民族大移動時代 1991年6月Libre
日本人が1000万人も外国へ出かけ、300万人の外国人が日本を訪れる時代。国際空港の整備が地方都市にもおよび、日本人が外国人に接する機会はますます多くなってきています。中小の工場だけでなく大企業でもアジア人や日系ブラジル人が多く働き始めています。日本の人手不足がもたらした現象と思われがちですが、世界を見回してみますと決してそんな単純な要因だけで国境を越えた人の交流が増えているわけではないようです。
ヨーロッパでは北部アフリカからの労働者の流人に加えて、この2、3年はソ連・東欧からも大量の移民が押し寄せています。北アメリカ大陸ではメキシコだけでなく、太平洋をはさんだアジアの国々からも成功のチャンスを求める人の波が途絶えることがありません。アジアでは韓国や台湾にまで途上国からの出稼ぎ労働者が押し寄せています。いわば世界的な「民族の移動時代」の始まりと位置づけることもできるかもしれません。
理由は多々ありましょうが、政治的迫害を理由とした亡命といった意味合いは小さく、経済的豊かさや成功へのチャンスを求めた動機がほとんどです。受け入れ国側は、「経済難民」という表現を使っていますが、ソ連・東欧から西ヨーロッパへの動きでは必ずしも食いつぶれたイメージはありませんし、日本で不法に働くアジア人たちも半数が高学歴者だという報告もあります。
今後はますます多くの日本人がビジネスチャンスをつかみに外国に出かけ、そして多くの民族の人々が日本で生活することになります。日本人としてのアイデンティテーを失うことなく、市民レベルで国内外で他国の人々とどのようにうまく暮らしていけるか。これまでに私たちがもっとも不得意としてきた分野ではありますが、一段の国際化のためにはどうしても避けて通れない道となることでしょう。
始まったソ連・東欧の人々の国外脱出
全ソ世論調査センターが最近実施した調査では、現在ソ連人のうち800万人が国外への移住を希望、そのうち200万人はすぐにでも出国したい意思を持っているといわれます。さらに出入国が完全に自由になれば3000万人がソ連を脱出するとの予測も出ています。
そしてその波は実際に始まりつつあります。ソ連の場合はまだ出国に関して多くの規制がありますが、東欧から西ヨーロッパへの人の移動は比較的簡単になっています。ハンガリーが2年前、オーストリアとの国境を開放して、東ドイツの人々が、雪崩を打って西側に脱出した事件を覚えているかたも多いかと思います。
こうした状況について、英国のエコノミスト誌も歴史的な民族の大移動の予感に警鐘を嗚らしています。西ヨーロッパの人々は、ソ連・東欧からの民族移動の圧力に対して非常に敏感になってきています。欧州共同体(EC)では、どうしたらそうした移民希望者の入国を阻止できるかが大きな問題となり、さらに経済協力開発機構(OECD)でも課題として取り上げようとする動きが強まっています。
日本の報道ではほとんど伝えられませんでしたが、今年3月にローマで移民労働者に関するOECDの重要な会議が開催されました。北アフリカからの不法労働者問題に加えてアルバニアからの難民問題を抱えるイタリアの呼びかけにOECD加盟各国が応じたもので、会議は国境を越えた大量の人の動きに対して先進国としてどう対処するかが大きな課題となりました。そこに白人社会の危機意識が象徴的に浮かび上がってきました。
英国、旧西ドイツ、フランスといった西ヨーロッパの主要国の労働者に占める外国人の割合はすでに10%を超えています。アメリカでは人口の6%が外国で生まれた人々で占められています。教育や社会保障の問題だけでなく、異人種が共存することによる摩擦が広がっているのは事実です。そうした現状の上に、さらに外国人を受け入れる余裕は各国ともあるとはいえません。
平等な人権や労働力の自由な移動が認められるべきだ、と考えられてきた西ヨーロッパのリベラルな上層部の人々でさえジレンマを感じ始めているのです。
困難に直面している西ヨーロッパ諸国のなかで、対応に一番苦労しているのがイタリアです。イタリアはスペインやポルトガル、ギリシヤなどとともに、かつては70年代までは西ドイツやフランスへの労働力供給国でした。アメリカにも多くの移民者が渡っています。そのイタリアが80年代後半に入って移民の受け入れ側になってしまったのです。
多くは北アフリカのアラブ諸国からの流入で、まさにボートピープルとして小さな船で地中海を渡ってくるケースもあるそうです。
最近アジアからの不法就労者が増えている日本と同じ経験をしているのです。違うのは過去二度にわたり、「恩赦」的措置として不法就労者への正式ビザの発給を実施してきていることです。これはどこの国でも同様ですが、新たな入国者への審査を強化する一方で、すでに入ってしまっている人々への救済措置も取られているのです。キリスト教仕会の博愛情神に基づくものといえるかもしれません。
アメリカもまた移民で深刻な問題を抱えています。もともとアメリカは移民者によって国家が成り立っている特殊な国ですが、80年代に史上もっとも多くの移民を受け入れました。問題はかつては白人と非白人の移民の比率が9対1だったのが、最近ではこの比率が逆転しまっているのです。このまま移民を受け入れていくと将来、アメリカは非白人が過半数を占める国になってしまうとの危機感が高まっています。
先進国の人口はもはや急増の恐れはありませんが、途上国の人口は今後ともますます増える傾向にあります。労働機会の喪失や土地不足など多くの理由が途上国に住む人々を先進国に押しやる圧力となってくるでしょう。
そしてマスメディアの発達が彼らに先進国での「バラ色の生活」を想像させ、国外脱出の夢をかきたてていくのです。
湾岸危機でみたアジアの過剰労働力
こうして世界的に眺めると、このところ日本へ押し寄せるアジアからの不法就労者の問題も単なる極東の島国での局地的出来事でないことが分かります。
アジアの場合、さらに湾岸危機という特殊要因もあります。クウェートや中東の産油国では、以前から多くのアジア人労働者が出稼ぎ労働しています。昨年9月からの湾岸危機でこうした労働者が湾岸諸国からの脱出を余儀なくされ、母国に戻っています。中国、フィリピン、タイ、バングラデシュ、パキスタン、インドには数万人単位が帰国、それでなくとも失業率の高いところへ戻ったため出稼ぎ労働者の帰国が社会問題化しています。
1万人が帰国した中国では帰国費用、賃金不払いや貯金喪失含めて11億7000万ドルの損失になったといわれます。フィリピンでは3万人が帰国、新たな職場を求めて日本への入国者も増えています。
1万人とか3万人とか簡単にいいますが、小さな地方都市の人口が一度に移動したことを想像すれば、これは大変な社会問題なのです。
そもそもアジアは人口が多く、潜在的に労働力が過剰な状態が続いています。かつてはそうした労働力が農村地帯に集中していたのですが、工業化の進展で、労働力は都市へ、そして国外へと流出しているのです。
いまアジアでは労働力が逼迫している国と過剰なままの国とが二極分化しています。人口規模が大きく工業化か遅れる南アジア諸国がいまだに巨大な労働力余剰を抱える一方で、日本をはじめ韓国や台湾では労働力不足に悩んでいます。単に足りないだけでなく、人手不足が賃金の高騰を招き、構造的な物価上昇圧力となりつつあることも、国全体の経済としても見逃すことができない状況になっています。
日本など労働力が不足している国々では、不法と知りつつも外国人の雇用がどんどん進んでいるのです。企業にとっては、生産をストップするか法律を犯しても外国人を雇うか選択はないはずです。国全体からみれば、経済成長を鈍化させるか。極端な場合は将来的に「マイナス成長に甘んじるのか」といった厳しい選択さえ突きつけられているといってもよいでしょう。
労働研修制度への模索
こうした状況のなかで、日本政府としては昨年6月の入管法の改正で、未熟練の外国人労働者に対してはさらに厳しい措置を取ることになりました。雇用者に対しては刑事罰さえ付け加えられました。しかし一方で、研修生の受け入れ拡大という形でアジアからの労働力輸出圧力に対処することになりました。
また、日系ブラジル人に対しては移民の子孫であることに配慮、日本での就労を支援する措置を取っています。この結果ブラジルからの出稼ぎ労働者は87年5000人程度だったのが、88年1万人、89年4万人、90年8万人と年を追うごとに急増しています。
研修生受け入れ拡大では、労働省が中心となって支援機関を7月に設置することになっていますが、まずは中国との関係で。中国政府に送り出し体制を一元化することを求めています。労働省の計画では年間数千人規模でスタートしたい考えで、同様のシステムを他の国にも順次適用することになりましょう。
それでも問題が解消されたとはいえません。すでに国内には30万人ともいわれるアジアからの不法就労者が存在しています。一挙に国外退去を求めることも不可能ではないのですが、そうすれば国際的な人道問題に発展しかねません。かといってそのままいつまでも不法状態で放置することもできません。
中長期的にみれば、欧米諸国が採ってきたように部分的であっても不法就労者に対する「恩赦」措置に踏み切らざるをえない時期がくることは避けられそうにありません。
私たち国民レベルでもそうした事態、つまり国内での外国人との共存に対してどういう問題が起きるのか、またそうした問題にどう対処したらいいのか、いまから十分準備しておく必要がありましょう。