執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

先週、スコットランド議会の選挙があり、大英帝国からの分離独立を求める国民党(SNP)と労働党の一騎打ちになったが、労働党が過半数を征し、独立派を抑えた。7月には東チモールの独立の是非を問う住民投票がある。

バルカン半島では血で血を洗う戦闘が絶えないが、20世紀の世紀末を迎え、国家の枠組みは問い直す動きが世界のあちこちで起きている。21世紀に向けて国家に関する概念ががらがらと崩壊しているような気がしてならない。

読売新聞国際部の濱本良一さんが東京外語大の中嶋ゼミ誌である「歴史と未来」に興味深いレポートを書いているので紹介したい。題して「プエルトリコと台湾」。奇しくも昨年、独立の是非と問う住民投票が実施され、まったく逆さの結果が出たのだそうだ。

●いずれの選択肢も支持しなかったプエルトリコ

プエルトリコでの住民投票は「アメリカの51番目の州になるかどうか」について5つの選択肢から選ぶものだった。

(1)アメリカのの51番目の州になる

(2)自治領であり続ける

(3)独立

(4)主権国となった上でアメリカと自由連合を結ぶ

(5)いずれの選択肢も支持しない

結果は「いずれの選択肢も支持しない」が50.2%と過半数を占め、「アメリカのの51番目の州になる」が46.5%と次いで多く、「独立」はたったの2.5%。「自治領であり続ける」はわずか0.1%だった。

濱本さんの解説では、プエルトリコの与党・新進歩党はアメリカの51番目の州を主張したのに対して、野党・人民民主党が「より独立性の強い自治領化」を主張した。だが、人民民主党の主張は投票の選択肢から外されたため同党は「いずれの選択肢も支持しない」への投票を呼びかけた。

与党が主張する「51番目の州」が過半数を得なかったとのは「住民には完全にアメリカの一部になることへのためらいがあり、『いずれの選択肢も支持しない』が過半数を得たのは『より独立性の高い自治領化』への住民の願望が強いことを示したものだ」と分析している。

自治政府の実施した住民投票だから自分たちに都合のよい選択肢を提示するのは当然としても「いずれの選択肢も支持しない」という項目があったのは新鮮だった。日本の国政選挙でも地方選挙でも「いずれの候補者も支持しない」という項目があったら、きっと多くの選挙区で高い比率をえるのだろうなどと考えてしまった。

いずれにせよ、「独立」を選択した人々がたったの2.5%というのは驚きである。「51番目の州」と「独立性の高い自治領」がプエルトリコの人々のほとんどの希望なのだとしたら、かなり都合のいい選択肢だったということである。

プエルトリコは、1898年の米西戦争でアメリカがスペインから割譲され、1952年に自治領に昇格した。住民はアメリカの市民権を持っており、アメリカへの移民も自由であるそうだ。大統領選と上下両院の選挙権はないが、連邦住民税がない。

参政権などなくとも自由が享受でき、ドル経済圏のなかで生きられるのならば不満はないということで、ひょっとしたら世界でも同じように生活さえ安定しているなら、民主主義の根幹であるはずの「参政権に固執しない」と考える人々もいるのではないかという気がしないでもない。

ちなみにアメリカの信託統治領だった太平洋諸島のミクロネシア連邦とマーシャル諸島共和国、パラオ共和国は独立してアメリカとの自由連合を選択、北マリアナ諸島連邦は住民投票で自治領を選んだ。グアム島とウェーク島はアメリカが占領したままである。

●与えられた選択肢を選択できなかった台湾市民

分裂国家の片割れである台湾の場合はそんなに悠長ではない。昨年12月、統一地方選と同時に実施された台南市での台湾初の住民投票は、「大陸(中国)に統治されることに反対」が78%を占めたものの、投票率はわずか25%と日本の国会にあたる立法院選挙の投票率42%の6割しかなかった。

濱本さんは「投票結果を恐れて遠慮したのか、一都市レベルでの住民投票に意義を認める住民が少なかったからなのか不明である」としている。中国は台南市での住民投票について「ごく少数の危険分子による祖国分断活動で、危険な火遊びである」と激しく非難したそうだ。

経済的に繁栄する台湾の人々の本音は「独立」であるといわれている。だが、台湾にとって「独立」という文字はいわば禁句に属する。中国というスーパーパワーが台湾の武力解放を放棄していないだけに、「大陸」という存在が「見えない圧力として住民の意識を左右している」としても不思議でない。

台湾生まれとして初めて総統に選ばれた国民党の李登輝は「中華民国」の「台湾化」を進めており、「独立」という表現こそは使わないが、「中国と対等な政治実体」と台湾が国際社会に認められるべき主権国家であるとの立場を鮮明にしている。

中台をめぐる緊張の度合いを端的に示したのは、1996年3月、建国以来初めて実施した総統選挙の最中、中国軍が台湾近海にミサイルを打ち込んだという事実だ。発足当時、台湾独立を標榜していた野党の民進党も最近では「独立」という表現を一切避けるようになった。

台湾の人々は「独立を望んでも、そう簡単には許されない」という冷徹な国際関係を身をもって感じ取っているに違いない。経済的な繁栄を享受していても常に政治的緊張を強いられる小国の悲哀を感じないわけにはいかない。