執筆者:中野 有【とっとり総研主任研究員】

インターネットと古典は両立するのか。例えば左翼と右翼の両方を知ってよりバランスのとれた政治感覚が養え、またジャンボジェット機は左翼と右翼の幅が広い故、安定した飛行が可能となる。このような視点により一見相反する現在の文明の利器であるインターネットと先人の知恵の宝庫である古典との両立に関し考えてみたい。

インターネットはビジネス、学校、家庭を問わず日々加速度的に普及している。インターネットは、もはや情報、コミュニケーションの分野のみならず金融、生産、流通におけるビジネスのコアに不可欠である。恐らく21世紀のイノベーションの怪物はインターネットであると歴史に刻まれるであろう。

しかし、インターネットは便利な故マイナス面もある。情報の洪水を浴びるほど、仮想現実の度合いが増し、現実に接した時の新鮮な心が躍る感動が薄れる。これは巷に溢れる情報誌に則り予測できる旅の味わいより、あまり情報に頼らず未知への遭遇を期待した自由な旅の方が夢があるのと似ている。

コンピューターの普及に伴いモンブラン等の高級万年筆の売り上げが上昇する現象は面白い。キーボードばかり打っているとペンを走らせる感覚が懐かしくなり、サインだけでも高級万年筆ということになるのであろう。NHK情報ネットワークの加藤和郎さんから拝受するFAXは達筆で書かれた上に季節にマッチした挿し絵が描かれており、いつも心が踊る。

インターネットでは得られない情報に興味がそそられる。インターネットの情報は枝葉のような気がしてならない。物事の本質や真髄を探求しようと思えば古典にのめり込む。ミレニアムの大きな歴史の狭間の中で、自分の存在は古より永遠に亘る日本的生命の一断面であると考えると、「人生・日本・世界・宇宙とはなんぞや」と哲学的かつ神秘的な問題に興味をそそられる。

また、過去の日本・世界を知らずして今日の日本を察することはできない。ましてや明日の日本や世界情勢を洞察し、ビジョン構築のためには歴史や国史をつぶさに学ぶ必要があると痛切に感じる。したがって今や寝てもさめても古典を通じ先人の知恵や東洋思想を吸収することに余念がない。

コンピューターが瞬時に情報を提供してくれる便利なインターネットが主流の世の中において、今時、古典にどうしてそんなに夢中になっているのかと、いぶかしがる知人もいる。しかし、古典との出会いは、神田の古本屋で何気なく手にした中江兆民の一冊の本がきっかけとなった。

兆民はこの三酔人経綸問答の中で混沌とする19世紀末の国際情勢の中で世界の中の日本を多角的視点で分析し、日本の進路をユーモアを交え描いているのである。度肝を抜かれたのは、兆民が100年後、即ち現在の国際情勢を協調的安全保障の時代だと予言しているところにある。兆民にかかれば今世紀の動きは既に展望済みであったのである。

更に兆民の弟子であった幸徳秋水が「兆民先生」の中で兆民が坂本竜馬を崇拝していたことを述べている。竜馬への尊敬の念が一致することから、ますます兆民が身近に感じられた。秋水の名文を引用する。

「坂本竜馬君を崇拝していた当時の一少年(兆民=筆者注)は、将来、ほんとうに第二の坂本君になろうとしていたのであった。坂本君が、薩・長二藩の連鎖となって、幕府転覆の気運を促進することと同じように、自由・改進の二党を打って一丸とし、それを持って藩閥を絶滅するのは、先生が終生の事業とするところであった。そして、坂本君が成功し、先生は失敗した。成功と失敗の分かれるところは、天であるのか。あるいは人であるのか」

友人、人生の師匠、そして良書に出会うことにより人生が豊かになる。良書とは時代を超越した人生の師匠でもある。先日神田の古本屋を良書を求めくまなく歩き、コンピューターでは得ることができない深遠且つ精魂なる知恵の宝庫に巡り会った。また、たぶん世界でもまれなる煩雑なる古本屋である鳥取市の吉方温泉町の岡垣書店では、神田の古本屋でも見つからない良書を見つけることができた。そして、戦前のハルピンで10年生活された店主の岡垣宏隆さん(84歳)から、北東アジアについての高尚なる講義を路上に座して受けた。

2000年を前にして古典が妙に新鮮である。古典は未来を照らす鏡である。インターネットで刻々と変化する内外の情報をタイムリーに掴む。大局的な歴史のリズム即ちセンチュリー・ミレニアム単位の歴史の趨勢を古典で学ぶ。両者に精通することにより確かな未来が見えてくるのではないだろうか。