桜のうんちく (8) 外山の霞
高砂の尾上の桜咲きにけり 外山の霞たたずもあらなむ
東京は桜が満開になってから天候不順である。きのうは黄砂とまがうほど空が低かった。今日も雨模様である。せっかく桜が咲いたのに「外山の霞たたずもあらなむ」という気持ちである。
またまた百人一首から選んだ和歌の作者は大江匡房(おおえのまさふさ)。子どものころ百人一首にのめり込み8割がた覚えて近所のお兄さんたちに勝 負を挑んだことがある。中学生や高校生に勝つのが楽しかった。意味も分からず覚えた和歌は相当程度今でも覚えている。最近は暗記をばかにする風情がある が、とんでもないことである。暗記こそが勉強だったと今頃になって思い返している。
大江匡房は、後三条天皇と白河上皇の信任をえた平安時代有数の碩学。時に菅原道真と比較された。頼朝の家臣となって鎌倉幕府設立を支えた大江広元の曾祖父である。小学生のころはそんなことはどうでもよかったのだ。
僕らの世代はこの時代の歴史をほとんど知らない。どうしてか最近分かった。古典つまり『平家物語』を読んでいないからである。先日は薩摩守忠度の ことを書いたが、匡房はもう少し前の人物である。源氏方は八幡太郎義家が棟梁だった時代。奥州の清原氏が滅亡に追い込まれる「後三年の役」で金沢の柵で雁 の列が乱れるのを見て伏兵を察知したのは匡房から孫子などを教えられていたからだという。孫子の兵を語る傍らこの季節には桜が気になって仕方ないのはやは り日本人ということだろうか。ちなみに全国の八幡様はこの義家を祀ってある。(平成の花咲爺)