執筆者:伴 正一【元中国公使】

●はじめに
失業問題が深刻になっている今どき、とんでもない話と映るだろうが,それを承知で敢えてこんな提言をするには訳がある。
国の生活水準が上がるに従って3Kのような仕事が敬遠され気味になるのは、水が低きに流れるのと同じで、至極当然のことだ。
3K部門の人手不足と、その空白を埋めるための外国人労働力への需要は、経済の好不況による波はあっても、先進工業国ではこれからも底流として存在し続けるだろう。
物と違って人の場合、経済の波に合わせての調整を安易に考え得ないとすれば、外国人労働力の許容限度は、経済不況のドン底を目安に設定するのが妥当と思われる。
それだけでない。3K忌避の風潮が失業者層の中にまで蔓延し、3K部門の外人依存度が100%に近い数値で定着し、常識化するようにでもなると、事は経済を越えて,国民の気風、国の体質、にかかわる高度に政治的な問題に発展する。
それくらいまでを視野に入れて考えると、外国人労働力導入の問題は、むしろ失業が深刻になっている今のような時期にじっくり考えておくのが賢明で、好況時、人手不足のさ中にあわてて考えたのでは間違いを起こし易い。

●ボーダーレス時代と人の流れ
物も、カネも、そしてルールまで、ボーダーレスの流れはすべてを巻き込む勢いである。

人についてもそれを当然視する意見が花盛りで、さなきだに国へのアレルギーの強かった日本で、国の影は益々薄くなって行くかに見えた。
しかし国は、そう簡単に消えられては困るのである。
広い意味で気心の合い易い素地が存在し、「いいなあ」という感じから「おかしさ」まで、巧まずして言っていること、思っていることが伝わるような雰囲気。例を挙げればそのような、人間生活にとって、普段は気づかないが大切なものを、国は下支えしてきたのである。
日本のような自然国家では特にそういうことが言えそうに思える。
国際化を金科玉条とする風潮は今も盛んだが、いくら何でも国際化それ自体が目的というわけではあるまい。
目的はあくまで、今のような複雑多岐にわたる世の中での、トータルにいいバランスの取れた「住み易い」環境設定ではないのか。グループ作りと言っていいのかも知れない 家を消しさえすれば個人が自由で幸せになるかと思ったが、結果は必ずしもそうではなかったように、国際化も浮かれ過ぎて、国の存在意義を見誤ったり見失ったりすると,取り返しのつかないことになる。
人の出入りを自由化している中に、例えば極端な話だが、人口12億の中国からその1パーセントが流入したとしてその数は1千万人以上、公用語に中国語を加えよという声が出始めても不思議ではない。
日本は、自然でくつろいだ日本の味を大切にしながら、その持ち味をアイデンティティにして世界に対する貢献も考えて行ったらよくはないか。
外国人不熟練労働力の正規導入を提唱しながら、節度をわきまえた事の運び方に留意を促す訳はここにあるのである。(続)

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