カンボジアに3つ目の学校を建てたセカンドハンド
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
「だいだい色の屋根とクリーム色の壁って緑の木々にマッチするんです」。ボランティアを始めて、三つ目の学校がカンボジアにできた。2月末、カンボジア政府から復興功労メダルをもらった。新田恭子さんは、フリーのアナウンサー。高松市に住み、香川県からアジアや日本を語る。カンボジアにかかわり始めて、日本や日本人の在り方が気になりだした。 教員養成大学の図書館に本がなかった
アナウンサーになってから年4回ぐらい海外に行く。日本にない話題を探すのが目的だった。カンボジアは1994年に初めて訪問した。日本ユネスコ連盟主催の青年ワーキングキャンプに参加した。アンコールワット教員養成大学の学生と一週間寝食を共にして、図書室の修復を手伝った。 なんてことはない。土木作業員なんですよ。でもね。図書館がきれいになったのはいいのだけれど,
本がないのよ。それで本はどこにあるのって聞いたんです。「校長室にあります」っていうんで、校長室に行きました。本棚にあったのにはオックスフォードの英英辞典と衛生に関する本が数冊だけ。愕然としました。
ポルポト時代に本という本はみんな焼かれたっていうんです。帰国の前日に「あなたの本を送って欲しい」って言われました。その人は英語の先生で「I
is fine」なんて平気で教えているんですよ。それでも日本人より会話はうまんですけれどね。でもなんとかしなければならない。そう思ったんです。
新田さんは、かつて訪れた英国でOXFAMというチャリティーショップがあったのを思い出した。リサイクルショップの収益でカンボジアのこどもたちに本を送る資金を稼げるかもしれない。帰国して新田さんはすぐ動き出した。
OXFAMは51年の歴史を持つ英国最大のチャリティーショップだ。全英に800店舗を持つ。時間が余っている主婦とか高齢者がボランティアでリサイクルショップを経営するシステムで、収益は福祉に使う。
本当はそんな店とは知らずに買い物をしたんです。1993年末に再度、英国に行ったときにマネージャーに取材しました。頭の中でなにかがガラガラ崩れていくようなショックを受けました。日本にない発想だと思ってラジオの番組で紹介した。
3カ月のボランティアにつもりが5年目に
2カ月後の1994年5月、高松市内の繁華街に「セカンドハンド」という日本で初めてのチャリティーショップが開店した。バブルが崩壊して空き店舗がたくさんあり、飛び込みで家主に「ただで貸して欲しい」と申し入れたところ、主旨を理解してくれた。本当にただで貸してくれた。市民が家で使わない不要品をもってきてくれた。それが信じられないように売れた。店員はボランティアたちが集まってくれたから、店舗運営にお金は一切かからなかった。
ただ家主との契約は3カ月だったし、新田さんもそんなに長くやるつもりはなかった。その年の8月、約束通りカンボジアの教員養成大学に百科事典など50冊の本を届けた。千葉県柏市にある「カンボジアに学校を贈る会」にも40万円を寄付できた。
ところが3カ月もたつと「セカンドハンド」はマスコミや口コミで高松市民のほとんどが知るところとなり、新田さん一人の考えでやめるにやめられない状況になった。「カンボジアに学校を贈る会」からも協力の要請が来た。日本にNGOはたくさんあるが、自前で資金調達までできる団体は数えるほどしかない。「セカンドハンド」はたった3カ月でその代表選手になってしまったのだ。
えいままよと続けて早5年目を迎える。店舗も丸亀市、岡山店と3つに増え、手伝うボランティアも100人を超えた。昨年の売上高は2500万円にもなった。商品はただだから、ほとんどが収益である。
「セカンドハンド」の驚嘆すべきところは、この種の団体にありがちな会計の不明朗さがまったくないという点である。年4回発行する「セカンドハンド通信」には収支だけでなく、カンボジアへの寄付や学校建設の状況を詳細に報告、しかも2500人の協力者に対して送付している。
まもなく、4つ目の小学校の建設に着手する。この人と出会って人間にできることに限界はないということを知らされた。最後に新田さんのボランティアが長続きするわけも分かった。生活にも会話にも「気負い」というものがない。親友の新聞記者に「新田さんは香川の宝だ」といったら、「いや、日本の宝かもしれない」と返事が返ってきた。
セカンドハンド 高松市田町12の4 087-861-9928