西域の汽車の旅

四国運輸新聞 1980年2月22日

 昨年夏、新彊ウイグル自治区のトルファン、ウルムチを訪れる機会に恵まれ、西城の汽車の旅を体験した。トルファンは天山山脈南麓に展開するオアシスで、漢王朝時代、中国の植民地として開発されて以来、二千年、漢民族の西域進出の拠点となった町。また、ウルムチは北方遊牧民族とタクラマカン沙漠のペルシャ系オアシス民族との接点として民族興亡の歴史の舞台ともなった。このあたりは三蔵法師・玄奘の『大唐西域記』に書かれてあるように仏法を篤くする土地柄でもあった。

 広大な辺境地帯

 北京から飛行機で甘粛省の省都・蘭州へ飛び一泊。翌朝、蘭新鉄道の特急で新疆の首都ウルムチへ向う。約二千キロ、四十時間の旅。さらにウルムチからジープで南へ二百キロでトルファンに着く。北京での手続きなどを入れると日本を出て実に足かけ五日を費やした旅だ。それでも玄奘は長安から半年かけてトルファンに到着しているから当時比べれば大変な速さと言わねばなるまい。

 出発地の蘭州は黄河の畔の都市といっても、河口までたどりつくには延べ三千キロの川下りを要するほどの内陸にある。中国はすべて広大だから距離感がマヒしてしまう。と同時に土地の起伏も地図を見ただけでは全くわからない。ここは標高千五百メートルの高原地帯。そんなところを川幅数百メートルの黄河が流れて、幹線鉄道が走っているのだからびっくりしないでほしい。

 砂漠の風景

 鉄道は蘭州を出てしばらくは黄河に沿い、穀倉地帯が続くが、黄河を離れるとあとは数えるばかりのオアシスを除いてゴビ沙漠が続く。一口に沙漠といっても決して単調ではなく、沙あり礫あり、その形態は様々だ。

 今回は数十年に一度という大洪水の直後だった。幸運にもピンクや黄の可憐な花が一面に咲く谷間を目のあたりにすることができ、沙漠の生態を再認識させられることも度々。しかし、ふだんは全くの死の世界であることにかわりはない。『法顕伝』などによると、際涯のない沙漠の旅はラクダの骨や獣糞が唯一の道標で、時折、幻影や幻覚に悩まされたという。

 沙漠になぜ洪水、と思ったりしたが、帰途の機上から見るゴビは毛細血管のような模様が沙漠を覆い、実際に激しい水流の跡を窺わせていた。水はすぐに引くのだが、起伏の少ない沙漠地帯はあっという間に濁流の底になる。鉄道は寸断され、道路はあとかたもなく消え

るという激しさだ。われわれの乗った列車も復旧後の一番列車だった。

 蘭新直快列車

 中国の鉄道の話を少しすると、路線名は起点と終点の地名を一文字ずつとってつける。このたびは蘭州と新彊間だから蘭新鉄道となる。この線は五十年代後半に建設された広軌で、もちろん単線。ディーゼルまたは蒸気機関車で牽引された特急(直快)が毎日、ウルムチ-上海。ウルムチ-北京間を一便ずつ走る。

 十数両編成で一等は軟席車、二等は硬席車。寝台は臥車で、外国人の乗る軟臥車は一等寝台車のこと。内部は四人ずつのコンパートメントに分かれている。車両に一人車掌がおりサービスは満点、冷房のないのとすき問から入る砂塵をがまんすればすこぶる快適。食堂車は中華、洋食なんでもござれ。メニュー豊富、味もよい。

 乾燥した国柄のせいか、湯茶のサービスがあり、窓に虫よけの網がかけてあるのが面白い。服務員は四六時中、車内を清掃する。停車駅ではモップで車体をも洗う。列車はまるで彼らの愛玩物だ。運行は極めて正確を得、時刻表(市販されている)どおり。運賃は忘れたが、日本と比べると格段に安い。

 オアシスの駅

 二日目の朝はすでに嘉峪関を過ぎてぃた。沙と蒼穹以外、色彩はなくなり、口は水分を要求する。ハミ・オアシスまでの数百キロはシルクロード最大の難関だ。車内放送の音楽はいつの問にか哀愁を帯びた西域風になっていた。

 ハミ駅に入るとすべてが変わる。天山の雪嶺を北にひかえ、ポプラ並木とひまわり畑の緑が眩しい。味気ない人民服姿の漢人たちのなかに、色とりどりの民族衣装のウイグル娘たちが陽気に何かおしゃべりしている。ひげをたくわえたイスラム帽の老人が荷車に満載した名物のハミ瓜を売っている。構内放送はもちろんウイグル語だ。

 ハミの歴史もトルファンに劣らず古く。革命直前までイスラム王朝が存し、史蹟も多い。すぐにでも町に出たい衝動にかられるが、ここは外国人立入禁止地帯。ハミ瓜でのどを潤してがまんする。

 終点の町へ

 山がちでウルムチに近づいたことを知ったのは夕刻をだいぶ過ぎてからだった。中国辺境の旅は点と線の旅。それでも書物でしか得られなかった知識は断片的ではあるが確認されていく。思考と興奮の時間を十分に与えてくれるのは鉄道の旅の醍醐味かもしれない。

 暗黒の旅をしばらく続けた後、十二時汽車は終点のウルムチに到着した。二日ぶりに見る灯火は宝石のように貴いものに思われた。

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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1 Response to 西域の汽車の旅

  1. 北田 勝洋 のコメント:

    伴さんが高松支局時代に新疆ウイグル自治区に行かれ、このような文章を書いておられたとは、改めて博覧強記と行動力に驚かされました。このところ、伴さんのFacebookをよく見ております。Facebookの「友達」としていただいたらありがたく思います。伴さんが作っておられる高知のクレソン畑へ近ければ行きたいところですが、現在、住んでいる大阪からはあまりにも遠いのが残念です。昔から気管に持病があり、外出も控えています。

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