建築家・デザイナーの川西康之さんのトーク番組をラジオで聞いていて含蓄のある話だなと思った。千葉大学建築学科を出て、デンマークで修業し、オランダ、フランスで働いて現在、株式会社イチバンセンを中心に活躍している。川西さんがいうには「ヨーロッパの町は教会が中心にあってその前に必ず広場がある。市民の集いのスペースで、市が開かれたり、演奏会があったりする。そして広場はいつもきれいに清掃されている。市民のものという意識が高い」。そんな内容の話だった。

何度も言ったわけではないが、ヨーロッパの農村風景が美しいという印象がある。田舎の街並みにも落ち着きと調和がある。比べて日本の農村風景は砺波平野など例外を除いて対極にある。高知などは園芸農家のビニールハウスばかりでなんとも貧しさを感じてしまう。自分たちの町村という意識が欠落しているのだろうか。

ヨーロッパでは、教会を出たら必ず広場を通らなければどこへも行けない。食べに行くもの、買い物に行くのも通るから当然にぎわう。そんな広場が日本にもほしい。

高知市は帯屋町商店街に隣接した「西跡地」にどうしても建物を建てようとしている。多くの市民は広場で残してほしいと思っている。町ににぎわいを取り戻す一番簡単な方法は、人々が集える広場を設けることだと考えていたから、ヨーロッパの教会と広場の関係の大いに触発された。

日本にも神社があり、境内という広場もないわけではないが、にぎわうのはお祭りの日だけ。そもそも神社に通うのは特別の日だけで、日曜日ごとに行く教会とは違う。同じ宗教施設だが、神社が町の中心にあるはずもなく、「日常」という概念もない。

台北市の龍山寺が面白いのは、町中の繁華街に隣接しているところだ。夕方の風景しか知らないが、境内はいつも老若男女でにぎわっている。僕たちも台湾訪問の際は必ず訪れる。目的は屋台の海鮮食堂と夜市散策だが、いつも龍山寺を参拝するはめになる。龍山寺には広場はないが、台湾人の信心深さと相俟って広場的機能を果たしているのだと思う。

そういえば通天閣にピリケンが祀られていた。