今語る台湾の歴史(1)風と共に去った一枚の統一看板
執筆者:船津 宏【台湾研究家】
中華民国台湾の”臨時首都”、台北市の政治中心には総統府がある。その向かい側には長年の独裁与党だった国民党の立派なビルが建っている。この一角に確か「自由と民主で中国を統一しよう」という趣旨の大きな看板が掛かっていたはずだった。中国国民党政府の最重要スローガンだった。
これがいつの間にかなくなっている。聞いてみると昨年2000年の8月、近づく台風への警報が出る中、「危険だから」ということで撤去されたという。銀行協会など大企業が金を出して看板は設置されていた。確かに古ぼけた看板である。台風が来れば吹き飛ばされ、危ないというのも分からないでもない。それでも何十年も掛かっていたのである。
国民党政権ならば撤去はされず同様の新しい看板に架け替えられていただろう。やはり陳水扁政権への交代は大したものと一枚の看板ながらそう思う。日本人の台湾への関心は高まっているものの、不可解かつ不気味なルールに縛られた日本の新聞報道で一般人には理解しにくい状況をなんとかしたいと思っている。我々日本人が気づかないうちに、2000年をスタートラインに台湾の歴史はもう始まっているようだ。連載に当たって、この看板のことから始めたい。
日本人に一番理解しにくいのが「ひとつの中国」とか「一中一台」とかいう問答である。それを演説で認めたか認めなかったか。話したか話さなかったか。そんなことでミサイルを飛ばしたり、軍艦が集結したりする必要があるのだろうかと一般の日本人は思う。石原慎太郎東京都知事が昨年2000年5月の総統就任式の時、インタビューで述べた「一中一台で十分だ」というコメントも問題発言のように報道しながらもその詳しい解説はテレビでは行われないのはどうしてだろうか。
中国の歴史は50年。1949年に建国したから、2000年でちょうど50年になるわけだ。チャイナの歴史は数千年と言っても差し支えないものの、中国(中華人民共和国)の歴史はたった50年である。
一方、もうひとつ中国を名乗る国がある。これが中国国民党政府が指揮してきた中華民国である。こちらは1912年にスタートしている。これ以前に中国を名乗った国は歴史上存在しない。このあたり日本の歴史教科書は誤っていない。そう学校で習ったようにそれは唐とか漢とか明とかいう国だ。
現在、この中華民国台湾を国連は認めていない。2200万人ほどの人がひとつの体制の下に平穏に暮らしているのだが、この人たちは国連からすると”国民”ではないらしい。英国の団体には「2200万人の難民」と規定しているところもある。あの島に豊かに暮らす人々が難民? 筆者にはどうころんでもそういう風には見えないのだが。(了)
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