執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

日銀の量的緩和策の継続をめぐって日銀と政府・自民党のさや当てを演じている。前者が「消費者物価指数がプラスに転じたら解除したい」と主張しているのに対して、後者は「時期が早い」と牽制する。

財務省の本音は「景気論」ではなく、「金利が上がると国債の消化に不都合が生じる」ということだろう。

量的緩和は、2000年8月に日銀がゼロ金利を解除した後、景気が失速したことを契機に翌年3月に導入された。ゼロ金利解除といっても金利を3%、4%にしたのではない。0.25%にしたにすぎない。

金利上昇が景気の足を引っ張るということは誰でも分かっている。だが、そもそもゼロ金利などというものは前代未聞の対策。マクロ経済から見て0.25%だって信じられないくらいの超々低金利。

そのゼロ金利でも景気が浮揚しなかった窮余の策として生まれたのが量的緩和である。お金をじゃぶじゃぶにするとどうして景気を後押しするのかが分かりにくかった。分かりにくいはずである。

そもそも当時はお金の借り手がいなかった。大手企業は過去の借金体質を改善するのに汲々としていたし、金を借りたがった中小企業に銀行は金を貸さなかった。貸さないどころか貸しはがしをしていた。じゃぶじゃぶにして、どういう効果を生むのだろうというのが大方の疑問ではなかっただろうか。

量的緩和は単なるアナウンス効果でしかなかった、つまり「日銀だって景気のことを考えていますよ」ということを内外に声高に知らしめただけのことである。

■国債の大量発行を可能にした量的緩和

ところがこの量的緩和はゼロ金利と相俟って財務省にとっては願ってもない福音だった。売り出した国債が市場を通じてどんどん日銀に吸収されるのだからたまらない。福音どころか“狙い”だったといってもいい。大量に発行される国債は金利上昇の心配なしにどんどんと日銀の金庫に吸い込まれていったのである。

財務省にとっても最大の悪夢は金利の上昇である。700兆円の国債の金利が1%上がると単純計算で7兆円の財政負担となる。5%にでもなると35兆円。40数兆円しかない税収の8割が国債の利払いで消えたのでは財政は完全に破たんする。誰にでもわかる話だ。じゃぶじゃぶのお陰でそれが起きなかった。ありがたい話なのだ。

しかし、金利が上がると財政は本当に困るのだろうか。1400兆円といわれる個人資産は5%で70兆円の金利を生む。その20%の14兆円が源泉徴収で税金として国庫に入る。差し引き56兆円の経済効果は生半可でない。なにしろ日本のGDPは500兆円。そこに50兆円規模が循環する消費が加わったらどうなるか。それにまた消費税もかかるから財政にとってそれこそ大きな福音となるはずである。

■解消に近づきつつある内外価格差

90年代後半以降、日本経済が陥ったのはデフレの落とし穴であった。それは事実であろう。しかし、そもそも論からいえば、1985年のプラザ合意以降進んだ円高による国内価格の是正と考えれば仕方のないことかもしれない。

90年代前半に円高差益の還元が声高に叫ばれたが、消費者にはほとんど差益は還元されなかった。直ちに還元されていれば、90年代後半以降のデフレはなかったかもしれない。時期がずれてじわじわと消費者価格に逆転化されていったと考えれば分かりやすい。

もう少し考えを深めれば、15年間、物価が上がらなかったことになる。これはこれでありがたい話なのだ。半面、国際的には“デフレ”だといいながらも年間数%の物価上昇があった。

15年を振り返ってみると、物価がほとんど上がらなかった日本と普通に上がった海外という構図が浮かび上がる。ここでようやく内外価格差が解消しようとしているのである。