執筆者:伴 正一【元中国公使】

●否定できない国家が権力機構という公理

「天は人の上に人を作らず」といったのは福沢諭吉である。

いまの日本人にはすらすら読んで何の抵抗もないだろうが、少し格好をつけすぎてはいないだろうか。聞こえはいいが読み方によっては、リーダーシップ、さらには国家権力の存在そのものを否定するように受けとられる。

そのことばに耳慣れている普通の日本人にはけっこう、この言葉の暗示にかかっているフシがあるから恐ろしい。

デモクラシーを民主主義と訳したことも、同じような暗示を与えた。民が主(あるじ)だというなら、主の上に権力があったらおかしい。同じような暗示の危険が「主権在民」ということばにも潜んでいる。

そんな言葉の遊戯とかかわりなく、どんなデモクラシーの国にも国家権力は厳然としてある。国民が選んだ大統領や首相の権力は強大で、立憲君主制下の君主にひけを取らない。権力の行使を分掌する役人の数だって、王制でなくなっただけで半分に減るものではない。

税務署はどっちの場合だってこわい存在であることに変わりはない。

それはそうだろう。もともと国家というものは権力機構だからこそ国家なのだ。だからデモクラシー思想もまた、当然のことながら国の統治に権力の不可欠なことを公理として認め、それを基軸に思想が展開されている。だが恐ろしいのは、この肝腎かなめののところで、さきほど言ったような暗示にかかってデモクラシーを無政府主義だと錯覚してしまうことである。この暗示から抜けきらないでいると、デモクラシーそのものが別のものに見え、無政府主義思想特有の観念論が割り込んできて建設的なディベートが”電波障害”を受ける。

●あえて民主主義といわなかった大正デモクラシー

問題は日本の戦後デモクラシーに、この致命的な症状があることだ。大正デモクラシーという言葉がある。皇室を憚ってか、大正民主主義と言わなかった。今になってみると、「デモクラシー」をそのままずっと戦後も使っていた方が賢明ではなかったかという気がしてくる。

当時の日本では微妙なところだったと思うが、デモクラシーというのは、天皇に代わって国家権力を行使するのは”有権者何千万人”ではなく、何千万人が選ぶ民選首長であることという一点だけを明確にしておけば、思い違いの起こりようがなかった。

どうしても訳語が欲しければ、「民本主義」で鳴らした吉野作造に断って、この「民本主義」をデモクラシーの訳語にもらい受けておけばよかった。こういう思想上のお膳立てができていたら、占領軍がやってきてデモクラシーが鼓吹されたとき、日本人は国の営みの公理を見失わないで、政治の現実とかみ合った思想内容でデモクラシーを理解しただろう。

この所論には、それこそデモクラシーを誤り伝えるものだという反論もあろう。その通りかもしれない。デモクラシーの原義を私が、勝手に仕立て直そうとしているのだと言われれば、それを認めてもいい。だが、その場合でも私はこう考える。

デモクラシー思想を西洋人が組み上げた論理構成そのままに取り入れるのもよかろうが、日本人の頭に入りやすいように仕立て直し、大体のところは同じでも、厳密な思想としては別物に仕上がった日本生まれのデモクラシーにして制度化するという手もある。そこは、日本人の好みで決めればいいことだ。国を経営していく上で、根幹的な制度を作るに当たって、直輸入だけを正当とする理由はない。

日本の祖先は、あれだけ儒教を尊崇しながら「易姓革命」の部分を採らなかった。それでどこが悪かったのだろうか。「放伐」を正しいものとする理論構成が日本では不必要だったし、天命という思想上のキー・ワードも、個人の奮起用に格下げされてしまった。そういうことでいいのではないだろうか

簡潔な表現では満足のいかないヨーロッパ人と、抽象概念を何階建てにも積み上げられると頭がおかしくなる日本人とが、大体はデモクラシーを共有できそうなときに、論理構成の隅々まで同じようにそろえなくてはならない理由がどこにあるだろうか。それぞれがすんなり分かる論旨を用いて、なくて済ませるような混乱を起こさせないようにする方がはるかに賢明ではないか。

いくら国民に、公民としての自覚が育ってきても、国の運営に心を向ける時間の余裕は限られるから、少しでも事柄を分かりやすくしておく配慮が必要なのだ。多々益々弁ず、百家争鳴もよしとするのは、ずっと先ならともかく、今の段階の日本では頂けない。

政治思想の分野で日本は欧米に半分も追いついていないかもしれない。だが、それは頭の善し悪しではなく、ものを考えていく段取りの違いが日本人の理解を手間取らせているのだと思う。

●鎌倉幕府が生んだ「職(しき)」=権利という概念

鎌倉時代に日本で生まれ、室町時代にはあらかた消えてしまった概念に「職(しき)」という言葉がある。日本で「権利」に該当する用語はこの「職」以外になかった。

戦後、大学で法律を学んで一番考えあぐねたのは、民法の分かりにくさだった。何でこんなに分かりにくい表現になっているのか考え、たどりついた結論は、第一章第一節「私権の享有」に始まって全編が「権利」でつづられているからだということであった。

例えば、「親の務め」といえば分かりやすいのに、「子供の権利」から解き起こすから理解するのに骨が折れる。いくら説明してもしっくりこないのは用語や言い回しが難解すぎ、日本語になじんでいないからだ。

「債権」や「賃借権」くらいの理解がやっとの平均的日本人に「主権」などという概念を持ち込むのはかなり残酷な話である。頭で分かったつもりでも納得したとはいえないだろう。日本人は都合のいいときには「民主主義」を振り回すが、潜在意識では直感で「どうせ建前論さ」と高をくくっている様子が見え隠れしている。本音では「お上」は現存しているのだ。

わがままな王様が臣下のすることがいちいち気に入らなくてわめき散らすように、国民という名の王様は、政治家という政治家をこきおろす。そうかと思うと一方で、業界のメンタリティーは「泣く子と地頭には勝てぬ」と黙りを決め込む。法的根拠もない主務官庁の「行政指導」には唯々諾々と従っている。この実態のどこに民主主義があるというのだろうか。(魁け討論 春夏秋冬 1998年09月01日付コラムから転載)

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