ビッグ・リンカー達の宴2-最新日本政財界地図(4)
執筆者:園田 義明【萬晩報通信員】
■緒方貞子と山本襄治と上智大学の聖イグナチオ教会
2003年12月10日、緒方貞子・国際協力機構(JICA)理事長は、「国連難民高等弁務官としての10年」というテーマで講演を行う。会場となったのは聖イグナチオ教会の主聖堂とヨセフホールである。この聖イグナチオ教会はイエズス会の創設者で初代総会長を務めたイグナチオ・デ・ロヨラにちなんで名づけられ、隣接する上智大学と共にローマ・カトリック教会に所属するイエズス会が設立母体となっている。
緒方貞子の学歴は聖心女子大学文学部卒、ジョージタウン大学卒、カリフォルニア州立大学バークレー校大学院政治学専攻博士課程修了となっているが、聖心女子大学も1800年に修道女マグダレナ・ソフィア・バラらがフランス・アミアンに創立した聖心会を母体としているカトリック系大学である。
この緒方貞子と上智大学との関係は20年以上に及んでおり、これまで上智大学外国語学部教授(1980?88)、同大学国際関係研究所長(87?88)、同大学外国学部長(89?91)を務め、現在も同大学の名誉教授となっている。
緒方貞子が講演を行った聖イグナチオ教会の神父の中に山本襄治の名前がある。山本神父は1962年に上智大学神学修士課程を修了し、上智大学神学部教授、上智学院理事長を務め、現在緒方貞子と同じ名誉教授である。
緒方貞子は1927年9月16日生まれ、翌年の1928年6月29日に山本神父はニューヨークで生まれた。緒方貞子と山本神父は小学生の頃にはすでに出会っていた可能性があった。
■小林陽太郎の洗礼
1998年9月6日午後8時28分、小林伸子は肝不全のため89歳で死去した。葬儀・告別式は9月9日に聖イグナチオ教会で行われた。喪主は長男である小林陽太郎・富士ゼロックス会長である。つまり亡くなったのは小林会長の母であった。
小林陽太郎は、1933年4月25日、後に富士写真フイルムの社長となる父・節太郎の駐在地、ロンドンで生まれる。この時、小林には日本人名「陽太郎」のほかに「アントニー」という英語名が授けられ、日本に戻ってからも「トニー」(アントニーの愛称)と呼ばれていた。しかし、米英との開戦が近づくにつれ、「トニー」の呼び名は小林家から消えていくことになる。
慶応義塾大学経済学部卒業した小林はペンシルベニア大学大学院でMBA(経営学修士)を取得している。そして、30歳頃には夫人の影響から結婚を前にカトリックの洗礼を受ける。その洗礼名は「アントニオ」となり、幼いころのアントニーの記憶が蘇ることになった。この時、代父(ゴッドファーザー)になったのは服部一郎・セイコー電子工業、セイコーエプソン社長(1987年死去)である。
小林陽太郎は富士ゼロックス代表取締役会長以外にも米ゼロックス取締役、日本電信電話(NTT)取締役、ソニー取締役、米キャロウェイ・ゴルフ取締役、米国生産性品質センター取締役、米ゼネラル・モーターズ(GM)元取締役、米コーニング元取締役、スイスABB(元アセア・ブラウン・ボベリ)元取締役、伊モンテジソン元取締役など数多くの肩書きを持っており、日本で唯一の世界的なビッグ・リンカーである。
そして、小林が生まれて3年後の1936年、英国植民地香港のビクトリアピーク中腹にある三菱商事共同社宅の広い芝生の真ん中に、生まれたばかりのまるまる太った男の子が座らされていた。
■「タダシ・テディ・ベア」から「日米交流のエース」へ
1936年、まるまる太った男の子は、年上の兄弟達から「タダシ・テディ・ベア」と呼ばれていた。その周りでボール遊びをしていたのが、長男の襄治(山本神父)、長姉の故シスター山本愛子(元聖心女学院校長)、次兄清、次姉勇子、東京銀行元頭取の高垣佑である。当時、香港の日本人小学校には多いときで200人近い児童がいたが、その中のひとりに中村貞子もいた。中村貞子は現在の緒方貞子である。
「タダシ・テディ・ベア」こと山本正は敬虔なカトリック信者である山本家の末っ子として1936年3月11日に生まれる。正も家族の影響を受け,神父になるつもりで上智大学の文学部哲学科に入学するが、2年生を終えるころにこのまま聖職に就くのが正しいのか悩むようになり、家族の影響から逃れて自分でゆっくり考えようと58年に米国の大学に編入する。そして、セント・ノーバート大からウィスコンシン州マーケット大大学院で経営学修士(MBA)取得する。 帰国後の1962年に信越化学工業に入社し、小坂徳三郎社長秘書や小坂社長の財界人会議のスタッフなどを務めた。この時から、「タダシ・テディ・ベア」は「日米交流のエース」へと変貌を遂げることになる。そして、小坂社長が政界進出するのを機に信越化学工業を退社し、1970年に日本国際交流センターを設立、1973年に財団法人として認可され代表理事となり、1985年に理事長に就任、現在に至っている。
山本正は帰国後、日米の政治家、財界人、学者達が一同に集まって日米関係について論じ合う「下田会議」(1967年第一回会合)や日米の与野党議員が参加する「日米議員交流プログラム」(1968年第一回米国代表団訪日)、日米欧の有力政治家や財界人,学者が共通の政策課題について研究し,各国政府への提言をまとめる「トライラテラル・コミッション(日米欧委員会)」(1973年第一回東京総会)を手がけ、国際交流の舞台を設ける黒子役に徹してきた。おそらく海外にかかわる仕事や日米関係の研究に携わっている者であれば,彼の名前を知らぬ者はいないはずだ。
また、山本正はこれまで歴代首相にも重用されてきた。1988年5月には竹下首相(当時)の私的懇談会「国際文化交流に関する懇談会」のメンバーとなり、1999年3月には小林陽太郎とともに小渕(当時)首相の「21世紀日本の構想」懇談会の幹事に選ばれている。小泉首相との会見は2002年3月11日と2003年3月31日の二回の官邸訪問記録が残されているが、歴代首相と比べるとこの二回という数字は極めて少ないものとなっている。ただし、「首相を囲む会」そのものが山本正人脈と言っても過言ではない。
■日本のカトリック人脈
ここで「首相を囲む会」と山本正が理事長を務める日本国際交流センターとの関係を見ておこう。
「首相を囲む会」のメンバーで山本正率いる日本国際交流センターの役員になっているのは、牛尾(理事)、小林(理事)、茂木(理事)、野村(評議員)、宮内(評議員)の5名である。「首相を囲む会」のメンバー以外では大河原良雄、安藤國威(ソニー社長兼COO)、出井伸之(ソニー会長兼グループCEO)、カルロス・ゴーン(日産自動車社長兼最高経営責任者)、小笠原敏晶(ニフコ会長、ジャパン・タイムズ会長)、豊田章一郎(トヨタ名誉会長)、グレン・S・フクシマ(日本ケイデンス・デザイン・システムズ社長)、槙原稔(三菱商事元会長)など蒼々たるメンバーが集い、緒方貞子の夫である緒方四十郎も評議員となっている。
1973年に財団法人として認可を得た時の発起人には(肩書はすべて当時)、植村甲午郎(経団連会長)、永野重雄(新日鉄会長)、中山素平(日本興業銀行相談役)、木川田一隆(東京電力会長)、岩佐凱実(富士銀行会長)、井深大(ソニー会長)ら財界の大物が名を連ね、基本財産1070万円は、ソニー、東京電力、日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行、西武百貨店、ウシオ電機が拠出している。
「最新日本政財界地図(3)」で触れた大河原良雄・元駐米大使も日本国際交流センターの理事であり、逆に山本正は大河原良雄が関わる世界平和研究所の評議員、笹川平和財団の評議員、日米交流150年委員会の運営委員会委員、そして笹川系の東京財団の評議員も務めている。
つまり山本正が財団・シンクタンク・NPOにおいて多数の役員を兼任するビッグ・リンカーとなっている。そして、小林陽太郎、緒方夫妻、山本正から成る日本のカトリック人脈が日本の政財界のみならず、トライラテラル・コミッションでも極めて強い影響力を持っている。
現在、トライラテラル・コミッションのアジア太平洋地域の幹部はアジア太平洋委員会委員長、アジア太平洋委員会副委員長、パシフィック・アジア・ディレクターの3名で構成されているが、その役職に就く人物は、順に小林陽太郎、緒方四十郎(緒方貞子はアジア太平洋委員会委員)、山本正である。
なお、山本正が帰国後に入社した信越化学工業は、信越ポリマーなどの信越化学グループや信濃毎日新聞と共に信州の名門・小坂財閥の企業群である。小坂財閥は小坂善之介が興し、その長男順造が花咲かせた。そして徳三郎は信越化学工業を発展させた中興の祖とされている。いずれもその活動範囲は経済界に留まらず政界にも進出し、善之助が衆院議員、順造が衆院および貴族院議員、そして順造の長男である善太郎は初代国家公安委員長、外相二回、経企庁長官、衆院予算委員長、自民党政調会長、同外交調査会長、日米議員連盟会長、そして日本国連協会会長などを務めてきた。善太郎の弟である徳三郎も総理府総務長官、経済企画庁長官、運輸相を歴任している。現在は善之助から数えて四代目となる善太郎の次男、小坂憲次が衆議院議員である。
「タダシ・テディ・ベア」の周りで一緒にボール遊びをしていた高垣佑(東京銀行元頭取)は、三菱銀行との合併後の東京三菱銀行頭取、会長、相談役を務めながら、現在も信越化学工業の監査役になっている点は興味深い。また、同社の取締役会にはフランク・ピーター・ポポフがいるが、ポポフは米ダウ・ケミカルの前会長兼CEOで、現在はアメリカン・エクスプレスやユナイテッド・テクノロジーの取締役を務める米国インナー・サークルのひとりである。
善太郎と徳三郎の母、花子は生来のクリスチャンで、英語もこなし、「天は自ら助くるものを助く」を座右の銘としていた。この母の影響が小坂家の国際感覚を育み、山本正を中心とするカトリック人脈を生み出す源になったのかもしれない。
なぜ、国際派にクリスチャンが多いのか? この問いかけについて参考になる発言があるので紹介したい。国際派を目指す方はぜひメモを取っておこう。
同じカトリック教徒として長年家族ぐるみの交際を続けている山本正は緒方貞子のことを「理想主義と使命感を持っている。カトリックのいい面が出ている人だ」と評したことがある。そして山本は前経団連会長の平岩外四が難民キャンプにいる緒方の写真を見て「聖女が立っている」と言ったのを聞いたことがあると語っている。
山本正と20年以上の付き合いである牛尾治朗・ウシオ電機会長(囲む会メンバー)は国際交流にかける山本の原点はどこにあるのかと問われ、「キリスト教的な使命感と米国留学で培った理想主義が,彼の人格の中核にあると思う」と答えている。
ふたりに共通する使命感と理想主義、確かに現在の日本人が忘れつつあるものかもしれない。
□引用・参考
天の恵み??東京銀行頭取高垣佑氏(交遊抄)1995年3月21日付け日本経済新聞朝刊
人物-21世紀への100人-山本正[日本国際交流センター理事長]-裏方に徹し民間外交に尽力政・財・官・学に静かな名声日経ビジネス1992年10月12日号
人物-1世紀への100人-小林 陽太郎[富士ゼロックス社長]-「日本再アジア化」説き存在感増す財界国際派日経ビジネス1991年9月9日号
人物-挑む-難民救済の「聖女」 緒方貞子氏[国連難民高等弁務官]-使命感と現実主義で対応厚い人望が活動の枠広げる日経ビジネス1995年1月9日号
財団法人日本国際交流センター(JCIE)
http://www.jcie.or.jp/
http://www.jcie.or.jp/japan/intro/yaku.htm
TheTrilateralCommission
http://www.trilateral.org/
http://www.trilateral.org/memb.htm
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