執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

長野県の田中康夫知事が「知事の在職は3期12年まで」という内容の条例案を県議会に提出した。三重県の北川知事が2期8年で辞任する意向を示したことと併せてわれわれに大きな問題提起を投げかけてくれたと思う。

筆者はかつて【独立北海道では大統領や知事は3選禁止】というコラムで首長の在職は「2期8年まで」と主張したことがある。アメリカ大統領でも任期は「2期8年」ということを参考にもので、日本の企業社会でも社長に任期は3期6年がほどよく、4期8年が限界とされていることを根拠とした。

知事の任期を条例でしばる必要があるかどうかは議論の余地があるが、長期政権の弊害はあまりにも大きい。一番の弊害は本人の資質とは別に、知らない間に取り巻きがイエスマンで固められてしまうということであろう。

田中知事も2日の知事会見で「多選の弊害というのは1人の首長のみが長くいるからではなく、首長とともに働く組織というものが、結果としてお仲間として内向きの論理になってしまう。これが県民から疑念を抱かれたり、違和感を抱かれることにつながる」と語っている。

長野県庁にはすでにそうした新たな「お仲間」が生まれつつあるのかもしれない。いやきっと生まれていることに知事自身が気付いたのだろうと思う。

知事や市長といった住民の直接選挙で選ばれる首長はアメリカ大統領と同じで絶大な権限を持つ。もちろん制度的には議会が行政のチェック機構として機能する仕組みにはなっているが、国と違って地方行政には強力な官僚軍団もない。

そんな首長が、10年も20年もトップの座につけば自治体行政は半ば「独裁化」する。高邁な理念と行動力を持っていればなおさら求心力が強まる。「求心力」と言えば肯定的で、「独裁」だと否定的な表現となるが、政治力学的にいえば「求心力」も「独裁」もあまり違わない。

そんな制度に組み込まれた権限集中とは別に、日本の地方の場合、政令指定都市がある都道府県を除いて、「自治体」が最大の事業主である場合が多い。売上高規模(予算)でも、従業員数規模でも他の民間企業を圧倒している。自治体予算を凌駕できる民間企業は9電力会社以外にほとんどない。県庁という組織はいわばガリバーなのである。金融機関、土木会社といった経済界から教育界、警察、はては場末の飲み屋まで県を頂点としたピラミッドに組み込まれているのが現実だ。

長期政権は知らず知らずの間にイエスマンだけを取り巻きに残すことになるのは自治体に限った話ではない。

同僚記者が大分前、ある大手合繊企業とマスコミの懇談会の席上、異常な光景に遭遇した。社長がたばこに火を付けたとたんある役員が灰皿を持ってきて吸い終わるまで灰皿を持ち続けていたというのだ。彼が、びっくりしたのは60歳を前にしたその役員の行動ではなく、この間平然としかもマスコミの前でたばこの灰を灰皿に落とし続けていた社長の感覚だった。この社長も在任中は名経営者の誉れが高かったが、長期政権の間にそんな取り巻きばかりになり、社長自身が常識感覚を失っていったのだろう。

本人からすれば、トップの任期として8年は短いのだろうが、決してそうではない。まず第一に、霞ヶ関の常識でも局の筆頭課長が事務方のトップである事務次官になるのに10年はかからない。このことは自治体でもあまり変わらないだろう。就任時に一番身近だった秘書課長が定年で辞めてしまっているのに知事はまだ現役で「やり残したことがある」というのでは示しがつかない。

次に、経済や社会の変化は意外に速いものであることをトップは身をもって知るべきであろう。今年の12年前は1990年だ。日本経済はバブルの頂点で、最大の債権国として日本の閣僚はサミット(主要国首脳会議)やG7(先進7カ国蔵相中央銀行総裁会議)など国際会議では肩で風を切っていた。

地方ではリゾート法による開発が盛んとなり、第三セクター方式による開発のほとんどが自治体の不良債権化している。日米経済も10年間で立場が180度逆転した。「たった10年間の間に」と考えるのか「10年もたてば」と考えるのか。もちろん後者の考え方が常識である。

王様だって20年もすれば後進に譲るのが常道だ。まして市井の人間がそんなに長く行政を牛耳るわけにはいかない。

独立北海道では大統領や知事は3選禁止
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