ダイヤモンドよ永遠に
2000年03月10日(金)Conakry萬晩報通信員 斉藤 清
ギニアのアントワープとも呼ばれる首都コナクリの一角の、とあるカフェの片隅でひろいあげた、ダイヤモンド原石商人たちの業界情報。「永遠の輝き」が生み出される前の、プリミティブな世界の動きを、ダイジェスト版にしてお送りする特別企画「A DIAMOND IS FOREVER」です。
◆「茶房サントラル」より愛をこめて
大統領府からまっすぐ東へ伸びる「革命通り」を、4ブロック過ぎてから右へ曲がると、歩道をさえぎるように張り出した囲いがあって、ここが茶房サントラル。コナクリでは数少ない、ケーキの製造・販売をもしている貴重な店です。
パリあたりのカフェであれば、歩道にテーブルと椅子を並べて、そこが外気と接した開放的な客席になるのでしょうが、ここは直射日光が強力で、ほこりっぽくて、そしてとにかく蒸し暑いコナクリです。通りに面したテラスでお茶を楽しむという雰囲気にはなれません。
茶房サントラルは、空調のきいたガラス張りの温室から表の通りを眺めつつ、また別の世界の話に興じる・・・、そのためにぴったりの空間です。奥のいくぶんか薄暗いホールには、テーブルが10脚ほど並んでいるものの、それは無視して、歩道に張り出した明るい方の、質素な6脚のテーブルのどれかに席を取れば、それなりに快適な視野と、至福の時間が楽しめます。
この店自慢のフランス仕込みのケーキと、シトロンティーでも頼んで、地元のタブロイド新聞をひろげ、コロニアル風の建物がまだそのまま残っている交差点あたりをぼんやり眺めながら、店内の会話に耳を預けてみるのも、茶房サントラルの、この席ならではの趣向です
◆ダイヤモンドの情報センターにて
この辺りは、実はギニアのアントワープ・・・ダイヤモンド街で、テレビカメラを玄関に設置した原石買取り業者の事務所や、すべての窓を鉄枠で厳重に防護した建物があったり、路上で下級ブローカーと話しこむ現地人がいたりと、なにやら胡散臭さを感じさせてくれる、少しばかりいかがわしい雰囲気の場所なのです。
とはいえ、茶房サントラルが、ギニア人ダイヤモンドブローカーの情報交換のメッカであることは、一部の関係者以外にはあまり知られていません。
ここで話される言葉はマリンケ語が主で、時折フラ語が混じり、むろんこの国の公用語・フランス語は、その間を縫うようにして適宜折りこまれ、会話の流れを滑らかにしています。ついでに書けば、スースー語を母語とする人間は、ここには存在できません。スースー族一般の商業道徳がかなり異質なものであることが、その主な理由らしいのですけれど。
一見の客は、ウェイターがさりげなくホールの方へと導いて、この空間へは入り込めないのですが、グラン・ブーブーと呼ばれる、布地をたっぷりと使った金糸・銀糸の刺繍も立派なアラブ風の服を着流した恰幅のいい紳士たちがあつまって、大声で会話をしているだけでも、近寄りがたい空気を周囲へ送り出していることは確かです。
私はといえば、まったくの無関係者ではあるのですが、そこはそれ、白くはない異邦人(むしろ、どす黒い)であることと、ひたすらケーキにうつつを抜かす人畜無害の風体が、さほどの警戒心をいだかせないのかもしれません。
◆シエラレオーネの叛乱勢力
ギニア国内で、ダイヤモンド原石についてのニュースが発生すれば、その翌日には、ここ茶房サントラルで必ず話題にのぼります。そのうちのいくつかのエピソードもお届けするつもりですけれど、まずは、隣国シエラレオーネの現政権に、鉱山担当・副大統領待遇として迎えられている、叛乱勢力RUFのリーダー・サンコー氏の最近の動きを、かいつまんでお伝えしなければなりません。
氏は、永年、叛乱勢力のリーダーとして君臨し、特にシエラレオーネ東部のダイヤモンド産地を完全に支配している(おそらくは現時点でも)人間なのですが、昨年の和平合意の際に、公式に、副大統領待遇のポストと鉱山に関する権限をすべて手中にしました。
この和平合意を受けて、国連の平和維持軍は、叛乱勢力の武装解除を進めてダイヤモンド産地への影響力を消滅させるため、計11,000人の兵を投入しつつあります。西アフリカ経済共同体の平和維持軍ECOMOGも、ナイジェリア兵を中心に、おそらくは5-6,000人の兵をシエラレオーネ国内に残留させています。
ギニアからも国連軍へ合流する支援の兵を送りこんでいるわけですが、1月14日、100人を超える完全武装のギニア兵が、合流ポイントの首都フリータウンへ向かう路上で、小さなゲリラグループにブロックされ、ロケット砲を含むすべての武器と車両を取り上げられています。1月31日には、国連軍としてフリータウンから国内の配置場所へ移動する途中のケニア兵20人が、別の叛乱勢力にホールドアップされて、武器や所持品を奪われました。
◆叛乱勢力リーダーの困った反逆
このような現状を前にして、副大統領待遇のサンコー氏は、和平合意に基づく武装解除の実現を、政府や国連関係者に再び約束したうえで、国内の視察に出かけたわけですが、茶房サントラルで聞こえた解説は、「あれは原石を引き取るため」。
その後、象牙海岸へ行くと言い残して2月14日のガーナ航空機に乗ったサンコー氏は、外野の予想通り、南アフリカのヨハネスブルグに姿を見せて、原石を売り捌くという「ビジネス」を実践してくれた様子です。
コンゴのカビラ大統領、リベリアのチャールズテイラー大統領、そしてサンコー氏と、彼らに共通のひとりの「友人」が、ダイヤモンド原石を市場に流し、資金を調達する手助けをしているといいます。今回の氏の動きも、いつものパターンに沿ったものでした。
しかしながら、あわてて不満を表明したのが国連。本来、叛乱勢力RUFの幹部は、海外渡航を禁止されています。サンコー氏は現政権にとり込まれているとはいえ、今でも厳然とした叛乱勢力のリーダーです。
武装解除を陣頭指揮する役目を負っているはずの責任者が、国連関係者と大統領を煙に巻いて、南アフリカへダイヤモンドを売りに行き、そこで平然としている、というのはあまり見栄えのいい図ではありません。国連はすぐに、「至急戻れ」との指示を出しました。国連の関係者が報道陣に対して、氏の「ビジネス」にまで言及しているところを見ると、外野の情報は正しかったのでしょう。
◆傭兵部隊とダイヤモンド
シエラレオーネには、南アフリカのアパルトヘイト時代の殺し屋グループを傭兵に仕立て上げ、ダイヤモンド鉱山のガードマンをさせて、紛争の最中に採掘に励んでいる鉱山会社グループがあります。
このグループは、ロンドン、バンクーバー、ヨハネスブルグに関連の事務所を持っていて、その実態はよくわからないのですが、紛争中の政権に近づいて鉱業権を取得し、自ら雇っている私兵を派遣して叛乱勢力からの攻撃に備え(時の政権の保護は期待できないわけですから)、産出した原石は、独自のルートで市場に流しているといわれます。シエラレオーネの外、コンゴ、アンゴラでも活躍していて、紛争国の政権側を、おそらくは資金的にも助けているもののようです。
例えば、コンゴ(旧ザイール)のカビラ大統領の場合、氏は、コンゴの豊かな地下資源の利権を担保に、近隣諸国も含めたダイヤモンド資金を使って叛乱を起こし、モブツ前大統領を追い出しました。そしてその後、自分自身が旧ザイールを支配する立場になったわけですが、今日現在では、また状況は変わり立場も入れ替わって、「正規ではないルート」のダイヤモンド原石を資金源とする別の叛乱勢力に、カビラ政権自身が脅かされています。
◆業界の雄・デビアス社の憂鬱
1998年のデビアス社・中央販売機構(CSO)の原石販売実績は、公式発表によれば33億ドル。また、デビアス社は、全世界規模での年間生産量をおよそ66億ドルと推定していますから、その数字をもとにすれば、この年は、世界の全生産量の半分が、デビアス社の販売機構に乗って市場に流れたことになります。
コンゴ、シエラレオーネ、アンゴラを主体とした紛争国の、「正規ではないルート」から市場に流れるダイヤモンド原石は、ベルギー・ダイヤモンド業界の総括団体HRDや、国連の発表する数字をもとに試算すると、極力安く見積もっても20億ドル、あるいは50億ドル程度にまでなるのかもしれません。これらの地方の漂砂鉱床から産出される原石は、大粒で上質なものが多いことから、市場で歓迎されることはあっても、排斥されることはありませんでした。「正規ではないルート」は、付加価値の高い貴重な原石を手に入れる周知のルートでした。
また、ダイヤモンドの価格を維持し、「永遠の輝き」を失わせないために、「正規」に生産されたものはすべてが、「正規ではないルート」で入ってきた原石も当然にそのかなりの量が、アントワープのどこかで再びデビアス社に買い上げられ、在庫調整のため中央販売機構(CSO)の金庫に収められます。
現在のように、これだけ供給過剰の状況になってくると、ダイヤモンドの値崩れを防ぐためには、プレミアムをつけてでも市場から原石を吸い上げなくてはなりません。つまりは、デビアス社の価格統制システムによって、紛争地域からの「正規ではないルート」の原石の価格も間接的に保護され、戦闘を継続させるための燃料は、絶えることなく供給される結果となっていました。
アフリカ各地の紛争を、攻める側と守る側の両面で支えていたのは、もとはといえば、「ダイヤモンドは永遠の輝き」の守護神・デビアス社であったわけです。もっとも、長期にわたる多額の資金負担は、デビアス社にとっても耐えがたいものになっていたはずですが…。
◆不買宣言
そこで阿吽の呼吸で、英国・米国からのプレッシャーに後押しされた国連が、まずデビアス社の幹部と公式に会い、原石の不買運動への協力を要請しています。
つまり、紛争地域で産出されたダイヤモンド原石は買わないようにして欲しい、との公式の申し入れをしたわけです。当然のこととしてデビアス社は、「正規のルート」を回復するために国連軍は最大限の努力をする、という保証をとりつけています。
これが根拠となって、例えばシエラレオーネへは、国連軍兵士が異様に大量派遣され、同時に、米国の強い要請を受けたナイジェリア軍も兵員を増強しているわけです。
英国政府と米国ユダヤ資本との協調関係を軸に、粘り強いロビー活動を展開していたデビアス社にとって、これは戦果の第一歩でもありました。世界銀行は、このオペレーションのために、1.3億ドルの供与を決めています。
その流れに沿ってデビアス社は、シエラレオーネからの原石は、1980年代に事務所を閉めて以来、直接的にも間接的にも買っていない、アンゴラの叛乱勢力Unitaからの原石も、けっして買わなかったし、買うつもりもないとアピールを始めました。
(最近のアピールは、下記のWebで参照できます)
しかしながら、あまりにも恰好よく見えを切られてしまうと、それまでの流れをすでに耳にし目にもしている天邪鬼な私めとしては、(笑ってしまった後で)いやはや、まったく悪い癖ですけれど、眉につばをつけて、少しばかりからかってみたくもなるのです。
マラリア蚊が耳元で羽音を響かせる程度のごくささやかな呟き、そしてかなり不謹慎な反応であることもよくわかってはいるものの…。
◆それでもなお、ギニアの場合―その1―
ギニアはシエラレオーネと陸続きです。そのために、紛争の煽りを受けたシエラレオーネの避難民が、国境近辺のギニア側難民キャンプに大勢生活しています。もっとも、これは一般の住民の場合で、何らかのコネを持ったある程度裕福な人たちは、戦乱が最高潮の時でもコナクリへ自由に出入りし、叛乱勢力の幹部ですらコナクリの町を車で平然と走り回っていました。
手元に、すでに公になった手紙のコピーがあります。日付は1997.6.14。
その宛て先は、その年の5月にクーデターで大統領の席についたばかりの軍人コロマ氏と鉱山省次官。内容は、鉱山省次官からの依頼に応える形で、新大統領への賛辞と、今後の協力関係を確認した後、次官の奥方がコナクリへ到着した際に投宿すべきホテルと、そのすぐ傍にある事務所の場所を示して、携帯電話の番号を記し、「ご持参のダイヤモンドは責任を持って評価し、ドルで買い上げます」と締めくくっていました。
この手紙の差出人は、ギニアのダイヤモンド採掘会社のゼネラルマネージャー。この叛乱で追い出された大統領はこのときコナクリに避難していましたが、その翌年に復帰し、現在に至っています。
この会社は、森林ギニアで年間50万カラット程度を掘り出していたオーストラリア資本のダイヤモンド鉱山を数年前に買収し、現在は「試掘調査中」ということで冬眠させています。いってみれば、生産調整でしょうか。
それでいながら、今年1月、その会社の従業員がコナクリ空港から南アフリカへ帰る際に、輸出の申告をしないで持ち出そうとしたダイヤモンド原石が40数個、その評価額200万ドルが、たまたま空港税関で差し押さえられるという出来事もありました。
この会社には南アフリカとカナダの資本が入っているというのですが、すべて孫会社、曾孫会社名義ですから、その実態は不明です。
◆それでもなお、ギニアの場合―その2―
茶房サントラルが、幾日にも渡って騒然とした熱気に包まれていたのが、1998年のアンゴラ・ダイヤモンド事件でした。
127カラットの原石が、ギニア人ブローカーの手でアンゴラからコナクリに持ち込まれ、それだけのことであればごく日常的な動きで、さほどの興奮はもたらさないわけですけれど、この時だけは格別でした。
同じ年に、475カラットの原石が森林ギニアで発見されたときも、昨年7月に1,006カラットのダイヤが、やはり森林ギニアからコナクリに届けられたときも、これほどではありませんでした。
時はちょうどワールドカップの最中。ひとは皆、試合の結果だけが最大の関心事で、まさに浮き足立っていました。価格交渉のために127カラットの石を預けられたレバノン人業者も預けた当人も、まずはテレビ観戦が優先事項だったといいます。
数日後、「石が盗まれた」ことが判明し、こうなるとさすがにフットボールどころではなくなって、それらしい関係者が逮捕されたり解放されたりと、かなりあわただしい動きがありました。
結果はうやむやで、原石を預かったレバノン人業者が、いくらかの損害賠償金を支払うことで決着がついたのではありましたが、茶房サントラルでは連日議論が続いていたことでした。
何カ月かして、マリ共和国の原石業者がその石を持っていることが判明し、石の流れは見えてきましたけれど、原石がひそかにこれだけの大旅行をするとなると、その原産地を特定することなどは至難の技であることが理解できます。ましてや小粒の一般品ともなれば、その出生地を問うことは時間の無駄となってきます。
◆それでもなお、ギニアの場合―その3―
戦乱のために、隣国のフリータウン国際空港が閉鎖中は、レバノン人の原石商人がヘリコプター便でコナクリまで商品を運んできました(片道15分ですから)。
これは、ギニアの買い入れ事務所を通して、当然のように国際市場へ流れていったはずですし、もしアントワープで売却されたとすれば、アントワープの業界団体HRDは、ギニア産の石の輸入として集計したはずです。
フリータウンの国際空港がオープンしている現在は、副大統領待遇のサンコー氏が小さな包みを抱えてこっそり南アフリカへ出かけたように、制裁を受けない国を中継させれば原産地名は消えてしまうわけですから、紛争国からのダイヤモンド原石の不買運動がどの程度の効力を持つものか、はなはだ疑問ではあるのです。業界は、大粒の高級品という魅惑には抵抗できないでしょうし…。
◆永遠の輝きを守る戦い
その反面、叛乱勢力を力で押さえ込むことができれば――政権がその国をまともに統治できるようになれば、すべての鉱山は国家の支配に従うことになるわけですから、その政権の支援を受けて、ある特定の目的で、現在稼動している鉱山を買い取ることもそれほど難しくはなくなるでしょう。鉱山を買収してそれを眠らせれば、アントワープの市場でプレミアムをつけて吸い上げるよりも、ずっと安上がりに、ずっと確実に供給を減らすことが可能になるはずです。
国連軍が強力に推し進めている、アフリカの紛争国での叛乱勢力との戦いは、ダイヤモンドを支配する戦い――原石の生産を減らすための戦いにほかなりません。デビアス社の掲げる「ダイヤモンドは永遠の輝き」とは、なかなかに皮肉っぽい響きを持ったすぐれたキャッチフレーズです。(Gold News from Guinea『金鉱山からのたより』 第29号を転載。さいとう・きよし)
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