執筆者:美濃口 坦【ドイツ在住ジャーナリスト】

自衛隊のイラク派遣についてどう考えたらよいだろうか。私はドイツで暮らしているせいか日本だけでなく他の国のこともいっしょに考えてしまう癖があるが、今回もそうである。
内乱の阻止 大晦日イラク北部キルクークの町でアラブ人と少数民族トルクメン人のデモ隊がクルド愛国同盟(PUK)の建物に発砲し、警察隊(=クルド人)が応酬した。その結果デモ隊側の数人が死亡し多数の負傷者がでる。翌日二人のクルド人が仕返しにナイフで刺し殺された。米軍はこの一触即発の状況を沈静化するために夜間外出禁止命令をだした。その後、駐留米軍がクルド民主党(KDP)事務所を捜査し多数の武器を押収するとともに武器不法所持のために党員一名を逮捕した。
イラクには昔北にクルド人南にアラブ人が居住し、両民族を分ける緩衝地帯にトルコ系の小数民族トルクメン人が住んでいた。キルクークが油田で重要になったために、サダム・フセインは原住民だったクルド人を強制的に追い出してアラブ人を居住させるアラブ化を進めた。フセイン政権崩壊後、今度はクルド人がアラブ人、トルクメン人、キリスト教徒のアッシリア人を追い出そうとしている。
フセイン政権崩壊後、クルド人はイラクの未来の政治体制として連邦制、油田の中心地・キルクークを連邦内・クルド人共和国の首都にすることを要求している。米国がクリスマスの前にクルド人のこの要求を認める様子をしめしたことがアラブ人とトルクメン人の不安と反発の原因である。
韓国軍は、すでにナシリヤ郊外で医療援護などを実施しているが、4月からこのような問題を抱えたキルクークを含むアタミン州全域に約3000人の兵士を派遣する。民族紛争は、はじまる前に手遅れにならない前に介入したこほうがよいことは、EUのマケドニア介入で証明済みである。米国はアラブ世界では信用されていない。アラブ人やトルクメン人は、米国が戦争で協力したクルド人に味方すると思っている。このような事情から、韓国兵士のほうが現在駐留する米173空挺旅団より治安維持と民族紛争の予防のために役立つように思われる。

イラクをこれからどうするか
この韓国の派兵をどのような評価すべきかという問題は、イラクを今後どうするかという問題と絡んで来る。安全保障理事会はすで米英をイラク国民に代わって主権を行使する「占領当局」として認めてしまっている。これは、米英の戦争を認めないままその結果を承認したことで、戦争に反対していた国々にとって後味の悪い妥協である。でも安保決議は占領軍にイラク国民に対しての責任を明確にし、同時にイラク国民にできるだけ早い時期に前と同じ主権が返還されるべきことをうたっている。「前と同じ」というのは、クルド人やシーア派の分離運動発生し、血を血で洗う内乱状態になることを回避することを意味する。
現在、欧州諸国はそのイラク政策を大幅に転換しつつあるが、多くの人々が内乱勃発を心配しているからである。(彼らの多くが米・英のイラク戦争に反対した大きな理由の一つもこの心配であった。)また彼らがこの問題に特に敏感になるのは九〇年代に身近に経験したユーゴ紛争の悪夢が残っているからといわれる。 欧州の政策転換のキッカケは昨年の11月15日にイラク統治評議会と米英占領当局(CPA)との間で実現した合意で、これは今年の6月までに暫定政権を発足させて主権をイラク国民に返還することを予定している。本来長々と占領して、イラク国有財産の徹底的民営化をはじめネオリベラリズムの夢を実現しようと思っていたのに、早めに切り上げることにしたのは、イラク人にすっかりてこずっているうちに、多くのことが不可能であることがわかってくるなど、米の政策が転換しつつあるからである。
メディアで「米占領政策の転換」と呼ばれる主権返還日程についての合意は、フィッシャー独外相が「正しい方向への第一歩」とコメントしたように、(戦争反対だった)欧州諸国から好意的に評価された。
シーア派は11月に合意した「主権返還日程」案に反対して暫定政権発足後でなく暫定政権発足前の選挙実施を要求し激しいデモを現在繰り返している。占領軍当局(CPA)は、シーア派、分離傾向の強いクルド人、旧政権崩壊で権力の大幅な喪失をおそれるスンニ派など相対立する勢力の間で妥協させて、「主権返還日程」がいろいろ変更されるかもしれないが、何とかこの方向に進ませなければいけない。相対立するスンニ派、クルド人、シーア派のどれからも信頼されていない米国はこの交渉過程に国連を組み込もうとしているといわれる。内乱状態にならずに対立勢力が交渉したり文句をいったりデモをしたりしているうちに沈静化するなら、(楽観的かもしれないが、)本当にけっこうなことである。 戦勝国だけでなく、国連が重要な役割を演じることは、本来フランス、ドイツ、ロシアなどの戦争に反対した国々が要求していたことである。 今年中頃NATOがイラク安定化のために派兵を決議し、ドイツも派兵を拒めなくなり、またフランスも派兵する用意があるとされるのは、欧州と米国の間に収拾のつかない内乱状態を避けようとする点で共通の認識があるからといわれる(南ドイツ新聞1月17/18日)。

占領軍に抵抗するイラク国民
米欧間の妥協に賛成する人々は、今のイラクの現実が内乱の危険を孕むと見てその発生を一番避けるべきと思う。ところが、イラク国民が侵略者の英米占領軍に果敢に抵抗していると思っている人もいる。イラクの現実がこのよう見える人々には「11.15の合意」も米・欧の歩み寄りも戦争に反対した欧州が米の圧力に屈したことで納得できない。
それでは、「占領軍に抵抗するイラク国民」といのは本当だろうか。バース党に近かった「スンニ派三角地帯」の住人で米軍に抵抗している人々にイラク国民全体を代表させればこれは正しい。でもイラクは多民族国家であり、宗派の相違が重要である。欧米には「イラク国民」という概念の存在を疑う人々は昔から少なくない。どのイラク人も外国軍駐留を嫌うが、とはいってもその嫌い方はフセイン政権の崩壊をチャンス到来と思ったクルド人やシーア派と権力喪失のはじまりと感じたスンニ派とではそれぞれ異なっている。
「占領軍に抵抗するイラク国民」というイメージは世界中でいろいろなカラーの人々に受け入れられている。戦争に反対していた人々の一部はこう考えるほうが現在のイラクの不透明な現実に目を向けないで済まし「戦争反対」の立場を維持できる。またアラブの知識人も「アラブ世界対西欧(特に米)」という図式で考えて、これを現在のイラクの現実に投影すると「占領軍に抵抗するイラク国民」になる。
次は欧米メディアの報道の仕方である。彼らにとって英米軍兵士の死は報道に値する事件で、イラク人同士が内ゲバで死ぬのはほとんど事件にもならない。現実には一週間に千人ぐらいのイラク人が不慮の死に遭っているといわれる。「占領軍に抵抗するイラク国民」というイメージが、人種主義的な欧米中心のこのような報道の在り方によって強められていることを、私たちは忘れてはいけない。
今イラクに派兵することは米国の侵略戦争の追認になると考える人は多い。でもこれは筋違いである。侵略戦争犠牲者に良かれと思ってを援助することが侵略の追認なら赤十字の活動の多くがそうなる。本当は、米国を助けることを多くの人が我慢できないのではないのか。でもここで「我慢できない」のは、自分たちが無力で侵略した張本人を処罰できないこと、また国際社会に(国内と異なり)警察も裁判所も存在しないことに対してである。でも自分たちの国が無力で、国際社会がこうであるのは昔からの不愉快な事実であり、この事実に直面することは戦争の追認にならない。
米国の石油に対する「劣情」であるが、戦争終了後イラク原油が大量に出回り原油価格が下がり世界景気が上向きに転じるというありがたい話を、私たちは戦争開始前に散々聞かされた。また米納税者のほうは戦費がイラク原油でペイできると聞かされた。現実は厳しくイラクは石油輸入国に転落し国内でガソリン代は十数倍値上がりしてしまった。(これもイラク国民の怒りの種である。)もともとネオコンの「世界石油戦略」などは、現実に無知で作文上手な優等生の「取らぬ狸の皮算用」」のような話である。
米国が今までないがしろにしてきた国連に色目をつかうのは大統領選挙のためというのは正しい。ブッシュ再選は地球上住民・大多数に悪夢であるが、だからといってイラク人の多くがおそれる内乱・混乱状態を期待するべきではない。またイラクの混乱は中東全体に波及する危険がある。

賛成・反対以前の問題
私はイラクの事情についてこう考えるので、韓国のイラク派兵にも、今年実現するといわれるドイツやフランスの派兵にも賛成する。ということは、私は日本の派兵に反対できないことになる。ドイツで暮らしているので私の日本について情報は限られているが、事情を知れば知るほど、賛成・反対以前の問題で自分の常識が通用しないことに気がつく。本当に失礼な疑いであるが、日本政府はイラクで一番安全そうな場所をさがし、オランダ軍が駐留するサマワを見つけて自衛隊員の居候を頼んだのではないのだろうか。(コソボで起こったことだが、)二つの国の軍隊が同じ町に駐留するとどちらが指揮権をもつかで問題になる。ところが今回この話が聞かれない。 米国からの圧力があるかもしれない。でもそれ以上に、憲法九条問題で既成事実をつくりたい日本政府にとって、武装兵士の海外派遣そのものが自己目的になっているのではないのか。とすれば、これは、結婚したいだけで、相手かまわずに結婚したがる人と似ている。だから相手、つまりイラクのことなど本当はどうでもよいのである。
イラク派兵に反対する人々にとって、派兵、すなわち結婚そのもに反対することが重要で、相手、すなわちイラクの事情も二の次である。だから反対するために何が何でも「戦闘地域」にして、「占領軍に抵抗するイラク国民」と思いたいのではないのか。
何が何でも結婚したい結婚至上主義者と独身至上主義者の論争、相手の存在とお構いなしにこんな議論を半世紀も続けていると、どこかがおかしくなってくるのではないのか。私はそのことを一番おそれる。一部の政治家が憲法改正したら「普通の国」になれると考えているとしたらこれも本当に甘い見解である。 賛成・反対で隠された問題
陸上自衛隊第11師団長が、地元の札幌市でイラク派兵反対運動が激しくなるなら「雪まつり」に協力できないという意味の発言をしたそうである。この発言は、制服組が市民に特定の政治的見解を強要したので「普通の国」なら与野党の政治家が一致して問題にしたと思われる。そうならないのは問題を問題として感じる基準が日本人の頭の中でとっくに失われてしまったか、最初から存在しないことになる。
私が更に仰天したのは、この発言を報道する東京新聞の記事の中で、「同師団関係者と親しい」される軍事評論家神浦元彰氏の次の発言を読んだときである。
「陸自のトップ連中は頭に来ている。イラク派遣の最低限の条件と言っていた国民の支援が得られていない。拍手や熱い期待が得られない空しさがある。札幌市民にケツをまくったというよりは社会にまくったのでしょう」
自衛隊の幹部がこのように考えているとしたら、「普通の国」の軍隊とはいえない。イラクに派遣される自衛隊はオリンピックに参加するナショナルチームではない。それなのに、どうして自衛隊の上層部は「国民の支援」とか「拍手や熱い期待」とかを望むのか。政治の最高責任者小泉首相が決定したイラク派遣が国民に支持されるかどうかは、小泉首相の心配する問題であり、軍人が関知すべき問題でない。
ドイツを「普通の国」の例とすると、ドイツの軍人にとって国民とは直接「支援」してもらったり「拍手」してもらったりする存在でない。というのは、自分たちと国民の間にシュレーダー首相を代表とする政治機構が超えることのできない壁として聳え立っている。ところが日本のほうはこうなっていない。それどころか、一部の政治家が「イラク派遣自衛隊隊員を支援する議員の会」(仮称)をつくったり、隊員の無事帰還を願う「黄色いハンカチ」運動を展開するという。このような発想を奇妙と思わないのも、彼らが「普通の国」の普通の軍隊を知らないからである。
話題にのぼりたいだけの政治家の仲介で自衛隊と国民の間にこのような直接のパイプがつくられことは望ましくない。イラクで自衛隊員に不幸が起こったら、それを政治目的に利用することを恥ない人々が跋扈するのではないのだろうか。現在すでに「命を賭ける自衛隊員に失礼だから」という理由で、派兵反対の政治家に自民党から出ることを要求するマスコミが存在する。イラクで不幸があったら、このような声も死者の重みのために無視できなくなる。こうして生まれた雰囲気が民主主義を毒することは多言を要しない。
戦前、一部の軍人があれほど政治家(文官)を無視したのは自分たちは国民から支援されていると思っていたからである。制服組が国民と直接関係をもとうとすることは、シビリアン・コントロールという観点から見て望ましくないし、「普通の国」の普通の軍隊にふさわしい態度ではない。
自衛隊がこれほど国民の支援を求めるのは、いうまでもなく日本社会の中で差別されて「日陰の存在」だったからである。こうだったのは、私たちが戦後「反軍国主義者=平和主義者」に豹変して、不幸をもたらした戦争と関係の深かった軍人を縁起の悪い不吉なものと見なすようになったからである。そのために自衛隊のほうは国民から「認知」を得ようと他の国の軍隊がしないような大サービスに努める。「雪まつり」に対する協力もその一つである。
反軍国主義的時代風潮から自衛隊が直接国民の支持を得ようとし、その結果軍隊と国民が直接結びつく軍国主義的土壌ができてしまったことは歴史の最大の皮肉である。自衛隊派遣は、オランダ軍が治安を回復したサマワの舞台の上に重武装した日本兵士を登場させることで、観客はいうまでもなく日本国民である。私たちはこれを機会に「賛成・反対」の硬直した議論で半世紀近く隠れていた問題に眼を向けることができれば、これも幸いなことである。
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