執筆者:今里 滋【九州大学法学部】

九州大学法学部の今里滋(いまさと・しげる)です。現在、ニュージーランドはウェリントンにて在外研究ですが、いつも『萬晩報』をたのしく拝読させていただいております。さて、8月2日号の「よさこい祭り」の記事に関連し、私が昨年の今頃、西日本新聞に執筆した囲み記事を思い出しましたので、参考までに送らせていただきます。

●「祭り」文化の創造

いま世界も日本も地球最大のお祭り=ワールドカップに湧いている。フーリガンとかいう馬鹿者共はいるにせよ、世界中の人々が喜怒哀楽もあらわにサッカーに熱中しつつ世界的平和及び一体性の尊さを実感できることの意義は大きい。

博多の街にも長法被が闊歩している。7月15日の追山へ向け見えない熱が確実にたぎり始めた。博多祇園山笠は中世から住民が守り通してきた自治と伝統文化があってはじめて成り立つ祭りである。また、逆に、山笠があったからこそ博多の自治と文化は守られてきたといってよい。祭りと自治と文化は密接不可分に結びついてきたのである。

日本の祭りには博多祇園山笠のように長い歴史をもっているものが多い。しかし、歴史の浅い都市で住民の自治によって創造されかつ独自の文化と発展しているものもまたれっきとして存在する。その代表格は札幌市の「YOSAKOIソーラン祭り」ではなかろうか。この祭りは、北海道大学に在学中だった長谷川岳さん(27)が高知で「よさこい祭り」を見て感動、「よさこい祭り」と「ソーラン節」を組み合わせた斬新な祭りを道内の学生だけの手作りで実現したものだ。

7年後の今年、全道212市町村の半数を超える市町村と道外10都府県から280チーム、2万9000人の踊り子が参加、200万人近い観客動員を誇る。大勢の若者がオリジナルのダンスを力の限り青空にぶつける姿は、今の若者がよくぞここまでという意味もこめて、とても感動的だ。今年からは、学生中心の実行委員会に代わり札幌商工会議所が主体となった組織委員会が運営に当たることとなった。文字どおり全市を挙げた祭りへ成長したのである。

そういえば、本家本元の「よさこい祭り」も、1954年に商店街の人々が地域経済の浮揚を願って誕生させたものであった。それが、70年の大阪万国博覧会を契機に全国に広がり、現在では、29都道府県・57カ所で各地域の文化と融合した新たな「よさこい文化」が生まれているという。文化は歴史的に継承されるものであるだけでなく、祭りによって創造され進化していくものでもあるのだ。

昨年8月初め、第11回筑後川フェスティバル福岡大会・水の感謝祭が開催された。約3分の1(約70万人)の住民が筑後川の水で暮らす福岡都市圏。そこの市民有志が、筑後川の恵みに感謝し自らの義務として水源を守り育てることを宣言したこの「祭り」は「共生と連携」の文化創造への力強い一歩であった。

そして、今年の8月初め、この市民有志が中心となって「福岡・水の感謝祭」を開催しようとしている。そこでは感謝の対象は筑後川から「人間が命を長らえ、日々の暮らしを営むにはかけがえのないもの」(『趣意書』より)としての水一般へと拡がっている。水が人々のもとに届くまでには実に多くの自然の恵みと人々の努力や犠牲が介在している。

そのことに感謝する心を年に一度の「祭り」というかたちで表現し、思いを共有する人々をつなぎ、そうしてできた感謝の心の輪を大きく広げていこうという市民の手作りの行事。しかも、祭りの少ない福岡市西部にあって福岡を代表する祭りになれば…。実行委員会の夢は大きい。

彼らがいうように「水をありがたいと思う心は、必らず自然や見知らぬ人々の努力に感謝する気持ちへと広がってい」(同上)くとすれば、そうした心で満たされる祭りは新たな水文化創造の場になるにちがいない。水と人間との関わりに新たな次元を開こうという企図は「よさこい」や「YOSAKOI」とも通底している。

行政の発案と誘導による祭りではなく市民の自発と参加による祭りの成否は、NPO法の成立で新たな段階を迎えている日本の市民セクター発展の試金石かもしれない。(西日本新聞1998年6月21日朝刊1面掲載)

今里さんへメールはimasato@law.kyushu-u.ac.jp