特集「いま、アジアを考える」

伴武澄(ばん・たけずみ)1951(昭和26)年、高知生まれ。77年、東京外国語大学卒案。現在共同通信社経済部記者。著書に「追跡NIES経済」などがある。

 円の大幅切上げを決めた八五年のプラザ合意を契機に新興工業国・地域(NIES)を中心とする東アジア経済に一大地殻変動が起きた。通貨調整に並行して進んだ金利安、原油安といった追い風も受けて停滞するアジアは、一躍「世界の工場地帯」に変貌した。経済活動の活況は、国内の民主化、労働紛争を巻き起こした。その結果、賃金高騰や労働力不足にも見舞われ、公害に対する国民の意識も高まるなど経済成長にとっては必ずしもプラスでない側面も出てきている。
 しかし、生産力の拡大と賃金の高騰は内需を刺激、いまやこれらの国々では「生産」に加え「消費」という大きな経済の牽引力を身につけたようだ。
 さらに、「消費」は乗用車、住宅、海外旅行といった国民生活の充実という方向にも拡大。ファッション、コミュニケーションといった具合に広かっている。一方、企業の投資活動は国内からアジアを中心に欧米にも拡大、企業の国際化が進行している。
 以下、東アジアのNIES各国とASEANの代表的な国の現状と問題点をレポートする。

【香港 不安と期待の90年代】
〔移民の急増〕
 香港は97年の中国への返還を控えて、将来への不安から海外逃避する人が増えている。『移民』という月刊誌まで発刊されている。89年6月北京で学生や労働者を武力で弾圧した天安門事件は確かに香港人にとって大きなショックだった。
 このため89年、香港からカナダやオーストラリアなどへ移民した人は5万人にも及んだ。人口がたったの600万人という香港にとって5万人は決して小さい数字ではない。しかもその多くは香港経済を支えてきた中堅テクノクラートだったからだ。
 香港では、今回の移民ブームを84年に次ぐ「第二次ブーム」ととらえている。84年は中国と英国が香港返還協定で合意した年で、このときは香港の代表的商社ジヤディーンーマセソンが本社を大西洋のバーミューダに移転したことがきっかけとなって、富裕層の海外逃避が目立つた。
 しかし、彼らは本社機能を海外に移したものの、営業活動はいまでも香港で活発に続けてきた。ところが今回の移民ブームでは、働き手が香港からいなくなるのではないかという心配が広がっている。このへんの見極めは今後の中国政府の動き如何にかかっている。
〔広東省への投資基地〕
 移民が急増している一方、香港の将来性を確儒させる現実も多くある。それは香港とその後背地である広東竹の経済の一体化が進んでいることである。
 香港は共産中国を逃がれてきた中国人によって支えられてきたが、狭い国土と労働力不足が発展の障害となっていた。このふたつの問題を一挙に解決してくれたのが、中国の開放経済だった。
 香港と中国の国境地帯に深川という経済特別区が生まれ、その奥の広東省全体も海外からの投資を受け入れる経済開放地域となったからだ。この10年間にこうした地域に進出した香港系企業は、89年末でなんと1万2000件を上回る。ゴム靴やおもちやといった雑皆からカラーテレビなど家電製品、アパレルまで広範囲な商品が中国で生産され、組み立てられる。場合によっては「メイド・イン・香港」のレッテルを貼られて欧米に輸出されており、国境なき経済を見事に演じている。
 日本企業や米国企業も近頃では、いったん香港で途中下車して中国へ向かう傾向が強い。同じ人種で同じ言語を使う香港人を仲介とした進出の方が技術の移転も早いという。そして成功例も多い。中国人は嫌うが香港人は広東省を「グレーター香港」と呼ぶ。
〔放送衛星の打ち上げ〕
 600万人という小さな人口の香港が今年、放送衛星を打ち上げることが先進国の関心を呼んでいる。成功すれば日本を除くアジアで初めての衛星となる。
 この術星会社は、李嘉誠グループと中国の国際信託投資公司、英国のケーブル・アンド・ワイヤレスの合弁会社で、中国四川省の宇宙基地から中国国産ロケットで打ち上げる予定。
 放送エリアは台湾からシンガポールまでの東南アジア全域をカバーするが、もちろん中国南部も受信設備さえあれば香港からの衛星放送をみることができる。
 この衛星の持つ意味は、新興工業国初の術星であることに止まらない。アジア全域をカバーすることで、この地域の文化に与える影響は計り知れない。これまでも香港は映画や音楽を通じて束南アジアに多大な影響を与えてきたが、これからは香港情報が瞬時に東南アジアに行き渡ることになる。
 また、東欧の政治改革を進展させたのが、欧州共同体(EC)の衛星放送だった。といわれるように、中国の人々にとって西側世界を映す「大きなガラス窓」になる可能性も秘めている。北京政府にとっては逆に大きな脅威となる。
〔日本語ブーム〕
 香港でもうひとつ特徴的なのは、日本語がビジネスの武器になりつつあるということだ。日本企業の進出で最近目立つのは、中小企業や金融機関、なかでも地方銀行のラッシュ。
 こうしたこれまで海外経験の少ない進出企業にとって「日本語のできる現地人」の雇用は死活問題だ。日本語ができれば給料は確実に三割、四割アップが保証されるとなれば、目先の効く香港人のこと、日本語ブームが起こることは確実。そうしたトレンドを読んで、香港に日本語学校を企業化させている日本企業も出てきている。人材派遣のテンポラリー・センターはそうした成功例のひとつ。「教室を作っても作ってもすぐ満員になる」という。
 日本語を自由に操る香港人がアジア経済を動かす時代も間近だ。

【中国 開放経済の世代交代?】
 天安門以降の中国はどうなっているのだろうか。中国の代表的民族資本である王光英氏が1月、光大実業の会長兼社長の座から名誉会長にまつり上げられ、同じく中国最大の企業集団である中国国際信託投資公司(CITIC)の会長である栄毅仁氏の辞任もほぼ確実になっている。

 王光英氏は60年代の文化大革命で失脚、死亡した劉少奇共産党主席夫人の実弟だ。また、栄毅仁氏は戦前の上海を中心とした財閥の生き残りの一人。中国の改革開放経済のシンボル的人物の二人が相次いで第一線を退くことになり、昨年6月の天安門事件以降、保守化傾向を強めている中国経済の将来を危ぶむ声が強まっている。特にCITICは中国の最高実力者・鄧小平の肝煎りで外資導入の窓口として79年に設立された。西側金融界との橋渡しなど、栄毅仁氏がこれまで果たしてきた役位割は計り知れないだけに、改革開放経済に与える影響は小さくない。

 経済権限の地方分権化と外資導入を含む企業民営化を中心に進めてきた開放経済は、同事件後は、逆に権限の中央集中が進んでおり、企業の自主性を後退させていることは事実。これにストップがかけられた。中国の改革経済の戦略は「西側の資本導入」を基本としているだけに、同事件の影響は外資導入面でも大きなつまづきとなっている。

 中国は「開放経済の堅持」を西側に強く訴えているが、たとえ中国が開放経済を続けるにしても、政策に遅れが生じることは免れがたく、これまでのような手放しの経済協力は難しくなる。

 しかし、一度転がり始めた自由経済への流れは止めることは難しい。広東省や福建省といった南部中国での資本主義との合弁や委託生産の広がりは変わることなく続いている。また、趙紫陽に代わって総書記に昇格した保守派の李鵬もこのところ、アモイなど維済特別区を訪れて、改革開放経済を支持する発言を重ねており、民主を求めた知的階級への弾圧など、西側の懸念にもかかわらず、実態的に中国が開放経済政策へ完全復帰する日は意外と近いかもしれない。

【韓国 生活大国への転進】
〔モータリゼーション〕
 86年から10パーセント以上という驚異的な成長を続けてきた韓国はここへ米て、ウォンの切り上げや、相次ぐ賃上げによって輸出が低迷、新興工業国・地域(NIES)の代表選手としての成長神話が崩れ始めている。
 しかし、韓国経済が行き詰まりをみているのかというと、決してそうではない。半導体やコンピュータなどハイテク産業での技術革新は目覚ましく、鉄鋼、石油化学など素材産業でも生産規模拡大が進み、韓国経済の先進国への仲間入りは近い。
 加えて、これまであまりにも米国など西側諸国への輸出に依存していた経済構造が、内需や共産圏に向かうという展開をみせている。こうした韓国経済の重層的発展は、数年前には誰にも想像できなかったことだ。
 韓国経済の最近の特徴のひとつである、輸出重点から内需指向への転換の代表例が自動車産業。その象徴は、87年に米国で単一車種でナンバーワンとなった現代自動車の「ポニー」である。進出2年目にして成し遂げた快挙だが、88年後半から輸出が伸び悩み、韓国自動車産業の発展に警戒信号が点滅した。しかし、これを救ったのが、国内需要だった。
 いまでは、「大卒社社員で34-35歳の課長クラス以上のほとんどがマイカーを持っている」(現代自動車)という話は、大手財閥系企業に限ったことではないようだ。年収に近い車が売れる背景には、「車を持つことがステータスシンボル」という韓国独特の見栄からかもしれない。
 かつては生産の大部分を輸出していた帷国自動車産業だが、いまでは生産台数(88年143万台)の半分が国内向けとなっている。
 こうした国内消費拡大は、この数年間の賃金上昇がらたらした結果だ。愉出ドライブをかけなくても、国内需要が輸出の仲びの鈍化を吸収してくれる。これが韓国の新しい内需主導型経済といえよう。
 韓国は、流通而でも大きな変化を示している。韓国財閥の一角であるロッテグループが建設したソウルのロッテ・ワールドは韓国の流通革命をもたらしたことで有名。88年末に百貨店、ホテル、スポーツセンター、大型遊園地を備えた空間が出現、消費と遊びを組み合わせた新しいショッピングセンターができたことが、韓国流通界を刺激、日本と同様、消費者の高級化指向と遊び感党を進めている。
〔社会主義国への接近〕
 韓国がこれまで最も敵視していた、「中国との接近」を始めたのが88年。ソウルオリンピックの直前である。潮海をはさんだ対岸の山東半島との経済交流が始まった。青島市や煙台市のホテルというホテルは韓国人商社マンで埋まった。その前の年に盧が愚大統領が政権につき、韓国の新しい経済外交が始まり「潮海湾経済圏」などという言葉も生まれた。
 中国への韓国企業の進出は、輸出の急増で米国などとの経済摩擦が激化した時期と同じである。いまでは世界的に当たり前となっている束欧との関係強化も、韓国は二年前から始めている。そして、社会主義国最大の市場といわれるソ連との関係強化も目立っている。
 韓国に限らず、遅れて出てきた工業国のNIES諸国にとっては新市場開拓も難しい。欧米への輸出に限界を感じた彼らは、大手財閥グループを中心に果敢に社会主義国への接近を図ってきた。
 中国に力を入れているのは、大宇グループ。88年6月に福建省の福州での冷蔵庫組み立ての合弁企業設立を皮切りに意欲的に対中進出を図っている。ソ連への接近では、現代グループが抜きんでている。鄭周永名誉会長が注目しているのは。シベリア開発。既に、沿海州の森林開発やシベリアの石炭開発での共同事業に韓・ソ間で合意している。ソ連はシベリア開発のための資金と労働力を必要としており、かつては日本の資本と中国の労働力に期待していたが、北方領土返還が障害となって、日ソ間の経済関係の拡大はなかなか進まず、代わりに韓国の資本や技術に対する期待感が高まっているという。韓国が対ソ経済協力で成功すれば朝鮮民主主義人民共和国の韓国に対する態度も柔軟になる可能性が強く、民族の悲願である南北統一にもつながることになる。

【台湾 国際社会への復帰が課題】
 今年1月1目、台湾が関税貿易一般協定(ガット)への再加盟巾請を発表、北京政府をいたく刺激した。改革開放政策を進める中国としても2年前からガットへの加盟を申請しており、「まず中国が加盟を果たし、次に台湾を中国の一地域として加盟させる」というのが中国が描いていたシナリオだった。しかし、このシナリオは天安門事件でもろくも崩れ去った。
 台湾としても、中国側のシナリオを基本的に受け入れる方針だったが、中国のガット加盟が当面棚上げとなったことを受けて、「独自の行動」に出たものと受けとめられている。台湾は、70年代の中国の国際社会への復帰と同時に、自ら国際社会と正式な関係を断ってきた。製造業の競争力強化で「NIESの優等生」といわれる台湾は先進国の仲間入り寸前。今後不可欠なのは国際経済社会の認知なのだ。
 世界経済からみても、NIES諸国との関係強化は重要な課題。特に日本に次ぐ世界第二位の外貨準備高を抱える。アジアの経済大国″台湾が国際経済のあらゆる枠組みから疎外されている状況は放置できない。台湾が「世界的な政策協調で重要な位置を占める」との認識は先進国クラブの経済協力開発機構(OECD)の議論でも日増しに強まっている。台湾はガットへの早期加盟を踏み台に国際経済社会への復帰を図る狙いだが、肝心の中国の改革開放経済の行方が定まらないだけに、今後とも国際的にも複雑な波紋をまき起こしていきそうだ。
〔台湾海峡経済圏〕
 台湾と中国の政治的に複雑な対立とは裏腹に経済而での台中接近は大きく進展している。台湾海峡を介した台中貿易は、以前から密貿易として行なわれていたが、八七年末、台湾政府が中国への里帰り、いわゆる「探親」を認めてからは水面下から現われた。形式的には香港を中継した貿易形態をとっているが、年々急テンポで拡大している。多くの台湾人の故郷である福建省への観光客の90%は台湾人といわれ、規模は小さいものの投資も急増、同省への投資の半分近くが台湾からの投資となっている。

 今年に入ってからも台湾プラスチック会長の王永慶会長が公式に福建省を訪れ、「台湾と中国との関係強化」の必要性を強調している。

 87年はちょうど台湾ドルが急騰、企業が悲鳴を上げている時期だったため、台湾企業の格好の投資先となった。中国も台湾企業の進出を促進するため、各省各県単位に台湾同胞弁公室を設け、内国民待遇で彼らを迎えている。

 中国側からみると、「台湾の資金と技術と福建省の労働力が結び付けば。台湾海峡をまたがった一大経済圏が出現する」ことになる。台湾資本にとっても昨年の天安門事件は衝撃的だったが、ビジネスは意外とドライに行われている。企業家にとって、目と鼻の先に20分の1の労働力が存在するという魅力は相当な重みを持っているようだ。
〔素材産業は海外誘致〕
 台湾経済にとって、台湾ドルの高鵬や労働者意識の第二次産業離れ以上に問題となっているのが公害対策。八八年に起きた高雄市の石油化学コンビナートでの住民による公害反対闘争は、需給の逼迫を背景とした石油化学業界の大規模設備投資計画を完全に葬り去ってしまった。
 台湾最大の民間企業である台湾プラスチックの王永慶会長は昨年「台湾でのすべての投資案件を白紙に戻す」と発表、今後はフィリピンへの石油化学プラント建設を図ることになった。また、製鉄業がマレーシアを中心にASEAN内での製鉄所建設に意欲を示すなど今後の台湾の素材産業は海外へ大きく展開することが確実となっている。
 公害産業輸出につながる恐れはあるものの、海外での大規模な設備投資は大幅な貿易黒字削減の効果もあるため、台湾にとって素材産業の海外進出は「一石二鳥」の効果をもたらすことになりそうだ。

【シンガポール ASEAN経済の地域拠点機能充実】
〔ASEAN経済の指令塔〕
 NIES諸国はそれぞれ高度成長を享受しながらも、韓国は労働争議の激化、台湾は公害問題、香港は中国への返還といった経済成長への障害を抱えている。しかし、なかでも人口が少ないというボトルネックはあるものの、比較的安定しているのが、シンガポール経済だ。
 85年、同国が建国以来初めてのマイナス成長に陥ったとき、同国の「高賃金政策」のつけが回ってきたと、シンガポール経済の将来を危ぶむ声も出たが、その後の世界経済の順調な拡大やASEAN諸国の経済的台頭を背景に成長を回復、同国のASEAN内での経済的地位は不動のものとなっている。
 シンガポール経済の特徴は外資への依存度が極めて高いという点だ。同国は今第二次投資ブームを迎えている。製造業で成功を収めた企業の生産工程の自動化や効率アップのための追加投資が軸となっているが、世界的にもトップクラスの空港、港湾、通信設備をフルに生かした多国籍企業の東南アジアでの頭脳センター的機能を持ち始めているのも大きな変化だ。
 シンガポール政府が外国企業に期待しているのはオペレーション・ヘッドクォーター(OHQ)と呼ばれる部門だ。そのために研究開発、部品調達、販売拠点を置く企業に対して大幅な税制上の陵遇策を実施している。
 日系企業として初めてOHQの認定を受けたソニーは、東南アジアで生産するオーディオ部品などの流通をシンガポールに集中させたほか、デザインセンターを設立、日本、米国、欧州に次ぐ地域拠点として位置づけている。
 ソニーの成功に続いて、横河電機やアイワなどOHQ機能をシンガポールでする日本企業が増えてきている。
 OHQは製造業だけでなく、流通、サービスでも優遇策がとられている。流通而で独特な展開をしているのがヤオハン。日本では中堅スーパーにすぎない同社も東南アジアでは各国に複数の大型店舗を持つ有数の流通業者。リークワンユー首相の肝煎りでシンガポールに「国際卸売センター」を設立、卸売業が未発達の東南アジアで巨大な流通機構を形成する意気込みだ。
〔金融センター〕
 シンガポールのもう一つの側面は、金融センターの充実。アジアでは、東京市場に先駆けて金融先物市場「シンガポール金融取引所」(SIMEX)を設立、世界最大の先物市場であるシカゴーマーカンタイル取引所(CME)と相互決済システムを導入、グローバルな先物取引を目指している。近く資金址では世界一の東京にも金融取引所が整備されるため、SIMEXの地位は幾分低下するとみられているが、東京のサブシステムとして新商品を先取りしていくことはほぼ間違いない。
 株式市場は、ASEAN各国の取引所の整備が進んでいるが、シンガポール収引所の機能はその一歩も二歩も先を進んでおり、ASEAN内での資金調達の場としての機能は今後も重要性を増すはずだ。特に、ASEAN内でも規制緩和や企業民営化が進んでおり、国営企業の株式放出は将来の有望な分野だ。
 3年前から導入した店頭市場「SESDAQ」は、米国の店頭株式売買システム「NASDAQ」にならったもので、ASEAN内でのハイテク・ベンチャー企業育成を狙う一方、NASDAQとコンピュータを接続、米国のベンチャー企業へのアジアからの投資を可能にしている。

【タイ・マレーシア 投資ラッシュで悲鳴】
〔外資の天国〕
 85年9月以前タイの通貨パーツが10円だったころ進出した企業を「10円族」といい、85年のプラザ合意以降1パーツ=5円に切り下がってから進出した企業を「5円族」というタイヘの進出コストが半分になったという意味で、先に進出した企業による後発組へのやっかみ半分の呼称でもある。
 日本の円への評価が上がったためで、この年を境に、円高により輸出競争力を失った日本企業がそれこそ大企業も中小企業も大挙してタイに進出することになる。87年にタイ政府に承認された日本企業進出は件数、投資金額ともたつた1年間で過去数十年分を上回ってしまった。
 進出したのは、日本企業だけではない。日本に続いて通貨の切り上げを余儀なくされた台湾企業も次々とタイに上陸、タイ政府に「投資はもういらない」といわせるほどの投資ラッシュになった。
 このため、タイでの生産のための資本財輸入が急増、タイの貿易収支は一時的に悪化しているが、将来的にはここで生産された製品が世界市場に輸出されることが約束されており、それこそ3年後、5年後のタイ経済の将来に対しては楽観的兄通しを述べるエコノミストが多くなってきている。
 時期的にはずれるが、マレーシアでも同様の外国企業の進出ラッシュとなった。興味深いのは、それまでマレーシア経済を支配していた欧米企業を日本とNIES諸国の進出が凌駕、ここでもアジア系企業の「資本力」の台頭を印象づけている。
 89年のマレーシアへの投資(承認額)は前年比76%増の8586億マレーシアドル(32億米ドル)だったが、内訳では日本が31%、台湾25%、シンガポール11%と3国だけで同国への全投資額の3分の2を超える水準に達している。
 これらの国への外国企業の投資で特徴的なのは、かつて韓国や台湾で行なわれた輸出向け生産に重点が置かれていることである。国内の輸入代替生産と比べて投資規模が飛躍的に大きいアパレルなど繊維製品や雑貨だけでなく、比較的技術水準の高い家電製品、半導体組み立てなどハイテク製品の比重も高まっており、生産国の技術レベルの高度化にも役立っている。
〔進むASEAN域内協力〕
 こうした傾向はフィリピンやインドネシアといったほかの東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国にまで波及しており、いまやASEAN諸国は世界の新しい工場地帯と化している。こうしたなかで、自助車産業の一部ではASEAN域内分業という新しい生産形態も出現しそうだ。
 三菱自動車はマレーシアとタイの二カ所の乗用車生産基地を持っており、ASEANカーとして欧米向け輸出を開始している。アジアの乗川車輸出はもはや韓国だけのものではない。ただ、まだ日本からの部品輸入が多く、本当の意味のASEANカーとはいえない。同社は韓国、インドネシア、フィリピンでも部品産業を育成しており、将来はそれぞれの得意とする部品を持ち寄った形のASEANカーを出現させる構想だ。
 ASEAN諸国の強みは、なんといっても石油や木材など天然資源が`思邑なことであった。八〇年代初めは、第一次産品の国際価格が暴落して経済的ダメージを受けたが、このところ国際的市況も回復しており、こうした資源の輸出に加えて、今後。工業力もつければ経済的安定は大いに増すことになろう。(Sari Creer 90.4)