執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

カンボジアで小学校をつくっている高松のボランティア組織、セカンドハンドの新田恭子さんから「キリチョンコ小学校2棟目の校舎完成」と題する「セカンドハンド通信No.16」が届いた。村人1000人が参加した開校式に出向いた様子が紹介されている。

完成したのは6教室1棟の新校舎。建設費約460万円。日本だったら家1軒建たないが、カンボジアでは立派な校舎が建つ。千葉の「カンボジアに学校を贈る会」が建設したが、費用のほとんどはセカンドハンドの支援金でまかなわれた。

以前にも紹介したがセカンドハンドは読んで字のごとく、家庭で不必要になった衣服や家庭用品を販売、収益金でカンボジアに貢献してきた。イギリスに古くからある同様のボランティア組織から運営方法を学んだ。

1998年04月27日付萬晩報「カンボジアに3つ目の学校を建てたセカンドハンド 」を参照。

完成式には日本からは新田さんほか、高松を中心に募集した「スタディーツアー」のメンバー13人が同行した。僧侶のお祈りの後、新田さんが「この学校の建設のために協力して下さった方々やセカンドハンドのボランティアスタッフのためにも、みなさん仲良く、しっかり勉強して下さい」とあいさつした。

駐カンボジア日本大使館の山本公使、同国政府のソックアン官房長官からもスピーチがあった。セカンドハンドはこれまで支援した小学校は4校6棟目。ソックアン閣下から3つ目の国家復興功労メダルが授与された。

「セカンドハンド通信」の中から、このカンボジア・スタディーツアーの参加した人たちの感動を少しだけ紹介したい。

●カンボジア・スタディーツアー日誌から

2月23日(火) プノンペン到着。

空港内で機織りが実演されていた。ものすごく手間暇かけて作られていた。機織りの女の人の右手は小児マヒのために使いにくそうだった。この国ではワクチンが打てないがために、このような病気にはる人は多いらしい。ああ、せめてワクチンが受けられたらいいのに・・・。(掘上)

2月24日(水) ワッタン作業所を見学。

セカンドハンドの資金援助で建てたブルーノ建物の中では、義足をつけた人が足踏みミシンで商品を作っていて、隣には色鮮やかな手工芸品が並べられていた。

2月26日(金) バタンバンへ。

ランチャナ・ハンディクラフト(女性の自立を支援するNGO)を訪問。バタンバンの特に川沿いの風景は、とても懐かしく感じるものがあった。小さい頃、よく遊んで育ったところとよく似ているこの町を、私はすぐに好きになった。(青野)

香川大学のミシンがラッチャナで使われていた。日本のミシンであのきれいな衣装を作っているのかと思うと、嬉しくなってきた(植田)

ホームステイ

まったく言葉が通じないのでとても不安だったが、ステイ先のみなさんはとても優しくて親切な人たちだった。電気はまったく通っておらず、食事の時も数本のロウソクで明かりをとった。もちろんシャワーもなく、水瓶にためた水をおわんですくって水浴びした。

家のまわりは何もなくてはっきり言ってジャングルのような所だった。電気がなくて何かをするにはあまりにも不便だったけど、びっくりしたことは、街灯がないぶん月光や木の影がとてもきれいだったこと。日本では絶対に体験できないことだ。(相澤)

2月27日(土) プノンペンへ。

カンボジア女性開発協会代表・キエン・セレイバンさんと会食 カンボジア女性開発協会は女性の生活向上を目的として識字クラス、職業訓練、衛生教育などを行っている。人身売買や売春の問題にも取り組んでいる。世界的に活躍している彼女は、私たちが同席しても良いのだろうかと気が引けるくらいのすごい人だ。

彼女から売春婦についての話を聞いたが、内容があまりにも残酷だった。人を買ったり、売ったり、誘拐したり・・・。人権尊重の意味、大切さがわからないのか? またはわかった上でそういうことをしているのか? 彼らに人権について教育することは、かなり困難かもしれない。(桑原)

2月28日(日) トゥルースレイン博物館見学。

ポルポト時代、収容所として使われていた元高校。建物内には独房が当時のままも残され、収容されていた約1万人の顔写真が壁面いっぱいに展示されている。当時、カンボジアでは人口750万人のうち主に知識人200-300万の人々が虐殺された。

今は日本では当たり前のように平和な暮らしをしているが、いつ、どうなるかわからない。ポルポトのように悲惨な歴史を繰り返さないためにも、歴史をよく学ぶ必要が大切だ。平和は自然とやってくるものではない。努力が必要である。このことをカンボジアから教えてもらった。(掘上)

3月1日(月) タケオへ。

キリチョンコ小学校へ移動。1棟は98年3月、2棟は99年3月開校。どちらの小学校とも大勢の人が集まっているのに驚いた。彼らにしてみれば、自分たちの村に日本人という外国人が来るということのすごさと、もう一つ、それだけ誰もが学校教育を意味あるものと考えているのだと感じた。そして、セカンドハンドの活動のすごさを改めて実感した。(植田)

3月2日(月) キリチョンコ小学校第二校舎開校式。

朝5時すぎに起床したが、すでに村の人たちは自分たちのために食事の準備や水くみなどをしてくれていた。自分も水くみバケツ(約20キロ)を持ったけど重たくて歩けなかった。この村の人々はいつも、子どもを含めて、1日に何往復もするらしい。僕たちのために水をくんだり食事の用意をしてくれた人々に感謝したい。(小峠)

朝から、どこからともなく人が集まり、式にはたくさんの人が出席していた。本当に、みんなの学校が出来るのを心待ちにしていたんだろう。(小玉)

子どもたちの笑顔は忘れられない。日本の子どもと目の輝きがまったく違うように感じられた。きれいに澄んだ目が生き生きとしていた。カメラを向けると笑ってくれる子やびっくりしたような表情になる子など様々だったけど、みんな今日はうきうきしているみたいだった。もう少し、子どもたちと一緒にいたかった。(川崎)