執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

外国人労働者問題は、冷静な議論が必要
ジャーナリスト 斎藤 孝光(ロンドン在住) mhh01515@nifty.ne.jp

外国人の単純労働者の受け入れについては、伴さんが御指摘のように、少子高齢化に伴う労働力不足に対応して進めるべきと言う論調が盛んになっています。

私はこの議論の立て方には問題が多いと考えています。それは、まず第一に、自国の経済成長のために他国の単純労働力を利用しようという考えにある種の堕落を感じるからであり、第二に、仮にこの狙いで労働力を受け入れても、目的通りの結果をもたらさないと考えるからです。以下に理由を述べます。議論は単純労働者とそうでない労働者とではまったく違ってきます。

●支えられるのか、支えるのか?

確かに、二〇〇五年をピークに労働力人口は減少に向かうとされています。このため、経済全体の活力がなくなり、医療制度や年金といった社会保障制度がこのままでは機能しなくなるとの懸念も強まっています。そこで、労働力の穴埋めに外国人を受け入れればよいと言うのは、わかりやすい考えだと思います。

しかし、外国人労働者だって日本の社会制度の恩恵を受けなければならないのは自明の理です。従って、理屈でいえば、外国人労働者が納税などを通じて、ネットで社会保障制度などの貢献者になれる場合に限って、受け入れる理由ができることになります。この点、単純労働者は低賃金に甘んじ、納税などを通じた社会貢献も低くなると予想され、貢献者というよりは、高水準にある日本の社会保障制度からの受益者になるほうが可能性としては高いのではないでしょうか。

支えてくれると思っていた人が、実際には支えられているとわかった時に、日本人はどう反応するでしょうか。

これは非常に冷たい言い方のようですが、もともと、日本の閉そく状況に風穴を開けるために、海外に雇用を求めるという発想自体が安易なエゴイズムといえないでしょうか。特に、単純労働を雇う側のメリットは低賃金にあるのは明白です。私は、それをすべて否定しようとは思いませんが、外国人労働者の受け入れに経済再生の活路を求めようと考えるのなら、単純労働者はその役を果たさない可能性が強いと思います。

例えば、ドイツは今、IT技術者を大量に海外から受け入れようとしています。これは、今後の主要産業となるIT部門で遅れを生じれば、国家経済の競争力が失われると考えているからです。つまり、単純労働者のような、生産性の低い労働力を受け入れるのとはまったく逆の効果を狙っているわけです。

むしろ、私は、高給を払ってでも日本に受け入れるべきは、プロの経営者や技術者、学者などの専門家だと思います。まだまだ活用されていない日本の女性労働力や高齢者の労働力の使い道を考えることも先決です。

●国際貢献なら、海外進出を

製造業の場合、労働力不足に対応する方法としては、海外進出ということも考えられます。日本で海外労働者を受け入れても、海外で工場を立ち上げても、海外の労働者に雇用を生むという意味ではおなじでしょう。しかも、進出国に技術移転が進み、労働者は自国で生活できるというメリットがあります。

私は、日本が国際貢献をすることは大事だと思いますが、それならむしろ、日本企業が海外に進出することがより好ましいと思います。海外進出より海外労働者を受け入れるほうがよい点は、経営側が楽ということでしょう。しかし、本来は、国内の労働コストで引き合わない産業は、どんどん海外に移転して、産業構造のシフトを起こすことこそ、国際貢献にもなり、日本経済の将来にも必要なのではないでしょうか。

「海外の安い労働力は欲しいが、日本から離れるのは嫌」というのは、国際貢献というよりも単なる経営の都合です。問題は、それが国民経済的に正当化されるかということだと思います。海外から単純労働者を雇ってこようという発想は、建設業を支えるために不必要な公共工事を続けるという発想に一脈通じるものがあるというのが私の感想です。

●それを超えた理由とは

私は、上記理由によって、単純労働者の受け入れには反対ですが、経済的理由を超えても受け入れるべき理由があるなら、それはまた話は別だと思います。労働者とは違いますが、例えば、各国から留学生を受け入れることは、日本の将来のために極めて有益だと考えています。

伴さんのこれまでのご主張を振り返ると、経済的なメリットはあまり強調しておられず、むしろ、国際貢献などの経済的な理由を超えた理由を見いだされているのだと思います。その意味で、伴さんの「過去にお世話になった枠」という発想は、非常に面白いと思います。いずれにしても、相手に喜ばれ、日本にもメリットのある方法でなければ意味がないと思います。

●ロンドン在住のぼんやりした感想

これは、たまたまロンドンに在住しているものとしてのぼんやりとした感想ですが、ここはそれほど外国人労働者に優しいところではありません。不法移民についてはぴりぴりしています。また、確かに住民の肌の色はさまざまですが、元々のイギリス国民も多いものと思われます。さらにいうと、肌の色によって、職業から住むところまで色分けが出来ていて、あまり感じの良い物ではありません。

イギリスの場合、長い間に渡って、数多くの植民地を抱えていたことから、植民地からの移住者も多く、旧植民地との人的、資本的つながりは今でも深いものがあります。香港など良い例です。日本が仮にイギリスと同じような歴史を持っていたとしたら、おそらく今の日本の風景も一変しているはずです。アメリカもそもそも移民の国であるし、よく言われていることではありますが、日本とは歴史的背景が違うのではないでしょうか。

Web-site http://www2.justnet.ne.jp/~hihi/index.htm

日本は特殊なアジアです
MAEKAWA.Shino(香港)MAEKAWA.Shino@mail.nomura.com.hk

いつも配信を楽しみにしています。現在香港で日系企業に勤務し、在香港は7年目になりました。おっしゃる通り、社内だけでもいろんな国の人がいます。決して I Love Hong Kong とは思いませんが、好きな点、あまり好きになれない点両方を見近でみて初めてわかる異文化でしょう。

離れてみると日本文化のすばらしさもわかったような気がします。日本は特殊なアジアだとは感じますが、自分がアジア人でであることも切に実感。香港で働く機会を得て、本当によかったと思ってます。外国人受け入れ、日本でも進めたいものです。

日本にない外国の青年達を惹きつける『理念』
近藤 佐知彦(英国)Sachihiko_K@msn.com

最近社会心理学で博士号を取ったものの、現在はオーバードクターの『住所不定無職』状態に悩む(気持ちだけは若いつもりの)中年失業者です。

ここ五年間ほどを英国で大学院生として暮らし、日本の国際化などについて色々考えることがありました。伴さんの《150万人の外国人受け入れが自然体》について少々私なりに思うところがあったのでお便りします。

ヨーロッパの各国では『単一民族神話』等とは無縁に、異なった文化的宗教的背景を持った人々を受け容れ、ホストカルチャー(例えば英国文化)の中に取り込みつつあります。インド系英国人もイスラム系や中国系の英国人も同じ市民として、それぞれの文化的アイデンティティを保持したまま、英国社会に寄与する体制が作られつつあります。つまり彼らはきちんと働いてきちんと税金を払い、イギリス社会・経済の活性化に貢献しているわけです。

近い将来日本でも「色の黒い人」、「目の青い人」、「髪の縮れた人」、「少し日本語がおかしい人」等を積極的に日本社会を構成する重要な要素として取り込む必要があると思います。いわゆる3K労働に限らずあらゆる場面で、彼らにいわゆるヤマト民族と一緒に働いて貰わなければ、これからの少子化・高齢化社会は立ちゆかないでしょう。管理職に至るまで有能な外国人を日本に呼び込み、彼らの力を借りて社会運営をしていく必要があるというのが、私の現状認識です。

つまりアジアをはじめとする外国から頭脳労働者を含めたあらゆるタイプの労働者を受け容れ、社会を若返らせ、活を入れる必要があると思います。そしてそのためにはマルチカルチュラルな文化を受け容れるだけの柔軟性、そして社会を統合する普遍的な「力(イデオロギー)」がこれからの日本社会には求められるのではないでしょうか。

ここで私が言いたいのは、今の日本には経済力以外になにか外国の青年達を惹きつける『理念』があるのかどうか、です。アメリカやフランスであれば『自由』『平等』『博愛』といったその国のあり様を端的に表すスローガンがあり、その理念が国を動かす大方針を示しています。

そしてなによりその理念は国境・文化の枠を越えた普遍的なものです。若者達は『自由』という理念の下に《アメリカンドリーム》を求めてアメリカ社会に積極的に関わっていく動機付けをされているでしょう。翻って日本を考えると、そういう理念があるでしょうか。

これから日本社会に貢献してくれる可能性のある『非ヤマト民族』の若者に、日本国・社会のために仕事がしたい、と思って貰えるビジョンを示すことがこれからの僕たちの世代の日本人の責務だと思います。

そしてそのビジョンは『ヤマト民族』にのみ限定されては意味がありません。「日本は天皇を中心とした神の国」等、全く普遍性を持たない後ろ向きの理念・イデオロギーではお話になりません。

天皇では国際化・多文化社会の中で『非ヤマト』を統合する力になり得ないのは明らかです。

愚考するに、やや陳腐な気もしますが非武装大国(やや形容矛盾かもしれませんが)、絶対平和主義国家としての理念を研ぎすますことが、これから予想される多文化社会を統合する一つの理念として考えられるのではないでしょうか。

これからやって来るであろう「多文化」日本社会を統合できる何かの理念を確立すること、それこそが21世紀の日本のあり方を決める一つの重要なファクターであると思います。

そして労働者の受け入れ以前に何か日本国のあり方を示す理念的なモデルを明らかにすることが、これから数年の政治論議の中で論じられるべきではないのでしょうか。

少子化に偏りすぎた外国人問題

KUMA-PLATEAUX(ロンドン在住)plateaux7@yahoo.com

こんにちは。はじめまして。いつも拝見しております。私はアメリカ企業で10数年管理職をした後、現在ロンドン大学で経済学を学ぶ者です。

http://www.geocities.com/plateaux7/

6月16日付けの記事(外国人受け入れ)を読んで、同感いたしましたが、少し感じた事は、日本の現在の議論はやや、少子化とか経済にからんだものにかたより過ぎているという事です。

グローバリゼーションで国境を超えているのは資本だけでは無いはずです。同時に人間の基本的な権利に関するある種の原理原則も良し悪しは別として国境を超えようとしているのではないでしょうか。移民に関しては、まず「居住の自由」つまり、何人も居住したいところに居住する権利を有するという(国内では当たり前の)原則があるはずです。(カントは訪問の自由、そして受け入れた側のホスピタ リティーの義務という事を彼の時代にすでに述べています)。

自由貿易に関しても、それが効率的であり富を増加させるというのが第一義ですが、その背後に「何人も彼の買いたいものを買える」という個人の自由と権利の原理原則に関するある種の感覚がある事を見のがせません。

その各人の自由・権利が存在し得るための、共同体への義務という感覚も生まれてきます。現在の日本人は何の原理原則に対する感覚も無く、移民、自由貿易といった課題に対し、経済、文化のみに依拠した議論を展開していますが、なかなかそれでは国際的に説得力を持つのは困難であると思います。骨太の議論を望むところです。

「150万人の外国人受け入れが自然体」もっともです。

International Economics Report http://www.geocities.com/plateaux7/

外国人受け入れは自然体で
大橋 堯夫 takao_ohashi@email.msn.com

お説の通り外国人受け入れは自然体であると思います。ニーズがあるのですから受け入れることは自然体です。現在の不法入国者、不法滞在者による犯罪は目に余るものがあります。また、これらの人たちに仕事を斡旋することで利益を得ている暴力団も問題です。従って、受け入れの条件として不法入国者、不法滞在者に対する厳しい取締りを条件とすべきと考えます。そのための法体系、取締り体制の整備が前提です。