【読者の声】コンピューター化されたフォードのグローバル人事
執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】
1998年03月04日付萬晩報 「コンピューター化されたフォードのグローバル人事」に対する感想を掲載します。
●メルセデス本社の話はすごい
とても興味深い記事だと思います。企業内においてだけでなく、社会的に「国際化」という言葉に対する認識が日本と欧米では異なっているように私自身感じています。ただ、海外旅行することが国際化でもないのと同じようなものでしょうか。また、メルセデス本社での話は本当ですか。初耳です。すごい試みですね、日本国内ではまだ外国人の雇用に対する免疫がないので、同じようなことが身近になるのはいつのことか。【長野市在住】
●具体的事例が欲しかった
(1)面白かったです。私は今就職活動中の大学生ですが、企業の中には採用試験でTOIECを受けさせるところもあり、これからは本当に英語ができなくては企業の中でエリートとして残っていけないのだろうと思っていました。でも、実際は英語でコミュニケーションがとれる人材を日本企業は活用できてないのですね。記事ではむしろ昇進の邪魔になるとありましたけど、具体的に事例が上げられていたわけではなかったので、こちらが国際感覚が昇進の邪魔になる理由を想像するしかなかったのが残念でした。【大学生】
(2)「海外で意識改革に目覚めた社員は『帰ったら本社を変えてやる』と意気込んだが、帰任して半年もすると挫折した。目ざといエリート社員は『上を目指すには、海外での経験を捨て去ることが一番の早道である』ことをまもなく悟ることになる」「現在、約50万人の企業戦士が海外で働いている。そこそこのエリートである。だが、培われた国際感覚は昇進の邪魔でしかない。日本企業の国際化はその程度でしかない」の理由について何ら説明がされていないので、筆者の私的感情の域を脱していない。ニュース記事としては妥当性を欠く。たしかにそうなのかもしれないが、根拠を実例をあげて説明して欲しかった。【無名】
筆者より:1998年02月12日(木) 「フェアな競争に待ったをかけた松下本社」に具体例を挙げていますので読んで下さい。
●経験を捨てきれずに変化を待つ
「海外での経験を捨て去ることが出世の早道」とはよく言った。おっしゃる通りです。私は外資系の石油会社に勤めていますが、外資系といえども、日本法人は都合のいい時だけ外資系面するが、本質的には日本企業です。ただ、石油業界に吹き荒れる激しい環境変化の中で、当社も一気にアメリカナイズされそうなので、私自身は海外での経験を捨て切れずに変化を待っています。でも、やっぱりぜんぜん出世はしていません。【外資系企業勤務】
●単なる嫉妬の対象でしかないのか
どうしてこと日本においては、海外から帰った社員は「昇進するためには、海外での経験を捨てなければいけない」と思うのでしょうか。海外で生活した経験は、海外に赴任したことのないものにとっては、単なる嫉妬の対象でしかないからでしょうか。私の周りにも、大学を卒業してから海外へ行く友人が何人かいます。そのほとんどが、正規留学でも就職でもなく、語学留学やワーキングホリデイの類です。実際、今多くの若者が海外に流出していますよね。でも、そんな人たちの中の何人が、真の国際感覚を養って帰国するのでしょうか。ただのモラトリアムの延長か、あるいは「海外生活の経験あり」という肩書きのかっこよさにあこがれているだけのようにしか思えないのです。私のこの考えは、彼らの対する嫉妬なだけなのでしょうか?私のような考えの人間が大勢いるから、今の日本企業では国際感覚は昇進の妨げになっているのでしょうか。【無名】
●経験の場と機会が足りない
私は東南アジアのマレーシア工場へ1年半、生産管理のアシスタントマネージャーとしていっていました。マレー人、華僑、印僑、その他の多言語国家ですので、私の所属していた生産管理部門もマネージャーが現地のインド系、購買管理のオフィサーが中国系、輸出入ロジスティクス管理がマレー人、計画・進捗管理の私が日本人ということで、母国語がタミール語、北京語、マレー語、日本語で、会議は英語とマレー語のごっちゃで行われていました。
私が思うには、日本人に限らず、人は内々にこもって同じ人種しか信用していないのが通常だと思います。日本人は日本人しか信用せず、現地の人たちを見下した態度を取りがちですし、中国人は中国人しか信用せず、自分達のライフスタイルを変更する気はないようです。「マレー人でマレーの国から外国人は早く出て行けと思っている人は結構多い」とマレー人の親友は言っていました。
外国人・他民族が日常として存在するマレーシアでもそうだったのに、外国人がまだまだ非日常で、総称して「外人」などと呼んでいる日本人が、そのようなアレルギー的反応を無くすには、経験の場と機会が足りないと思います。いままで1人で車を運転した事の無い人が、運転が下手なのは当たり前で、みんなで考えていくのはもっと車を運転しよう、または道で初心者にはどう対応するかだと思います。
今、既得権益を持っている40歳代~50歳代がそれが良い・悪いは別として、新しい考え方の存在を認める事は、引退するまでしないんじゃないかと今は私は思っています。【元マレーシア勤務】
●問われる国籍を離れた職場での仕事の能力
米国出向していた前後のことを思い出しました。私は1982年秋から1987年春まで一時期を除いてニューヨーク州にある現地法人に出向していました。会社は約20人の日本人を含む400人の規模で事務機器の販売会社で、会計を中心に受注・出荷・市場機器の補捉等を担当しました。事業計画の収支を米国人同僚と二人で始めたのを振り出しに、一時は合計30名強の部門を管理していました。私の会社だけでなく、当時、グループの米国本社には700人ほどの日本人が働いていました。これらの日本人を見て、当時次のように分類していました。
6割くらいの出向者は、ほぼまったく日本のままでした。彼らの仕事のほとんどは日本との調整、あるいは日本人のための仕事で、昼食も日本人同士でほとんど日本飯屋へ行っていました。彼らは帰国後ほとんど問題なく短期間で復帰できます。しかし、他国において他国の文化の土壌の上で仕事をしたり、あるいは日本企業の風土を現地の人々共有することに概ね熱心ではありませんでした。また仕事以外の場に純日本人型が混じるとほかの参加者の居心地が悪くなります。彼らには、それぞれ個人としてのアイデンティティーが弱いように見受けられました。
次の3割の日本人は、現地の人々と共に仕事をし、相当程度異なった文化的風土を理解していました。かれらは、場合によっては受け入れにくい本社による決定をできるだけ合理的に説明しようとします。同時に、オフィスだけでなく、昼食、アフターフアイブあるいは週末のバーベキューなどをいっしょに楽しんでいました。不思議なことに、これらのひとびとの大部分は、帰国後まもなく日本型のタイプに復帰できるようでした。少なくとも数年の内には、まったく米国経験を感じさせないようになってゆきました。おそらく、彼らはとても器用で、それぞれの環境に対応できるのでしょう。
最後の1割は、おそらく元々日本的でなく、正に水を得た魚のように現地に溶け込みます。多くの場合、彼らはそのまま現地に溶け込むことを望み、帰国復帰をするかわりに、現地での就職をさがします。しかしながら、米国の過半はきわめて内国的風土で、日本関連以外の場での活躍は困難です。彼らの多くは、日本企業に残った場合の仕事の大きさと、生活面でのメリットをトレードオフした形になるようです。
私自身は二番目のタイプで、且つ復帰できなかった少数派だった様です。米国で、一人一人の値段がすべて異なる流動性のある雇用市場をみて、日本の制度(若年層の過剰人員と低賃金による高生産性が、高年齢層の低生産性を補完する)は企業成長の維持を必須の条件にしており、会社と一体の利害の形成で、流動性を著しく阻害していたように思われました。帰国当時(80年代後半)、私には終身雇用と年功賃金が2000年までもたないように感じられ、日本企業以外での仕事を求めることにしました。私の世代が、最終的に持ち出しに終わるのではないかと、考えたのです。
その後10年を経て仕事の国際化を思うときに、真の国際化とは日本企業の海外進出でもなく、あるいは米国企業の企業運営方法の国際的認知ではない様に思われます。個人レベルでの国際化あるいは国際的意味での価値の増加は、国籍を離れた場所における仕事の遂行能力であるでしょう。日本人女性がフォードのためにタイで日本企業取引以外のために働くという記述は、まさに個人の国際化でしょう。アジアでは極めて多くの英国人とオーストラリア人がそれぞれの出身国とは関係のない分野で働いています。英語を話すという絶対的優位性はあるものの、それ以上に高い環境対応能力があるようです。同じように英語を母国語とする米国人にはこれの対応能力がすくないようで、実際米国企業以外で働く米国人は少ないようです。現在私の部下として働いていルメンバーも英国人、インド系オーストラリア人、香港系カナダ人等国際化した人々です。但し、これら有能な人々が就職することにしたのはもっとも国際化した米国企業ではあります。【元アメリカ勤務】