うそから始まる国家の暴走
夜学会を始めて3年半になる。国家とは何か、憲法とは何か、国民とは何か、政治の基本から考えることを始めた。途中から議論はいい、行動の時だという意見も出た。それでも夜学会の議論を続けた。民主主義は愚民政治に陥りやすいという考えは洋の東西を問わずある。賢い専制君主がいれば、一番いいかもしれない。だがどんなレジームでも時間が経つと腐り始める。腐臭が漂い始める。問題は人間がその臭さに慣れてしまうことである。
国家が暴走しそうだと判断したとき、我々は何をしなければならないのか。自分の目の黒いうちに、そんかことを考えなければならない時がやってくるとは思わなかった。
国家の暴走は、うそから始まる。ヒットラーは国会議事堂が火災にあった時、「共産主義者のしわざだ」とうそをついた。国民はさもありなんと信じ、社会主義者たちが一斉に検挙された。ヒットラーは自らの独裁体制を固めるためにうそをついた。わざとである。
消極的なうそもある。あえて情報を隠して、国民に知らせないこともある。この場合、国家のうそは国民に分かりにくい。東日本大震災での原発事故などは7年をすぎても原発内で何が起きているか分かっていない。白血病が増えているらしいことは伝わってくるが、当局が発表しないので「白血病が増えている」という情報が本当なのか国民は判断ができない。ネットで拡散する情報について、当局が「フェイクだ」といえば、それでおしまい。社会に混乱をもたらすために、うそを流す人だっていないことはない。
やがて国家のうそは時間とともに「事実」に固定化する。為政者への支持率が下がれば、為政者はそれなりに危機感を持つだろうが、一定の支持率が得ていれば、たぶんほくそ笑むばかりなのだろう。