執筆者:宮本 天【ジャーナリスト】

日本におけるアジア研究の最高機関だった「アジア経済研究所」が昨年7月、日本貿易振興会(ジェトロ)に吸収合併され、その歴史にひっそりと幕を下ろした。行政改革の一環として進められてきた特殊法人の整理統合メニューのひとつで、既定路線通りの計画実施ではあった。だが、日本の人文科学研究界、とりわけ言語学界にとってアジ研が消滅したことはあまりにも重大な損失であることを筆者は改めて訴えたい。

行革の必要性に議論の余地はない。大部分の特殊法人が、これといった機能も持たず、単なる官僚の天下り先と化していることも事実である。そういう特殊法人が整理されるべきでもあることはいうまでもない。だが、アジ研は数少ない存在価値の高い特殊法人だった。特に研究者の希少なアジア圏の特殊言語の研究では、日本で最高の研究機関だった。受け皿となったジェトロにどれほどの存在意義があるのか。ジェトロこそ整理されるべき特殊法人ではないか。

特殊法人の統廃合について、それらを管理監督する各省庁の官僚たちは「安直な数合わせ」と抵抗した。彼らの本音が天下り先の減少への抵抗であることは見え見えだ。だが少なくともアジ研に関しては、官僚連中と同じ表現を使うのはしゃくに障るが、「安直な数合わせ」以外の何物でもなかった。「新アジア世紀」とさえいわれる21世紀を前に、アジア研究の専門機関を潰してしまったは場当たり的で軽率な判断としかいいようがない。

特殊法人は特別の法律によって設立される公益性の高い法人。政府が直轄事業とは別に企業原理を導入して営んでいるもので、「公庫」や「公団」、「事業団」などさまざまある。日本道路公団や住宅・都市整備公団、日本開発銀行、日本輸出入銀行、住宅金融公庫などが有名だ。

すでに民営化された国鉄や電電公社、専売公社に代表されるようにその数は漸次減っており、1975年には113法人あったが、95年には92法人になっている。アジ研とジェトロの統合は村山内閣当時の95年春に打ち出されたもので、輸銀と海外経済協力基金の統合などもこの時に決められている。

傘下の特殊法人の数減らしのノルマを課された各省庁は、天下り先としてキャパシティの大きい大規模な組織を残し、そこに中小機関を吸収する形で統合案を作った。アジ研のジェトロへの統合も、この発想で通産省が叩き出した結論だった。通産省のある幹部がいっていた。「所帯の小さいアジ研はどこかとくっつけることで決まっていた。くっつける先はどこでもよかったが、ジェトロがさらに大きな組織になるのは悪い形ではない」。大きな組織は初めから温存させるつもりだったようだ。

「われわれは完全な学者集団ですから、本省からするとまったく旨味がない組織なんですよ。役所の人がこっちに来ても仕事なんてありませんから。もっともわれわれが向こうに行ったって何もできませんけどね。本省からすれば守り甲斐がないんでしょうね。後ろ盾がある機関じゃないんです」

統合議論が出始めた当時、あるアジ研の役員は筆者にそう説明してくれた。

同氏がいう通り、アジ研は学者集団である。主要大学の大学院の有力な研究室と密接なパイプを持ち、博士課程を修了した優秀な研究者を安定的に採用、アジア地域の言語や文化・風習から政治・経済・社会情勢に至るまで、極めてハイレベルな調査・研究を行ってきた日本屈指の公的シンクタンクである。基礎研究機関として、日本のアジア外交に大いに貢献してきた。アジア地域が経済圏として世界的に重要度が増すなか、その役割はますます大きくなっていた。

一方ジェトロは、結論からいえばもはや完全に「無用の長物」となっている。ジェトロは80年代半ばまで「輸出振興」をキャッチフレーズにしていた。世界約80カ所に出先を設け、調査・収集した現地情報を日本の会員企業向けにに提供してきた。だが、その後企業の海外進出が急速に進み、今やその存在意義は風前の灯火である。

政府の通商政策の転向に連動して、80年代半以降は看板を「輸入促進のジェトロ」に180度ひっくり返し組織の温存を図ってきたが、ニーズの衰退はくい止めようもない。ここ数年はインターネットに代表される情報通信技術の発達が一層拍車をかけた。貿易商社のレゾンデートルが問われているが、構図自体はまったく同じである。

ジェトロが発行する定期刊行物に「通商弘報」という日刊紙がある。海外事務所発の「生」の海外ニュースを売り物にしているが、実際には現地の新聞や雑誌の「パクリ記事」ばかり。代表的な「ジェトロ白書」も大蔵省の貿易統計などの再構成でしかない。

現地事務所のサービス体制もお粗末なようで、ユーザー企業からは、「情報らしい情報をほとんど持っていない」「訪ねていってもまともに相手にしてもらえない」「アポイントを取らないと面会してもらえない」など「お役所根性丸出し」の対応に不満の声が多い。

「ビジネスサポート機関」を標榜しているジェトロだが、これでは「まったくサポートになっていない」(電機大手貿易業務担当者)。会員企業からは「通産省の手前むげにもできないから会員を続けているが、会費やなにやらで結構な出費になっている。完全に無駄な経費で、本当はすぐにでもやめたい」(自動車メーカー)とすっかり不評を囲んでいる。

だが、最大の問題はこのような行政全体に及ぶ横断的な問題をも省庁間の「なわばり原理」のなかで解決しようとする姑息な発想そのものにある。アジ研をジェトロとくっつけるくらいなら、ジェトロを輸銀とくっつける方が役割論からしてはるかに有意的だ。だが輸銀が大蔵省の管轄であるがゆえにはなからそういう絵が描かれない。

いらないものはさっさと潰すべきだが、百歩譲っていきなりそこまではできないというのなら、せめて現状より少しでも役に立つ形に改め、国益の向上につなげる努力くらいしろといいたい。「省益」の保存を前提にした行革など、あり得えるはずがない。

セクト主義でがんじがらめになっているあり様そのものを改める。「国民の生活向上に資する観点から最適な形」にすることである。形とは枠組みもさることながら規模も、なことはいうまでもない。その意味ではすでに決まっている省庁再編計画も、「最適な形」とは到底いえない。『ガラガラポン』になっていないのだ。

ジェトロの一部門に組み込まれてしまったアジ研。今年秋には現在ある東京・市ヶ谷から千葉・幕張に追いやられる。

「ジェトロの仕事が何なのか、同じ組織の人間になってもまったくわからない。あってもなくても、どうでもいい組織。それでいて結構な給料をもらっている。日銀の高給が問題になったけど、ジェトロだって相当なものですよ。これで行革っていうんですから、笑っちゃいますね」

あるアジ研職員が率直な感想を打ち明けた。今となってはジェトロのモラール低下にアジ研が毒されないことを祈るしかない。(みやもと・たかし)

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