稼動している19基の原発の操業も段階的に停止させ、遅くとも2030年までにそのすべてを廃棄するという計画だ。
あっと驚く内容だった。
連合政権の内部事情と、チェルノブイリ事故後の「安全のためのコスト」の高さに悲鳴を上げていた電力業界が妥協した結果だとはいえ、そんなことが可能だろうか???
なぜなら、ドイツも日本と同様に、電力需要の三割を原発に頼っているからだ。日常となっているのことの30%をも「別なものに置き換える」というのはなかなか容易ではない。ドイツの「宣言」の行方を、今後とも注目したいと思っていた。
そこへ田中知事の「脱ダム」宣言だ。
こちらの行方も、県民として大いに気になる。原発を除けば、ダムほど、多数の人々を死亡させる巨大な潜在性を秘めた人工構造物はない、ということをご存じだろうか。
これまで世界に起こったダム災害のうち、戦争中を除き最悪のものは、1975年8月、中国河南省で発生した。原因となったのは、1950年代初頭、淮河上流に建設された「板橋」と「石漫灘」の二つのダムだ。
同年8月5日から7日にかけて河南省を襲った台風は、巨大なものだったという。7日夕方、上流の板橋ダムの排水ゲートが土砂で詰まって、水がダムの堤を越えた。下流の石漫灘ダムがあふれ出した奔流に襲われ崩壊した。石漫灘ダムを決壊させた水流は、下流にあるダムも「ドミノ倒し」に破壊。その数、実に62ダムにのぼった。
水は時速50キロで押し寄せた。量は日本最大の貯水量を誇る奥只見ダムと同じ、6億立方メートルだったという。水は数千平方キロもの広さの湖を形成し、8万5000人の命を奪った。8月13日になっても水は引かず、200万人が水の中に取り残されていた。照りつける夏の太陽の下、屋根の上など避難していた14万5000人が、飢えや赤痢などの伝染病で死亡した。
この出来事は、発生後20年間にわたり、中国政府に巧妙に伏せられてきた。しかし95年2月、米国の非政府組織(NGO)の手で世界に公表された。私はNGO関係者からこの話を聞き、すさまじい被害に戦慄を感じた。
NGOがこの事件を調べる契機になったのは、80年代後半の比較的開放的な時期に中国の水利資源専門家が公表したいくつかの論文だった。権力の目をかいくぐり残された記録は、ダムが引き起こした悲劇だけでなく、潜在的危険性をも暴いたわけだ。
ダムや原発の議論を聞いていると、わが国の専門家たちの多くは、たとえ建設予定地の地下に断層が発見されても「安全」と言い切ってしまい、異和感を感じる。今回の知事からの「宣言」については、一方通行型のリーダーシップを乗り越えて「大事なことだから、「県民投票」で決めよう!」との声が県内にまき起こっているようだ。
いずれにせよ、ダムは私たちの生活に極めて重要な影響をもたらす。今回の「宣言」を含めた是非は、田中知事や議会に任せず、いっそ「県民投票」で問うというのはどうだろう。
(「沈黙の川」築地書館133ページ以下、から援用)
originally from “The Three Gorges Dam in China:
Forced Resettlement, Suppression of Dissent and Labor Rights Concerns”
Human Rights Watch/ Asia, Vol.7, No.2, 1995, p.43.
■■■■「脱ダム」宣言■■■■ 長野県知事 田中康夫(2001年2月20日)
数百億円を投じて建設されるコンクリートのダムは、看過(かんか)し得ぬ負荷を地球環境へと与えてしまう。更には何れ(いずれ)造り替えねばならず、その間に夥(おびただ)しい分量の堆砂(たいさ)を、此又(これまた)数十億円を用いて処理する事態も生じる。
利水・治水等複数の効用を齎す(もたらす)とされる多目的ダム建設事業は、その主体が地元自治体であろうとも、半額を国が負担する。残り50%は県費。95%に関しては起債即ち借金が認められ、その償還時にも交付税措置で66%は国が面倒を見てくれる。詰(つ)まり、ダム建設費用全体の約80%が国庫負担。然(さ)れど、国からの手厚い金銭的補助が保証されているから、との安易な理由でダム建設を選択すべきではない。
縦(よ)しんば、河川改修費用がダム建設より多額になろうとしても、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい。長期的な視点に立てば、日本の背骨に位置し、数多(あまた)の水源を擁する長野県に於いては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない。
就任以来、幾つかのダム計画の詳細を詳(つまび)らかに知る中で、斯(か)くなる考えを抱くに至った。これは田中県政の基本理念である。「長野モデル」として確立し、全国に発信したい。
以上を前提に、下諏訪ダムに関しては、未だ着工段階になく、治水、利水共に、ダムに拠(よ)らなくても対応は可能であると考える。故に現行の下諏訪ダム計画を中止し、治水は堤防の嵩(かさ)上げや川底の浚渫(しゅんせつ)を組み合わせて対応する。利水の点は、県が岡谷市と協力し、河川や地下水に新たな水源が求められるかどうか、更には需給計画や水利権の見直しを含めてあらゆる可能性を調査したい。
県として用地買収を行うとしていた地権者に対しては、最大限の配慮をする必要があり、県独自に予定通り買収し、保全する方向で進めたい。今後は県議会を始めとして、地元自治体、住民に可及的(かきゅうてき)速やかに直接、今回の方針を伝える。治水の在り方に関する、全国的規模での広汎なる論議を望む。
色平さんにメールは E-mail : DZR06160@nifty.ne.jp