執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

8月19日、日本経済新聞が夕刊で「興銀、第一勧銀、富士銀の統合」をスクープし、各社が後追いした。お陰でその日、”遅番勤務”についた筆者は忙しかった。

運動部から報道部にきているF記者がつぶやいた。

「おれたちの若いころには考えられないよな。こんな大きな銀行がみんな一緒になるなんて」

メガトン級のニュースであることは認めても「なるほどそういうことなのか」と納得できるニュースでも、「よかった、よかった」と歓迎するような明るい出来事でもない。かといって「こんなことは絶対許さん」と記者魂を揺さぶるほどの怒りもない。

ただ漠然と「なんでこんなことができるのか」という実感のない演劇をみるような気分だったのだ。ニュースが大きすぎるのだ。

「1990年代に入ってアメリカを中心にとんでもない企業統合がおきているだろ。あれが日本にも上陸したんだ。つまりアメリカでも日本でも独禁法というものがもう機能しなくなっているんだ。これってけっこう恐いんだぜ」

「そういう解説をしてくれるとよく分かるが、どこでも書いていないな」

「アメリカを中心に欧米で起きている考えは、市場のグローバル化だよね。国内に市場が限定されている時代だったら、その国の独禁当局が目を光らせていればよかったんだ。問題はグローバル化の時代にだれがその役割を代替するか答が出ていないうちに企業が走り出していることだと思うよ」

その後、以上のようなやりとりが続いた。

●巨額化する欧米のM&A

1980年代のアメリカで始まった企業買収(M&A)がこのところ勢いを増し、グローバル経営の台風の目となっている。筆者が80年代にM&A企画で取材したときでも「巨大な変革が企業社会を包み込んでいる」などと驚きを表現したが、ここ数年は件数、規模とも桁違いとなっている。

米トラベラーズ・グループによるシティーコープの合併は700億ドル(8兆円)、エクソンとモービルに到っては800億ドル(9兆6000億円)である。

世界のM&A市場をリードするゴールドマンサックスの1998年のアメリカでも仲介実績は7,785億ドル。ヨーロッパでは1,736億ドル。合計すると9,500億ドルに及ぶ。実に約120兆円であり、日本の国家予算をはるかに上回る金額である。

2位のモルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターは計7,650億ドル、3位のメリルリンチでも6,500億ドルの規模のM&Aをこなしたのである。M&Aは金融機関に巨額の手数料収入をもたらす。日本の一部の金融機関もこうした「投資銀行」を目指しているが、残念ながら実績はゼロに等しい。

●トラストが”善”だった100年前

実は100年前にも同じような事態がJ・P・モルガンらの手によって行われていたのである。J・P・モルガンは19世紀末からトップ銀行のひとつで、アメリカで相次いで設立された鉄道会社への投融資で財をなし、バクチ相場となりつつあったニューヨークの金融市場で企業統合を進め、「業界に秩序を回復」したことで知られる。

ロン・チャーナウ「モルガン家」(日本経済新聞社)によると「新しい20世紀の幕開けとともに、アメリカ史上初の大規模な企業合併の波が押し寄せてきた」のだ。

「電話、電信、それに運搬手段の発達に促されて、地方の各市場が、地域的、全国的な一大市場に組み込まれた。(中略)企業合併の数は1997年の69件から99年には1200件を超すにいたった」

「大きな企業合併の波が勢いを増すにつれ、ウォール街の各一流銀行の目は鉄道から企業合同(industrial trust)へ移っていった」

「企業合同では参加各企業の株主が、その上に設けられる持株会社の発行する企業合同証券(trust satificate)と交換に株式を信託するのが普通だった」

「企業統合を認め、厄介な反トラスト法を発動させなかったマッキンリーは、経済界にとって都合のよい共和党大統領だった。1901年のUSスチール社の誕生は1900年の大統領選挙における共和党の圧勝の後を受けて、政府規制が非常に緩やかだった当時の空気と切り離して考えられなかった」

●USスチールの14億ドルの資金調達

数々の企業合同の中でもUSスチール社の場合は規模が桁違いに大きかった。100万ドル台の株式発行でも大事とされた時代に14億ドルの資本金で発足した。いまの金額にして230億ドルといわれ、売上高は欧米列強の国家並みとされた。

モルガンのお陰で4億8000ドルでカーネギー製鋼の株を手放したアンドルー・カーネギーは「世界一のお金持ち」になり、鉄鋼関係者には大富豪が何十人も生まれた。

この時代を前後して、乱売合戦が続いていた大西洋航路では2社体制が確立した。同じように巨大なアメリカンタバコが生まれ、スタンダード・オイルも石油利権を独り占めにした。いま流に言えば、世界で初めて産業界に巨大なM&Aを導入したのがJ・P・モルガンだったのである。

当時もちろんM&Aという言葉もなかっただろうし、反トラスト法はあっても後世われわれが教科書でならうことになる「カルテル=悪」という発想も今ほどに強くなかった。逆に政財界には「過当競争はよくない。共倒れになる」という論調の方が強かった。

よ くいわれるように「企業は独占を目指す」という考えはそのころからある。「競争原理は弱肉強食である」という言い換えもできる。グローバル化時代を迎えて、いままた世界中で企業統合が礼賛されているが、まさに100年前の世相と生き写しなのである。

「モルガン家」の表現になぞらえると、1990年代は「新しい21世紀を前にして、史上初の世界的な企業合併の波が押し寄せている。大きな企業合併の波が勢いを増すにつれ、ウォール街の目は製造業や流通業から金融合同へと移っていった」ことになる。

モルガン家のことを書き続けているうちにアメリカでその後に起きた「反トラスト気運」について書く余裕がなくなった。いずれ続編として反トラストについても言及したい。

【世界に君臨した4つのモルガン】ロン・チャーナウ「モルガン家」(1993年、日本経済新聞社)は19世紀後半、ジュニアース・モルガン(J・S・モルガン)とピアポンド・モルガン(J・P・モルガン)父子がニューヨークとロンドンを中心に世界的金融帝国を築く物語である。

当時、モルガン一族はロンドンにJ・S・モルガン商会(後にモルガン・グレンフェル商会)、ニューヨークにJ・P・モルガン商会、フィラデルフィアにデュレクセル・モルガン商会、そしてパリにモルガン・ハージェス商会の4つの会社を持っていた。

多くの世界的な銀行は19世紀の後半に生まれた。株式を公開せず、何人かのパートナーが最終責任を負うパートナーシップという経営形態を取った。日本にはないシステムで共同経営とでも訳せばいいのだろうか。

モルガン父子の各地の商会もそうだった。4つの商会の関係は親会社でも子会社でもない。それぞれ独立した法人である。いまも欧米の金融機関にはこうした経営形態は色濃く残っている。クリントン政見のルービン前財務長官の前職は今はときめくゴールドマン・サックスのパートナーの一人だった。

100年後のいま、モルガンの各商会は株式を公開したり、M&Aを通じてそれぞれが違った生き方を歩んでいる。ロンドンのモルガン・グレンフェルはドイツ銀行に買収されて、ドイチェ・モルガン・グレンフェル銀行となったが、ニューヨークのJ・P・モルガンはモルガン・ギャランティーの持ち株会社として健在であり、パリの商会はJ・P・モルガンから投資銀行として分かれたモルガン・スタンレーの子会社となっている。