執筆者:園田 義明【萬晩報通信員】

9月13日クリントン米大統領は、日本の調査捕鯨の拡大問題でミネタ商務長官が対日経済制裁を勧告したのを受け、米国の200カイリ経済水域内で日本漁船が操業することを禁止する制裁を発動した。日本は、ミンククジラに限っていた調査捕鯨の対象に、今年7月からニタリクジラとマッコウクジラの2種を加え、米国や自然保護団体などの批判を招いていた。大統領は日本が方針を撤回しない場合、経済制裁を科すとも警告している。(ロイター記事より)

イギリス留学から帰ってきたばかりの若き国際関係学者である大友氏とのクジラをめぐるメール対談です。

大友 一つ気になる話題が。今回の河野外務大臣の訪米で、日本の捕鯨に関してアメリカとのやり取りがあったようですが、以下の点で結構注目されるところではないかと思います。
1 理論的側面: レジーム理論による、捕鯨規制の影響力とWTOの兼ね合い。
2 倫理的側面: NGOによる、アメリカ議会への圧力が大きいと考えられること。
3 日本の外交: ここで、アメリカに対して強く出ることが、対アメリカ、対アジア、対ヨーロッパ外交・戦略にどのような影響をもたらすか。

環境問題や捕鯨問題に関して、今後の日本の外交を大きく左右する要因
になるのではないかと思います。

園田 これ以上悪化すると思いますか? というかこの問題が長期化すると思いますか? 結局米大統領選向けパフォーマンスに終わるような気がします。

大友 確かに大統領選に向けてのパフォーマンス的要素が強いのですが、私が関心をもっているのは、なぜこれがパフォーマンスになりえるかという点です。つまり、この裏にある、動物愛護団体、環境NGO等の動きが、今後の国際世論に対してどれだけ左右するかという点で興味があります。つまり、今回の大統領選においてはこれらの団体を意識したパフォーマンスであることは明らかであるとは思いますが、これが大統領選だけではなく、今後のアメリカの政治に与える影響力といった点で、まだ先があるような気がします。

今回、アメリカが200海里水域内での日本の操業を将来にわたり全面禁止とあっても、これは実質的に影響はないと新聞記事にはありました。ですから今回の件はパフォーマンスの域を出ないでしょう。が、今後の動きがこれだけで済むものなのか、注目しているわけです。また、文化の相違といった点でも注目しています。日本や韓国またはノルウェーなどでは、鯨を食べる習慣がありますが、それがない地域では「野蛮な行為」として受け取られます。特に、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニアなどではそれが顕著なのでしょう。オーストラリアなどで、鯨が湾に入ってくる光景を人々が高台から眺めている光景を目にしますが、これはある種の神秘的な存在として鯨を見ているからだということです。(神の使いがやって来たというような感覚)日本人の場合は、それとは違う意味で鯨に感謝しています。これを彼らは理解できない。そして、鯨を食用にすることを全面的に禁止しようとしているわけです。ここを日本がしっかりと主張していかなくてはならないと思います。この意味で、日本の今回のアメリカに対する態度には興味があるわけです。

捕鯨問題における私の関心は、上記の「NGOや環境保護団体が政治に与える影響力」および「文化の相違と不理解」の2点です。ですから、これか今後さらに尾を引く問題ではないかと考えています。

園田 こと捕鯨問題に限定すれば長期化しない理由として、アメリカ国内の制裁アレルギーにあります。かって米ソ冷戦時代にソ連のアフガニスタン侵攻で、当時のカーター米大統領は、米国産小麦の対ソ禁輸を発表しましたが、農民の圧力で、撤回せざるを得なかった苦い経験があります。この時の教訓が尾を引いているはずです。

すでにアメリカの食品業界や農業団体は、対日制裁が米国農産物の日本向け輸出に響く可能性について、懸念を示しているようです。この分野にまで波及すれば大統領選への影響はマイナス要因が上回るはずです。従って現在アメリカ側も制裁品目の特定に頭を抱えているのではないでしょうか。

ただし大友さんの御指摘どうり、「NGOや環境保護団体」を巻き込んだ今回の捕鯨問題に象徴される構図は、これから日本を悩ませることになるでしょう。今回の日本政府の対応にもアメリカ側への主張はある程度打ち出せていますが、「NGOや環境保護団体」へのアピールが聞こえてきません。従って味方がないままひとり大声をあげているようなものです。

ところで捕獲した鯨はやっぱり食べちゃうんでしょうか?私にとっては鯨って小学校の給食で食べた記憶ぐらいしかないので残念ながら多くの日本人がこの問題で「目くじら」を立てる感情が今ひとつ理解できないところがあります。

大友 先ず、アメリカの「制裁アレルギー」ですが、園田さんのおっしゃる通り、一方の筋が通ればもう一方が通らなくなるという点で、アメリカ政府の頭痛の種でしょう。ですから、カーター政権時代の件も例として的を射ていると思います。ですが、今回は状況が違うように思います。NGOなどの団体は、政府や企業などに対して常時目を光らせプレッシャーを与え続けます。これに対処していかなくてはならないのですから、一時的な処方箋では通用しなくなるように思えます。

また、なぜ捕鯨問題がこのように取りざたされているのでしょうか?確かに現在の日本人がどれほど鯨のお世話になっているかと聞かれれば、ほとんど無しと言えるのではないでしょうか。少なくても、一般人には身近に感じられない食品であることは確かであると思います。私の場合はなおさらです。しかし、その食文化をなくしてしまう理由もないわけです。他の理由として私なりに考えたのは、
1.(日本の)国家としての意地
2. マスコミによる意識の増幅
であると思います。

1に関しては、あまり意識されていないかもしれませんが、国際関係上でよく見られるものです。自国の意志を他に「委ねる」、または「譲る」事は、独立国家としての地位と権威に関ることなので、些細なことであっても意地になることがしばしばあります。
2に関しては、マスコミが繰り返し伝えたり、時に必要以上に大きく取り上げることで、国民の問題意識が増幅されることをさします。案外意識していないことですが、国民意識の形成がこのようになされることがあると思います。今回の例では、捕鯨問題が「日米または日本とヨーロッパ・オセアニア諸国の対立」として刷り込みが自然と行われています。それは報道のあり方にも因ると思います。例えば、捕鯨問題が日米関係に発展したという報道がなされても、捕鯨で生計を立てる人がどれほどいて、捕鯨無しではどれだけの社会問題が起こるとか、「鯨を食さなくなる」ことが日本経済にどれだけ影響を与えるかなどといったことは議論されていなかったのではないでしょうか。結局、捕鯨問題=「日本」対「反捕鯨国」といた図式だけが刷り込まれてきたのではないでしょうか。

またそれが、反アメリカ・ヨーロッパ感情に訴えていくわけです。これは、実は日本だけでなく韓国でも見られるようです。私の知り合いの韓国人は、今回の捕鯨問題を「日本・アジアの文化 対 ヨーロッパ文化」といった図式で見ているようです。

園田 日本だけに限ったわけではないようですが、マスコミも含めて感情が全面に出てきがちですね。冷静にどちらがメリットがあるかの視点で語られるケースが非常に少ないように思います。この視点で将来を考えれば、対象はヨーロッパ文化ではなく、環境主義に移行してくるでしょう。従って図式は「日本・アジア文化 対 環境主義」となるでしょうね。その場合、かなりの部分で「理想的意志」が作用してきます。ただし、この図式の方が手法によっては理解を得られやすいはずです。

日本側とすれば妙な意地にこだわらず、将来を見越して速やかにそのステージに議論の場を移していく方が有利だと思います。理由は、現在多くのNGOや環境保護団体の鉾先がアメリカのグローバリゼーションに向けられているからです。今ならお友達になれるかもしれません。

問題は日本の政策決定者の想像力の欠如でしょうね。多くの方はこの点で30~40年ほど遅れているようですね。いまだにNGOなどを生涯相容れない敵とみなしている方が大勢いるようです。そんな方のために下のホームページを参考にされることをお勧めします。
http://www.whitehouse.gov/PCSD/
http://www.whitehouse.gov/PCSD/Overview/index.html
http://www.whitehouse.gov/PCSD/Members/index.html

大友 鯨に限って言えば、正直のところあまりこだわる必要もないのだと思います。日本政府はきっとこれを認識していると思います。ただ、ここで譲歩すると他の漁業にも響いていくことを恐れているのではないでしょうか。他国の日本食の不理解により、他の魚(鯨は魚ではないですが)の漁獲量を制限されてはたまらない。日本政府が恐れているのは正にここでしょう。

「科学的調査・根拠」にこだわるのは、これを回避する為だと思います。そのようなルール作りをし、国際的に公平な調査を行う機関を将来創設することで、日本の食文化はある程度守られていく。(これが理論的側面です。)この観点からすれば、日本も戦略的に行おうとしているのだと思います。

ところで園田さんは、「マックとマクドのグローカリズム」でも少し触れられていますが、インターネットを使って「日本食を世界に広めよう構想」を実際に行おうとしていますよね。日本の食文化を守る為に有意義であるのでしょう。やはり、日本は「特殊」ですから、世界に理解を求めなくては逆に衰退するしかないような気がします。生魚や魚料理を食べなかった人たちが食べるようになれば、魚を保護しようという意識は生まれても、漁獲禁止とはならないはずです。このような「理性的意思」は共通項を持つことから生まれるものであると考えています。

園田 私は大酒飲みなので帰宅途中もついつい近くの居酒屋さんに寄り道してしまいます。先日、横に座った年配の方から鯨料理のレクチャーを何時間にもわたって受けました。漁港に近いところの出身の方でそれはそれは親切丁寧に教えていただきました。

私はこんなお話を聞くのが大好きです。伝えていく方法は時代に応じていろいろあるように思います。この年配の方のお話も私なりのやり方で世界にお伝えしたいと考えています。

園田さんにメールは E-mail : yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
大友さんにメールは E-mail : ryutar1@attglobal.net