1993年度予算案は前年比ほぼ横ばいの一般会計72兆3548億円。当初段階から国債発行の大幅増を決断しただけでなく、地方交付税交付金の特別減額や政府管掌健保の国庫補助の繰り延べなど歳出のやりくりが目立つ。最大の歳入源である税収面でも見掛け倒し。実質経済成長率を民間シンクタンクでも予想していない高めの3.3%と設定したため早くも歳入欠陥を危惧する声すらを出ている。巨大・複雑化した政府予算はますます国民に分かりにくくなっている。

 国債依存体質への回帰
 1993年度予算案を特徴づけるものは景気刺激のための国債の発行増だ。一般会計72兆
3548億円。前年とほぼ同規模の予算に対して歳入では新規国債発行を11.7%増やして8兆1300億円とし、逆に歳出では過去の国債償還費となる国債費を6.1%も減らして15兆4423億円とした。
 一般会計だけをみればなんだ返す額が借りる額の倍近いのだからまずまず日本の財政は健全だと見られかねない。
 しかし歳入となるのはあくまで『新規』発行分だけ。過去に発行した分で満期が到来したものは元金を返済しなければならないので、その元金相当分を借り換えることになる。新聞をよく読まないとその当たりの事情は飲み込めない。
 結局、93年度に大蔵省が見込んでいる発行額は『借り換え分』も含めて・・兆円にもなるのだから借金の残高だけは来年度もまた増え続けることになる。
 日本の財政は80年代後半の長期的な景気上昇局面で借金体質からの脱却の歩みを着実なものにしてきた。新規の国債発行は年々減少。76年からやむなく発行してきた赤字国債は12年目にしてようやくゼロにすることができた。
 これで財政再建の第一のハードルを乗り越えたが、170兆円もの借金を抱えたままでは健全財政とは程遠い。ところが九一年度からの景気後退で日本の財政は再び税収不足を借金に頼るという安易な選択をした。
 日本の場合、一度つけた予算を減らしたり、なくすことは非常に難しい。このため、この予算案は将来必ず、エコノミストから『再び国債の大量発行の道を開いた財政政策』との指弾を受けることだろうことを忘れてはならない。
  景気の足引っ張る国債大量発行
 1980年代のアメリカは大量の国債発行と金利高に悩んだ。巨額の財政赤字を埋め合わせるために大量の国債を発行した。完全な入札制度による発行であるため、安い金利では誰も引き受け手がいなかったから発行金利は上昇、十数%にも上る金利となり、生保など日本の機関投資家も大量入札に応じたことは記憶に新しい。
 この結果どういうことになったかといえば、市中金利も上昇、企業の投資意欲も大きく減退した。アメリカの競争力減退の原因は企業が財テクに走ったことなどほかに求められることが多いが、実は財テクの原因のひとつとなったのが市中金利の上昇でもあった。モノ作りよりも金融商品を購入した方が手っ取り早くもうけることができたからだ。
 財政赤字と国内景気との関係は難しく論じればきりがない。単純化すれば『モノを作らなくなれば景気は落ち込み税収も減る』という経済原理だ。アメリカでその原因の一端を担ったのが『国債大量発行=金利高』という経済現象である。
 日本の経済ジャーナリズムはアメリカの財政赤字を問題視する傾向は強いが、自国の財政赤字と国内経済を論じることはほとんどない。
 それは国債の大量発行と市中金利との間に連鎖がなくなっているからだ。昨年以来の経済対策を振り返ってみても、財源はほとんどが建設国債であるから市中金利が上昇してもおかしくない。公定歩合が下がっているのに金融機関の貸し渋りで金利が一向に下がらないという話は聞くが、国債の発行増による金利高の話題はない。
 もちろん政府の国債発行計画というものがあって意中で消化できる範囲内での発行にとどめられているという事情もあるが、92年度補正予算での・兆・億円の追加、93年度予算でも・兆円増額という緊急事態を控えて金利情勢が動くのが金融市場の常識ではないだろうか。
 政府にしても『国債発行が子孫に借金を残すことになる』という主張はするが、それが金利高を生み、結果的に企業の投資マインドを冷やすという市場経済の基本原則に触れることは少ない。
 これが摩詞不思議な日本的金融市場の実情というものではないだろうか。国債の金利や発行価格は『金融機関による入札でその都度決まる』のが建前だが、実際には市場原理が働いていないのではないかという疑いがある。
 確かに国債は国の借金だから返済にあたっては高い信頼性がある。とはいうもののバブル崩壊後の金融機関にとって引き受け金額の増加はたやすいものではないはずだ。
 本来、金融機関は政府から購入した国債を市中に売り出し、手数料を稼げることになっている。しかし銀行などの窓口で国債を購入する人は少なくなってきている。
 株式と同様、国債も国民のものではなく金融機関や機関投資家が市場で売買、利ざやを稼ぐ道具となってしまっている。こうした状況は多かれ少なかれアメリカも同じなのだが、決定的に違うのは『売れ残り』が出るか出ないかという状況である。
 もちろんアメリカでも売れ残ることはまずないが、市中で消化できないほどの量だったり、金利が安すぎたりすれば、金融機関にそっぽを向かれるということである。
 弱みを握られる金融機関
 ではどうして日本の金融機関は政府・大蔵省に対して『そっぽを向く』ことをしないのだろうか。それは『安定経営』を維持するうえで常々御世話になっているだけでなく、最終的に『銀行はつぶさない』という大蔵省に対する絶対的依頼心があるからだ。
 今回のバブル崩壊の深刻さは、都市銀行や長信銀のひとつやふたつぶれてもおかしくないほどなのに、そうした危機感は一切伝わってこない。
 ずたずたの92年度当初予算
 税収のうち景気変動から影響を受けやすいのは法人税と有価証券取引税の二つだ。年度ごとの税収見積りは基本的に次年度の経済成長率をもとに割り出すが、逆に法人税と有価証券取引税の当初予算見積りと決算ベースでの実収の乖離を比較すれば後講釈ながら景気の変動を解説することもできるはずだ。
 有価証券取引税は八九年度から既に減少に転じ、法人税も90年度から前年度水準を下回り始め、個別税目では歳入の欠陥が生じてきている。にもかかわらず、91年度の予算編成ばかりか、九二年度でも前年度を上回る税収見積りとなっている。
 91年度、92年度をみるかぎり大蔵省は二つの税収の当初見積りと実収との乖離に学んだ形跡はないのだ。
 天下の秀才の集まりである主税局がそんな単純ミスを犯すはずはない。誰もがそう思うはずだが、実際には政府としての『政策的成長率』を掲げざるをえない現状では、どうしても高めの成長率が打ち出されるというからくりがある。
 景気後退期には政策的成長率は高めとなるため、その結果はじき出される『理論的』税収見積りはどうしても実態経済を上回るものとなってしまう。