今日、8月15日の「終戦記念日」は俗称であって、実は正式な名称はない。どの国にも独立記念日はあるが、敗戦を記念する日などはないと思う。日本では政府が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、天皇陛下をお招きし、武道館で全国戦没者追悼式を主催するだけである。ドイツが降伏したのは5月8日。ドイツはこの日を「開放の日」としている。5年前の東京新聞記事は次の通り書いている。

 終戦七十五周年式典の演説で、シュタインマイヤー大統領が一つの決着をつけました。いわく、「五月八日は解放の日だった」。シュタインマイヤーはこう言いました。「(1945年の)あの日、私たちは解放されました。今日、私たちは自らを解放しなければなりません。ネオナチの誘惑、国家間の不信や分断、ヘイトや扇動、よそからの人に向ける敵意や民主主義をさげすむ動きなどといったものからです。それらは新しい衣装をまとった古くからの悪の亡霊にほかなりません」。

 「心の底からこうした確信が得られるまで、三世代の歳月がかかりました」とも述べました。

 式典はコロナ禍のため、メルケル首相ら三権の長のみ参列し、国民向けにテレビ放映されました。

 ドイツは戦後、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)などナチス政権下の非を認め、被害者らに補償し、被害を受けた国々との和解を図ってきました。

 三世代にわたる和解の努力が、終戦七十五年の「解放の日」演説に結実したともいえます。

 「解放の日」にまず言及したのは西ドイツのワイツゼッカー大統領でした。三十五年前、終戦四十周年の演説で「一九四五年五月八日」を「ドイツ史の誤った流れの終点」と位置付け、ナチスからの「解放の日」であると強調しました。演説は世界的な反響を呼び、歴史に向き合うドイツの姿勢を強く印象付けました。

 日本が間違えたのは1978年の靖国神社へのA級戦犯合祀だった。それ以降、天皇は靖国参拝をしていない。