労働時間短縮の新たな局面 1991年5月Libre
勤労者の賃金を交渉する今年の春闘で「時短」が大きな課題となりました。労働時間短縮を求める内外の圧力が強まるなかで、鉄鋼業界や電機業界では年間労働時間を1880時間に近づけるための労使の収り組みが始まり、政府もまた1993年3月までに年間労働時間を1800時間に近づけるという大目標に向けて、労働基準法の週法定労働昨間短縮や残業時間の短縮に本腰を入れ始めています。
世界的にみて賃金面では先進国の水準に追いついたいま、「ゆとりと豊かさ」を実現するには労働時問の長さが最大の障害になっています。ドイツと比べて同じ賃金水準にありながら、労働時間が2割も3割も多い現状は、真に不可解な現象といえます。
そうした日本の長時間労働の問題は、かねてよリ国際的にも批判されているのです。また国民が一向に豊かさを享受できないのは、労働時間が長く、生活が会社中心だからです。
労働時間の短縮は残業カットという側面では勤労者にとっても苦痛を伴うものですが、もはや時短の流れには逆らえそうもありません。このところ国内の労働力不足が深刻な問題として経営を圧迫しており、人材確保という新たな視点からも労働時間の改善が求められているからです。長年長時間労働になじんできた日本的経営は、今後数年間のうちに大きな意識改革を迫られることになりそうです。
鉄鋼労連、電機労連の1800時間への模索
今年の春闘では「春闘=賃上げ」という構図が大きく変わりました。連合が早くから「時短」の獲得を前面に押し出し、労使交渉の最大の舞台である春闘の目玉要求として持ち出したからです。
おカネでは買えない勤労者の「生活時間」を取り戻すという発想の転換で、ゆとりある生活の実現を経営者に突きつけました。山田精吾事務局長の「ドンキホーテといわれても全力でやる」との、言葉に連合の決意のほどがうかがわれたといえましょう。
春闘でのリード役は鉄鋼労使でした。3月中旬には賃上げに先立って新日鉄など鉄鋼大手5社が、「90年代半ばまでに年間所定内労働時間は1900時間を切るよう段階的に休日を増やす。年間総実労働時間でも1800時間台を目標とする」ことを内容とした中期ビジョンを明示して、時短の流れを決定づけました。
現在の鉄鋼大手の年間所定内労働時間は1971時間、残業を介めた総実労働時間は2000時間強です。国内の産業界では短いほうの労働時間ではありますが、それでもこの目標を達成するには、5年間で10日程度の休
日増に加えて、残業時間の削減や年休の消化率をさらに高めないことには1800時間台は実現しません。
続いて電機業界の大手組合労使が時短へ向けて前向きな取り組みで合意しました。電機労使は、大手鉄鋼と同じように「時短推進に向けた労使協議会」の設置で合意しました。また土曜日と祝祭日が重なった場合の振り替え休日の制度化らしくは特別休暇1日増を獲得しました。
ただ経営側は、「1993年度末までに年間総実労働時間を1800時間とする」という組合の要求に対して「達成目標をあらかじめ具体的に示すことは難しい」として労使協議会の設置にあたっては具体的数値の明示は見送られました。
国内での残業時間が多いことで海外から批判にさらされている自動車業界は、組合側が93年までに5日の休増を要求しましたが、経営者側から「昨年暮れに時短に合意したばかり、年問休日は全米自動車労組(UAW)よりも1日多い」(トヨタ)、「時短は春闘以外の場で交渉したい」などとかわされ、結局、時短は来年の春闘に持ち越されました。
政労使合意の時短路線
連合は、91春闘の目玉として「時短」を収り上げ、93年年度1800時間達成へ向けた「時間外・休日労働の削減と年次有給休暇取得促進のための指針」を決定しました。所定内労働時間の縮減はもちろんですが、残業の削減と有給休暇の取得率増加に主眼を置いています。
昨年の春闘調査によりますと主要労組の残業時間は単純平均で253時間。また、権利として与えられている有給休暇も3分の2以下しか取っていません。連合が目標とする残業150時間と取得率100%とはほど遠い状況なのです。
まず、残業については労使間で3年間、毎年20%ずつというような段階的削減計画の作成を要請しています。また毎週水曜日とか給料日とか特定の日時を定めて「ノー残業デー」を設定して、週1回程度の実施を求めています。
残業について連合は、「本来臨時的なもの」と位置づけています。「残業をできるだけ少なくする必要があり、毎日のように残業があってはならない」と主張しています。このため残業のないような勤務シフトを組むだけでなく、生産体制や、人の配置から作業手順まで総合的にメスを入れて見直すことが必要だとしています。
また有給休暇に対しても、「労働から解放されてゆっくり休養をとるためにあり、休暇のまとめ取りが基本」との考えを持っています。このため年度の初めにあらかじめ有給休暇の取得計画を立てることを求めています。
経営者側は時短では完全に意見が一致していますが、「時短」も「賃金」もと「二兎を追わず」まず時短から先に解決していこうという姿勢で、まだまだ労使が一致点にあるとはいえません。
政府は、こうした労使の時短交渉をにらみながら、1週間の法律で定められた労働時間を40時問まで短縮するよう政令の改正作業に着手していました。また残業の最長時間を規定しているガイドラインを現行年450
時間から大幅に短縮することにしています。
時短と賃金-意識改革は可能か
企業の時短が大きな課題となっている背景には、時短促進を迫る国内的要囚と「長時間労働こそが不公正な労働慣行である」とする国際的批判が強まっていることがあります。
政府は、88年に策定した経済運営5カ年計画(88-92年度)で、「計画期間中に年間労働時間を1800時間程度に向けできる限り短縮する」との目標を設定しています。
年間労働時間を欧米的に比較すると。ドイツやフランスは1600時間台、米国や英国でも1900時間台です。2000時間を越える日本の労働時間を欧米並みにまで縮減するのが狙いなのです。
一方、2年前から1年間かけて検討された日米構造協議でも米国が指摘した「日本側の問題点」のなかに長時間労働が組み込まれていました。「幸か不幸か最終報告では労働時間の問題は触れられなかった」(労働省幹部)のですが、欧州共同体(EC)からも同様な指摘が再三にわたりなされています。
さきほど来日したドイツ金属労組(IGメタル)の委員長で、95年からの週35時間労働を獲得したシュタインキューラー氏は、「労働時間の問題は基本的には国内問題です。しかし、ある国の長時間労働によって競争する分野での競争力が侵されることになれば、われわれも黙っているわけにはいきません」として、暗に日本の長時間労働に対して懸念を表明しました。
時折は経営者にはコストアップとなり、労働者にとっても手取り収入の減少につながりかねない問題で、双方にとって苦痛を伴うものです。
しかしながら、こうした時短をめぐる労使の膠着状況を打開する道が開かれつつあるのです。人手不足による人材確保が難しくなりているからです。新規採用でも中途採用でも同様ですが、新たな人材採用に当たって、労働時闘や休日といった労働粂件の改善が切迫した課題として浮上してきているのです。
与えられた有給休暇すら満足に取得できないような劣悪な労働環境では、人材確保が極めて難しくなっていくだけでなく、すでに働いている従業員にとっても他企業の労働環境の改善は「転業」を押し進める大きな動機付けとなってしまいます。
政府が定めた1800時間を達成する目標年次まで残された時間は2年を切っており、目標達成は容易ではありません。経営者自身が新たな発想のもとに長時間労働にメスを入れないかぎり新しい時代を乗り切ることはできなくなるでしょう。