自由民権運動が土佐の地で産声を上げたのが1874年。150年前のこと。日本中で維新政府に対する不満が渦巻き、武装蜂起まで起きる中、言論の府、議会設立の狼煙を掲げたのが立志社だった。代表格は維新の功労者の一人で数カ月前まで参議だった板垣退助だったから政府は当惑したに違いない。政府が議会をつくらないのなら市民でつくってしまえという主張まであったから過激だった。
 高知は青雲の志を持った青年たちを綺羅星の如く輩出した。新時代を目指す全国の若者たちによる高知詣が始まった。
「自由は土佐の山間より出ず」という掛け声は植木枝盛が考えた。
 そんな時代を彷彿とさせる場所が土佐山にある。西川地区の山嶽社。県内200カ所近くあったとされる夜学会の開催地が今も唯一残る。
 明治15年11月には「巻き狩大懇親会」と称して民権派2000人が山を越えて西川で気勢を上げたエピソードも伝わる。集会条例によって、政治演説が禁止されており、「巻き狩」を名目に民権派が人を集めたのだった
 そんな場所で150年のイベントが開催できたら面白い。全国に発信できる名所にしたい。

 自由民権運動の影響を受けた和田波冶・千秋父子が自宅を提供し寺子屋をつくったのが始まり。後に門下生の高橋簡吉が遺志を継ぎ、民権結社『山嶽社』を結成、県下各社と連携をとりながら発展させた。現在の建物は土佐山が村だった平成3年に村政100年を記念して1500万円かけて解体・復元したもの。2005年からは高知市山嶽社資料館として一般公開されている。

 6月議会の一般質問で「復活できないか」質問する予定にしていたが、時間の関係で実現できなかった。予定されていた総務部長答弁では「大勢の民権家を輩出した山嶽社の偉業を後世に伝えていくための貴重な施設」との認識を示し、150年に際して民権運動に関連する数少ない史跡である山嶽社について「民権記念館での関連資料鵜の展示や市内の民権運動ゆかりの史跡の一つとしてPRし、高知市を訪れた民権運動に関心がある観光客に回遊してもらう取り組みを検討している」と前向きの回答を用意していたことを知ってもらいたい。