執筆者:中野 有【ジョージワシントン大学客員研究員】

ワシントンのタクシードライバーは、大卒のアフリカ人が多い。特にエチオピア人、ナイジェリア人、ガーナ人が、7割ぐらい占めている。西アフリカの体験から、なつかしいなまりのある西アフリカ出身のドライバーの車に乗ったときには、話が弾む。国際的な視野を持つ巷の評論家の彼らに共通するのは、アメリカの拝金愛し主義的な競争社会への批判である。
しかし、朝から晩まで仕事に追われている彼らには明るさがある。アメリカでせっせと働き着実に財産を築き、アフリカに戻り広大な土地を買い、アフリカの伝統的な生活を謳歌したいという夢があるからである。彼らの夢はアメリカンドリームでなく、アフリカンドリームである。
アメリカで10年働けばアフリカで一生暮らせる財産ができ、20年働けば、親戚まで養える財産ができるという。このようなアフリカ人のドライバーの第2の人生を謳歌する人生設計の話を聞けば羨ましくなる。これは途上国の特権である。西アフリカの奥地に行けば、至る所にマンゴ、パパイヤ、パイナップル、オレンジ、グレープフルーツ、ココナッツ等が豊富にある。土地があれば自然の恩恵を受け、社会の歯車として働かなくても自由を謳歌しながら食っていけるのである。 アフリカの奥地の生活で学んだことは、アフリカ人特有の楽天的な生活のリズムである。お金がなくても狩猟で成果があがらなくても、トロピカルフルーツのおかげで健康的に暮らせる。加工食品でないダイエットの生活ができるのである。先進国の尺度では、アフリカの奥地の所得は二桁違いであるけれども、アフリカ人の楽観的な精神的なタフさは、先進国より優れているとさえ思われる。自然と一体に生活し自然を崇拝するというアフリカのアニミズムは魅力的である。日本の古代から伝わる宗教とアフリカのアニミズムとは、自然を崇拝し多神教的であるという点で類似点がたくさんある。
現在の日本の社会は、勝ち組と負け組の格差が鮮明になりつつある。生存競争に破れた者は、敗者復活の機会も少なく、浮浪者になる者も多い。年間3万人が自殺したり過労死が存在するという社会は、異常である。日本の社会は敗者に冷たい社会である。地下鉄や公園にたむろする浮浪者を無視する大衆の行動には強い違和感を覚える。この世知辛い社会に敗者復活の夢はないものであろうか。
世界的傾向として、世界の人口は都会に移動している。特に途上国においては、都会のスラム化が深刻な社会問題になっている。冒頭で述べたワシントンのアフリカ出身のタクシードライバーは、アメリカで働き貯金をして、アフリカの故郷に帰り、人生の後半を大自然とともに暮らす人間らしい生活を実現することにより人生が2倍に楽しめるという。
このようなライフスタイルを、出稼ぎと言ってしまえばそれまでだが、アメリカとアフリカの両方の生活を知っているアフリカ人が、アフリカの生活の方が魅力的だと考えていることから、きっと機械的、物資的な先進国の生活より崇高な生活がアフリカにはあるのだろう。日本でも地方や田舎の生活に価値観を見いだす人々も増えているが、リストラを経験した人々や社会の敗者となった人々や、自殺まで追いこまれる人々も、田舎の自然の中で農業に従事しながら人生を謳歌する敗者復活の道があれば、窮屈な硬直した世の中に丸みができるのではないだろうか。
高齢化社会の到来により、福祉が表層的になり特に敗者の生き方が問われる。敗者が敗者でなくなるパイオニア的なライフスタイルは、ワシントンで働くタクシードライバーのように故郷に戻り、自然の恵みに浸りながら第2の人生を謳歌する生き方にヒントがあるのではないだろうか。市場開放における日本の弱点は、農産物の自給が低い所にある。ならば、市場経済に順応できなかった人々が過疎化が進む中間山地や漁港等に赴き、農水産業に従事することにより、農業問題を解決できると考えられる。田舎の澄んだ空気を一杯吸いながら、第2の人生を謳歌する者のみならず敗者復活のための人間らしい生活を満喫できる社会的システムができれば、競争社会にも活気ができるし、たとえ敗者となっても人生の意義を見いだすことができるのではないだろうか。ビジネスの成功や失敗に関わらず、晴耕雨読の生活こそ、日本人的な気がしてならない。
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