日米構造協議にはふたつの側面がある。ひとつは日米経済摩擦であり、緊急に解決を図る必要があるという側面と、もうひとつは日本が国際的なルールを導入して産業中心社会から国民生活重視社会へと脱皮することを求められている側面だ。後者は、土地や株高のアフター経済に象徴されるように産業社会もこのまま放置するれぱ地盤沈下しかねないというこれも実は緊急性を帯びた課題でゆっくりとはやっていられない。
 戦後の憲法改正、農地改革、財閥解体といった3つの重要な変革は占領下だったとはいえ4、5年で一気に行われた。それに匹敵する構造的変化を日本が今後数年間でしかもみずからやり遂げなければ国際社会に生き残れないという事実は脅しでもなんでもない。
 ソ連・東欧諸国は社会主義の呪縛を内部からときほぐし、市場経済の道を選んだ。改革が成功するかどうかは分からない。短期、中期的にはインフレによる実質所得の減少を招き、貧富の差の拡大も起こる労働意欲がさらに減退して国民生活に混乱をきたすということを覚悟の上で、市場経済の道を選んだはずだ。
 日本もソ連・東欧と同様に社会、経済構造の大変革を国際的に約束するのならば「相当の危機に直面している」といってよい。
 そんな重大事に日本が直面しているにもかかわらず政府は構造協議の進展について国民に情報を公開していない。構造協議は突き詰めていうと「官僚による国民支配」に対する強烈なアンチテーゼといってよい。中曽根政権の売上税騒動を覚えているだろうか。首相が選挙公約で「投網をかけるような税制は導入しない」と約束したことが公約違反といわれたが、そもそも中曽根首相の念頭には蔵出税があり、国民から消費の段階で課税する売上税などは考えていなかった。にもかかわらず選挙が終わると大蔵省はEC型付加価値税にほとんど近い税制を持ち出しむりやり国会に提出した。大蔵省は首相をもだましたことになる。
 今回ワレントンで開催された日米非公式会合について外務省高官は「話が漏れてはまとまるものもまとまらなくなる」といった。もし話が漏れてまとまらないようなものなら、まとめてもらわない方がよい。いずれ官僚の縦割り行政のつけを国民が被らなければならないのだから。
 来年はパールハーバー50年を迎える。構造協議を日米戦争になぞれば大袈裟だといわれかねないが、米国内には50周年の行事を大々的に行おうとする動きがある。日米が経済的に大きな危機に面しているときに日本の官僚は省庁の争いなどやっている。危機管理能力を疑うどころか、このまま放置すれば太平洋戦争に二の舞になりかねないことだけは強調しておかなくてはならない。

○構造協議の発想(宇野・ブッシュ1989年7月合意)
○ブッシュ大統領のイニシアチブ
一日米構造協議が日米首脳聞で合意されたのは、先進国首脳会議(アルシュ・サミット)を前にした1989年7月15日、パリでの宇野首相とブッシュ米大統領との日米首脳会談。日米間の五百億ドルにも上る貿易収支不均衡の是正が緊急の課題で、2月に一度のペースで会合を持ち、1年後に双方の努力目標を盛り込んだ報告書をまとめることになった。
 日米構造協議は米国では「Structural Impediment Initiative」(SII)といい、直訳するならば「構造障壁への発議」。構造障壁を除去するため、率先して、あるいは自発的に行動する強い意志表示を込められている。
 それを日本政府は「構造問題協議」と訳したところに日本側の意図の取り違えがあった。米国の意図を知りながらあえて「構造問題協議」と訳したのならば、問題はさらに大きいと言わなければならないが、当初は単に「構造問題を協議する場」としか考えていなかったようで、日本政府に認識の甘さがあったとしかいえない。
 「イニシアチブ」という言葉を米国が使った最近の例では、レーガン米大統領が強力に推進した対ソ「戦略防衛構想」(SDI)がある。英語ではStragic Defense Initiative。最新技術を駆逐してソ連の核ミサイル攻撃を宇宙空間で徹底的にたたきつぷすという内容で、言葉の背後にソ連たたきの米国の強い決意が込められていたといってよい。日米通商問題で、ブッシュ米大統領が『イニシアチブ』と言い出したときに米国の積極的意図をもっと自覚しておく必要があったはずだ。
 構造協議はもちろん日本側の構造障壁だけを取り扱うのではなく、米国側の問題も話し合うことになっていた。2国間の経済関係が密接になった結果、お互いが内政干渉という危険を顧みず話し合う必要が出てきて、お互いの政府がそうした協議に応じていこうと内外に公約したのが宇野・ブッシュ会談の意味だったといえよう。

 一方的貿易交渉のスタート
 日米構造協議は、その前年8月の『88年包括貿易法』の成立を伏線としている。米議会が約2年にわたって審議してきた貿易法で、米国側にとって不公正な国やその国の商慣行を一方的に不公正と決めつけ、貿易交渉の開始を義務づけるスーパー301条(不公正貿易国と行為の特定・制裁)という新条項が盛り込まれたのが特徴だ。
 対日強硬派議員からは『対日制裁条項』といった修正法案も出されるなど、米議会には多分に日米の巨大な貿易不均衡に対する日本への不満が強く、貿易不均衡の原因は日本の閉鎖的市場にあるというのが一致して認識として根底にある。
 つまり、アンフェアな日本は特別のやり方でないと市場を開放しないという不信感があり、その市場をこじあける武器がスーパー301条というわけだ。
 89年5月のスーパー301条の第1回目の適用では日本、ブラジル、インドの3ヵ国が対象国とされ、日本はスーパーコンピュター』『人工衛星』「木材製品」の3分野がスーパー301条のターゲットとなった。