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今日8月22日は旧暦の七夕なのだそうだ。ラジオで言っていた。高知には熱帯性低気圧が迫ってきていてあいにく星空は眺められそうにない。

2012年夏、自分は土佐山アカデミーで山暮らしをしていた。コーディネーターの山本かんちゃんが僕らにアカデミー日記帳を手渡しながら、「太陽暦で七夕の7月7日は梅雨時で天の川なんて見えないが、旧暦でいえば8月末だから、たぶん天の川が見えるんだ」と言ったことが印象的だった。なるほど日本の季節感というやつは太陽暦では分からないのだとガッテンした。

明治政府は、明治5年(1872)11月9日、太陰暦を廃し、太陽暦を採用することの詔書を発した。1年を365日とし、それを12月に分け、4年毎に閏年をおくこと、1日を24時間とすること、旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とすること、が定められた。正月まで2カ月近くあったのに、1カ月足らずで正月が来ることになって世間は大騒動となった。ラジオはおろか新聞さえない。前年に始まった郵便制度で、東京―長崎の配達に96時間かかるという時代。まず情報の伝達に時間がかかった。一番困ったのはカレンダーだった。来年のカレンダーはすでに印刷済みである。廃棄して新しいものを売り出さなければならないのに、日が足りない。福沢諭吉は新しい時代に新しい暦を導入するのは当然として、太陽暦導入に反対する「輩」を叱ったのが面白い。

静岡県中央図書館がアップしている解説によると福沢諭吉 『改暦弁』の内容は以下の通り。

太陽暦の解説書である『かいれきべん改暦弁』を著したのが福沢諭吉です。他にも太陽暦の解説書は続々と刊行されましたが、わかりやすさの点で『改暦弁』は群を抜いており、またたく間に20数万部が売れたと言われています。『改暦弁』はわずか10丁の小冊子で、「太陽暦と太陰暦との弁別」「ウイークの日の名」「一年の月の名」「時計のみよう見様」の各章から成ります。身近な題材を使ってわかりやすく説明しています。例えば、あんどん行燈を太陽に、こ独ま楽を太陽の周りを回る地球に見立て、自転と公転を説明したり、およそ360文払うべき借金を月々29文5分づつ支払うと1年で約11文不足するとし、太陽暦と太陰暦の1年の日数の違いと閏月を説明しています。