5月から耳の不自由な人も漫才が楽しめる(HABReserch&BrothersReport)
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
●家に帰って家族と一緒に笑いたい
昨年、お笑いの吉本興業が耳が不自由な人たちに楽しんでもらおうと「字幕漫才」を興行した。漫才の語りに合わせた日本語の字幕が舞台のそでで表示されるから、健常者と一緒に笑いを楽しめる。あほを売り物にしてきた吉本として「社会貢献のひとつぐらいやったろやんか」という軽いノリだった。どっこい、これが好評だった。こんどはVTRテープになる。同社の企画開発部の田中宏幸氏の話である。
「これをVTRテープにして。家に帰って家族と一緒に笑いたいから」
ある女性の声が吉本を動かした。というより企画開発部が感動した。
「耳の不自由な人たちは寄席とか漫才とは無縁と考えていたんですよ。われわれは。目からうろこというんでっしゃろか。これ」
5月にもこの字幕漫才のVTRテープができあがる。これからが吉本である。関西の大手家電の労組の人と話をしていて、1500円ぐらいで販売すれば売れるかもしれない。1万本も売れば元も取れると考えた。
さっそく日本聾唖協会に推薦文をかいてくれるよう頼んだら、みごと断られた。「聾唖を売り物にしてはいけない」といったらしい。
吉本は、耳の不自由な人々を餌食にしようなんて考えているのではない。だれでもがお金を出して楽しむ漫才だ。身障者に対価を求めてなにが悪い。言葉は乱暴だが、そんなごく自然な発想から1500円で販売しようということになったらしい。筆者は発想の奥深さを感じた。そもそも、ただのものは面白くないし、貰い物は一生懸命に読んだり見たりしないのがふつうだ。健常者だって障害者だって同じだ。
「字幕漫才VTR」が本当に商売ベースに乗ればすばらしい。売れるから次々に新作も生まれるだろうし、障害者はもっともっと笑いに接するチャンスに恵まれる。これこそ目からうろこというものだ。
●手話ダンスは聾唖者を愚弄するものだ
吉本の字幕漫才の話を聞いて、かつて高松支局に勤務していた時代を思い起こした。市役所の若者が「手話ダンス」なるものを考案して、休みごとに公演した。ダンスの振り付けに手話を加えて、歌詞を理解してもらいながら音楽が持つ「リズム」を体全体で表現した。
このボランティア活動を記事にした。地元の四国新聞にも大きく載った。ところが地元の聾唖協会が文句をいった。「あんなものは聾唖者を愚弄している」と言ったらしい。どうも、一生懸命やっている協会が注目を浴びないのに、市役所の若者のパートタイムボランティアが脚光を浴びたことが気に食わなかったらしかった。
公演を”聞いていた”耳の不自由な若者たちは、体を揺らして楽しそうにみえた。協会の人はどうして「よかったね」と一緒に喜んであげられないのだろうかと考え込んだ。日本の障害者問題は、ひょっとしたら障害者団体の人たちに内在しているのではないかとも考えた。
●ただものでない吉本という集団
とにかく吉本は常に新しい笑いの世界を作り出そうとしてきた。その先に、字幕漫才もあった。でも苦労が多いらしい。漫才では「耳よりな話だ」など、ほかの言葉で言い換えられない慣用句がどうもたくさんあって、これを字幕にするのに四苦八苦しているらしい。聾唖協会には「禁句」が多くてと嘆いていた。田中さんの話を聞いてから吉本という集団はただものではないと感じ始めている。
島田伸助は「元暴走族」で売り出して成功した。本当にそうだったのだが、当時、漫才家養成講座を開設したら「受講者は暴走族ばっかりになった。落ちこぼれが真剣に俺も伸助みたいになりたいといって、これにはまいった」そうだ。でも吉本に現在の教育が忘れているなにかがあるような気がしてならない。機会があったらもうすこし取材してみたい対象だ。