アーロン収容所の英軍女性兵舎の掃除
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
1967年5月、日本に帰ってきて読んだ本がある。会田雄次『アーロン収容所』(中公新書)である。京都大学教授がそのむかし学徒動員でビルマ戦線に投入され、戦後ラングーン(現ヤンゴン)のアーロン収容所に収容された時の経験を書いたものである。
この本はまだ中公新書で87版を重ねている名著である。
会田雄次氏はアーロン収容所での屈辱的な体験として「女兵舎の掃除」でイギリス人のアジア蔑視の実態を憤慨しながら書いている。当時の西洋人はアジアの人々を「人間」として扱っていなかった。南アフリカでの体験からさもありなんと考えた。
人権だとか民主主義だとかは西洋での約束事でアジアやアフリカではまるで関係ない事柄なのだということを改めて知らされたのである。
『アーロン収容所』を読んでいない人にために「女兵舎の掃除」のくだりを転載してみたい。
「英兵兵舎の掃除というのはいちばんイヤな作業である。もっとも烈しい屈辱感をあたえられるのは、こういう作業のときだからである。………その日は英軍の女兵舎の掃除であった。看護婦だとかPX関係の女兵士のいるカマボコ兵舎は、別に垣をめぐらせた一棟をしめている。ひどく程度の悪い女たちが揃っているので、ここの仕事は鬼門中の鬼門なのだが、割当だから何とも仕方がない」
「まずバケツと雑巾、ホウキ、チリトリなど一式を両手にぶらさげ女兵舎に入る。私たちが英軍兵舎に入るときは、たとえ便所であろうとノックの必要はない。これが第一いけない。私たちは英軍兵舎の掃除にノックの必要なしといわれたときはどういうことかわからず、日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた」
「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない、私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた」
「入ってきたのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女たちはまったくその存在を無視していたのである」
「このような経験は私だけではなかった。すこし前のこと、六中隊のN兵長の経験である。本職は建具屋で、ちょっとした修繕ならなんでもやってのけるその腕前は便利この上ない存在だった。………。気の毒に、この律義な、こわれたものがあると気になってしょうがない。この職人談は、頼まれたものはもちろん、頼まれないでも勝手に直さないと気がすまないのである。相手によって適当にサボるという芸当は、かれの性分に合わないのだ」
「ところがある日、このN兵長がカンカンに怒って帰ってきた。洗濯していたら、女が自分のズロースをぬいで、これも洗えといってきたのだそうだ」
「ハダカできやがって、ポイとほって行きよるのや」
「ハダカって、まっぱだか。うまいことやりよったな」
「タオルか何かまいてよってがまる見えや。けど、そんなことはどうでもよい。犬にわたすみたいにムッとだまってほりこみやがって、しかもズロースや」
「そいで洗うたのか」
「洗ったるもんか。はしでつまんで水につけて、そのまま干しといたわ。阿呆があとでタバコくれよった」
N兵長には下着を洗わせることなどどうでもよかった。問題はその態度だった。「彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに人間ではなかったのである。それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような間隔を持つ必要なないのだ、そうとしか思えない」
今から数えると60年前の話だが、筆者が初めて『アーロン収容所』を読んだのは40年近く前だから、戦後まだ20年近くしか経っていない。南アフリカでの人種差別の経験がまだ生々しかった時だから衝撃的だった。