なくならない公共事業/国会議員-土建屋-農村雇用-自然破壊の連鎖
執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】
公共事業の配分見直しが叫ばれて久しい。一向に変わらないのはなぜか。みんな分かっている。自民党だけでない、共産党以外の野党もまた土建屋を選挙基盤にしているからだ。「ふつうの国」を政治理念に掲げて自民党を飛び出た小沢一郎氏もまた選挙では土建屋をバックにしている。
選挙資金の捻出は、地方行政で公共事業の入札で談合に協力すればたやすい。談合がなくなれば市場価格により近い形で落札するのだが、入札を透明化すれば選挙資金の捻出は難しくなる。議員も土建屋も行政もどっぷりと鉄のトライアングルに浸っている。票を持ってくるのも地域の末端の土建屋だ。かつて土木工事はどういうわけか農閑期に偏っていた。父ちゃん母ちゃんが二人で働けば日銭2万円になる。100日働けば200万円という収入は決して小遣い稼ぎのレベルではない。農家の平均農業収入が200万円前後だからだ。その農家の収入源、つまり雇用を握っているのがこれまた地域の土建屋だから雇用と票とが交換になる。
こんな構造の社会に正論で立候補してもどうにもならない。ひと言「明日から雇わないぞ」と恫喝されれば生活できなくなる。平坦部の農村ならばまだしも山村にいけば、収入源のほとんどが「土木」ということになる。収入の100%が土木という村落は決して珍しくない。
●生業の95%が土木という群馬県の町●
かつて生糸生産の取材で群馬県のある山村を訪れたことがある。町長にインタビューし「町の生業(なりわい)は何ですか」と質問した。
主な生産品目を聞いたつもりだった。「養蚕とコンニャクイモ栽培」という答えを期待していたが、「土木です」という意外な答が返ってきた。「何割ですか」とたたみかけると「そうですね。95%くらいですかね」と言う。町長によれば「職業はと聞けば、みんな農業とか山林業とか答えるでしょうが、95%の人が公共事業で食べていて、残りの5%の人も主たる収入源は土木です」ということだった。
筆者は養蚕の取材ではるばる車を飛ばしてきたのだが、山村の生業の方に興味が湧いてきた。一応「そうすると養蚕はこの町にとって何なのですか」とも聞いたが、町長は明治時代の繁栄していた時代の町の歴史を語り始めるだけだった。農水省や東京の蚕糸生産組合で取材した時は「養蚕がなくなると地域がなくなる」ということだった。そんな時代はとっくの昔に通り過ぎていた
事前に取材を申し入れていた町の有力養蚕農家の老人にも会った。「いつでもやめたい」という。理由は簡単だった。夫婦で年に2度、カイコを飼って売り上げは40万円足らず。経費を差し引いたら小遣いにもならないからだ。そして「でも、うちは天皇陛下から表彰状までもらっているからやめられない。養蚕をやめるのは町で最後になる」と語った。最盛期に80万世帯を数えた日本の養蚕農家は1995年当時、2万を切っていた。その2万世帯も養蚕を「主たる収入源」にしているのはほとんどいない。公共事業がなければ、町を離れるしかないのだ。
その老人が何件か養蚕農家に連れていってくれた。その途中でコンクリートで固まった山の岩肌を指して言った。「あの砂防工事はな。地滑り防止なんだが、山裾の2件の農家が『何億円もかけるのはもったいない。費用をくれたら川向こうに引っ越す』と言ったんだが、村の人たちが『おれたちの仕事はどうしてくれる』って言い出したんでできたんだ。仕事といっても道路とかだったらいいんだが、立派なトンネルもできたしな」
●ただで金をもらうわけにいかない●
この生糸の取材で、公共事業に対する考え方が180度変わった。帰社してから同僚に、群馬県の山村の話をしたところ、その同僚もまた福井県で同じ体験をしたと言う。同じ砂防工事だったが、昭和37年に日本海岸を襲った豪雪で村そのものがなくなり、だれもいない山肌をコンクリートで覆う工事をしていたらしい。その後、同僚が建設省で聞いた話は「ダムとか砂防工事とか公共事業のほとんどは昭和30年代前半に作製した工事予定地図をもとにひとつずつ工事をこなしている」という驚くべき実体だった。ここでは公共事業を生業とする人すらいなかった。
前段の公共事業と選挙の関連は、だれでに知っていることである。しかし、いま山村で何が起きているかまではそう多くの人が知っているわけではない。群馬県の町長は「公共事業費は町にとって生活保護費のようなもの。ただ住民にだってプライドがある。ただでカネをもらうわけにはいかないのだ」と漏らした。
問題はこのプライドなのだ。生活保護費として直接、税金を渡せば、直ちに公共事業-国会議員-土建屋の悪しき連鎖を断ち切ることができるのに、もらう方がプライドを持ち出すものだからややこしくなり、見えるものがみえなくなる。いつまでも土建屋と国会議員の思うがままの世界が続くだけでない。この連鎖が不必要な自然破壊にまでつながる。「こんな選挙はいやだ」と思い、公共事業のあり方を抜本的に改革する必要があると考えている議員は少なくないはずだ。ケインズ流に景気対策のため穴を掘って埋めているだけならともかく、いまや公共事業は不必要なダムや砂防工事で自然を壊しているのだ。