執筆者:文 彬【中国情報局】

●陳水扁総統誕生で再び動き出したリー

9月24日の早朝、台北の寰鼎ホテルで大統領プレゼンテーションルームを設置するフロアマネージャーとそのスタッフは一時慌てふためいた。昨晩からここに泊まっていたリー・クァンユーシンガポール上級相は準備された豪華な朝食メニューには目もくれず、いきなり焼餅(ショウピン)、油条(ユウチオ)、豆花(ドウファー)などという台北の屋台にしか出てこないような庶民的な料理を注文したのだ。フロアマネージャーはすぐさまコック長と連携をとり、市場で買い集めてきて貴賓の要望を叶えることが出来た。

リーはよほど台北のことが懐かしかったのだろう。かつて、自ら心身の保養地だと言っていたほど良く訪れていた台湾も、今回は7年振りの再訪だった。リーは蒋経国と腹を割って意見を言い合えるほどの深い間柄だったが、1992年に総統に当選した李登輝とは意見が合わなかった。リーの口の出し過ぎと李登輝の嫉妬心が原因だとの説もあるが、ただ単に性格的に馬が合わないのだという人もいる。それが日増しに悪化し、1994年以来二人は全く会うことがなくなり、リーも台湾島に行くことはなかった(今回も李登輝はリーのスケジュールに合わせるように期間中台北を離れ地方視察に出かけていた)。

もちろん、リーは台北の庶民料理を楽しむために来たのではない。三泊四日のスケジュールの中で彼は台湾政界の多くの要人と顔合わせした。陳水扁総統、唐飛行政院長、荘銘耀国家安全会議幹事長、邱義仁副幹事長、李遠哲中央研究院院長、蔡英文大陸委員会幹事長、連戦国民党主席、宋楚瑜親民党主席などが次々とリーとの会見をした。なかでも、陳水扁は2回もリーの宿泊先を訪ねている。1998年、陳水扁が台北市長の選挙で馬英九に敗れてから、シンガポールでリーの温かいもてなしを受けた恩に感謝するということもあるのだろうが、三軍を統率する台湾の総統として、2度もプライベートで訪台した外国人に会ったことはまさに異例中の異例である。

シンガポールを独立させ、31年間この国のトップを務めたリー・クァンユー上級相は、首相のバトンを後任のゴー氏にわたしてからも(1990年)、国際政治の舞台で精力的に活躍している。アメリカのレーガン、ブッシュ、クリントン、イギリスのサッチャー夫人、プレアをはじめ、西側の首脳はアジア問題に関して揃って彼の意見に耳を傾けてきた。とくにアジアではリーの人望が高く、各国の首脳にも幅広い人脈を持っている。宋楚瑜親民党主席がリーのことを「世界的な指導者」と称えたのもただのお世辞ではない。

そして、大陸と台湾のためにもリーは大きな役割を果たしてきた。1994年にシンガポールで行なわれた両岸関係の最高実務者会談(新しい両岸関係のきっかけとなった「汪・辜会談」)もリーの仲立ちで実現したものである。李登輝との関係悪化で暫くは口を出さなかったが、彼は陳水扁が総統に当選してから再び動き出した。

今年の6月、リーは北京で行なわれた「21世紀フォーラム」に出席し、「中国は経済の発展に注目すべきだ。国家統一の目標が脅かされないかぎり、台湾とは辛抱強く付き合うべきだ」と力説し、直接江沢民らの指導者に会って自制を呼びかけたりして、まず大陸側で精力的な行動を見せてきた。そして、今度の台湾訪問が実現したのだ。

もっとも、シンガポール上級相であるリーの訪台は公式訪問ではなく、また、台湾要人との会見も報道陣の取材をいっさいシャットアウトした形で、まさに密室の会談だった。

●台湾に依存してきたシンガポール国防

多くの人には意外なことかも知れないが、一見国土の小さなシンガポールは、東南アジア諸国の中でも有数の軍事大国だ。今年8月9日、建国35周年記念式典で陸海空の最新兵器を披露した盛大なパレートは、外国のマスコミからも大きく注目されていた。

1965年、シンガポールがマレーシアから独立したときには、軍隊は1,000人程度、戦闘機一機、老朽化した軍艦数隻といった悲惨な防衛戦力だったが、35年間の進化には目を見張るものばかりだった。5万人の正規軍がすべて機械化装備を整え、機動性も優れている。いざとなれば、全国からすぐにも30万人の予備軍を集めることができる。空軍と海軍も最先端の兵器を備えており、侵略者を国境の外に食い止める能力が十分持ち合わせている。そして、シンガポールの国防工業局は世界の兵器メーカーベストテンにも入っており、もっとも性能の優れたキャノン砲もここで造り出されている。

このシンガポールの国防建設に、台湾は昔から大きく関わってきた。建国当初、シンガポールはイスラエルの軍事専門家に頼っていた時期もあったが、70年代に入ってから、全面的に台湾にシフトするようになった。

シンガポールの初代海軍総長邱永安はシンガポール生まれ育ちの華人だったが、第二次大戦中、中華民国の国軍に入隊し抗日戦争、国共内線に参加した。そして、国軍が台湾に敗退したあとも20年以上台湾の軍に留まったが、1974年、シンガポール側の要請で邱はシンガポール国籍に戻り、昨年亡くなるまでシンガポール海軍の建設に多くの軌跡を残した。シンガポールには、邱のように台湾から来た元台湾の軍人が数多くいた。なかには高級将校となって、今もシンガポール軍で活躍している人も少なくない。

この「星の光」と名付けられた秘密の軍事協力プロジェクトは80年代になってマスコミに暴かれてからも、シンガポールが中国大陸と国交関係を結んだあとも中断することはなかったし、いまも台湾にはシンガポール軍の訓練基地があると報道されている。ただ、中国や周辺諸国の反撥を懸念しているのか、共同訓練はいつも極秘のうちに行なわれている。だが、意外なことに中国はこれを容認している。1990年、李鵬前首相がシンガポールを訪問したとき、「星の光」は客観的に必要だとむしろ理解を示していた。

一方、シンガポールは中台問題で時々意志表示に苦慮しながらも海峡をはさんで台湾と対峙している大陸との関係がここ20数年間さざなみを立てたこともなく順調に進んでいる(建国当初、東南アジアにおける共産主義者追放運動によって中国・シンガポール関係が悪化していた時期はあった)。中国の近代化建設にシンガポールの経験を多く取り入れた。両国間貿易も順調だし、国際政治の舞台でも対立したことはなかった。

このように、中台の何れとも良好な関係が保ててきたのはシンガポールのスーパー活動家であるリー・クァンユーの役割が非常に大きかった。彼は、台湾では蒋経国元総統、大陸では鄧小平元最高実力者をはじめ、幅広い人脈を持っているし、同じ華人ということもあり、人望が厚く敵もいないため、海峡両側に対して強い影響力がある。口の出し過ぎだという批判の声も聞こえるものの、おおむねリーの発言と活動は好意的に受け止められてきた。

●海の両側に深い人脈を持つ第三者的立場

このように、人望の高いリー・クァンユーだからこそ大陸と台湾の間を往来し、率直に両岸の指導者に進言することができたわけだが、さすがに今回の台湾訪問では、批判の声も聞こえてきた。前総統李登輝はリーとの対面を地方視察の理由で避けたばかりでなく、「リーの台湾訪問は両岸関係に役に立つか」という記者の質問にも「役に立たない」ときっぱりと言いきった。さらに民進党党内も冷ややかな雰囲気だった。シンガポールで民主主義を抑圧していたくせに、台湾に来て大きな口を叩くなと言わんばかりの人も少なくなかった。また、台湾のマスコミもリー・クァンユー訪台に対する政府と陳水扁総統の対応には大いに不満をぶちまけた。

これらの不満の最も大きな原因は、極少数の側近以外、外務大臣をふくむ多くの政府要人とマスコミは蚊帳の外に置かれてしまったことから来たものだった。リーの訪台が公式訪問ではないということを差し引いても、陳水扁以下政府と与党の指導者との会談が密室のなかで行なわれ、マスコミをシャットアウトしたことは情報のディスクロージャーを標榜する陳水扁政権に人々は憤慨を覚えたからである。総統以下政府高官が相次いでリーの宿泊先へ行って門を叩いたことは主権国家である台湾の体面を損なう行為だとの感情的な批判も多かった。台湾独立を主張する建国党などは、デモ隊をホテル前に送り「内政干渉反対」のシュプレヒコールを繰り返していた。

マスコミの最大の関心事はリー・クァンユーの訪台の目的と詳細内容である。実際、リー・クァンユーが今年の6月に北京で開かれた「21世紀フォーラム」に出席して以来、台湾のメディアではリーはかつてのように、再び両岸関係の仲介役に名乗り出るのではないかとの憶測が飛び交っていた。そして、リーが台湾に来る場合、北京から何かのメッセージを持ってくるに違いないと断定していた。昔から両岸関係は緊張感がみなぎる時期でも水面下の接触が途絶えることはなかったし、いまやリーがその触媒的な役割にもっとも相応しい人物だと見られているからである。

一方、陳水扁政権にとってもリーに対する期待は大きいのかも知れない。米国会で中国に対する恒久正常貿易関係法案(PNTR)が可決され、世界貿易機構(WTO)への加入も現実味を帯びてきた今、アメリカをはじめ、国際政治の動きは北京の方へ傾斜しつつある。また、両岸関係が凍結したままで会話のない状態が続くと台湾の経済にも大きな圧迫を強いられることになるため、陳水扁政権としては何とかして現況打開の糸口を見つけたいという焦りがあるようにも見られている。こういう視点から分析してみれば陳水扁はリーを通じて北京との対話のタイミングや形式を探っているではないかと憶測されている。

もちろん、リーはマスコミの仲介人説を否定した。台湾に来る前もリーは「李登輝時代、何か役に立つことをしようとしたら、酷い目にあった。もう仲介役は辞める。ただ、第3者として台湾へ行ってアドバイスしたい」と記者に漏らしたという。また、台北も北京もリーに言伝を頼んだことを否定した(銭副総理は親民党訪中団の質問に答える形で「両岸関係には密使がいない。いても貴方達に知られることはない」と、間接的にリーの仲介役説を否定した)。具体的な言伝はないかも知れないが、両岸を往来し中台関係の話題を頻繁に取り上げること自体、結果的にはそのような役割を果たしていることになるのである。そして、このような役割はリー・クァンユーにだけ許されているような気もした。

10月9日、リー・クァンユーの自叙伝の出版祝賀パーティが北京で盛大に行なわれた。9月16日にシンガポールで出版されてから、アメリカ、台湾、さらには日本までもが相次いで書店のもっとも目立つ書架に並べた。自叙伝のなかでは、戦乱から独立へ、そして世界有数の経済センターになるまでのシンガポールの歴史と、波乱に富んだリーの生涯が書かれ、多くの関心を呼び寄せている。また、そのなかでは中台関係に関する今まで知られていなかった秘話等も多く述べられている。このように、両岸の政治について記述が多い本にも関わらず、中台で同時期に出版を果たせたことは非常にめずらしいことである。

何か、中国の長い歴史の中で形成されたワンパターンのような気がしてならない。対立した二つの勢力が争いを繰り返し、膠着状態になって出口も見付からないところへ、第三者の立場にたつ人望の厚い政略家が出て取りなおして緊張が解消されるというパターンである。リー・クァンユーは政治家としての行動力、そしてもっとも成功した華人としての魅力を以って、また、海の両側に持つ深い人脈を活用して今後も両岸関係のなかで大いに活躍する時期が来るだろうと思われる。(ぶん・ひん)

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