2006年01月18日(水)長野県南相木村診療所長 色平哲郎
 昨年末から現在まで、メディアにマンションなどの「構造計算偽装問題」が取り上げられない日はない。さまざまな分野で日本の「倫理」が崩壊しかけている。
 建築分野に詳しいノンフィクション作家の山岡淳一郎は、偽装問題をこう語る。
「これはシンジケート型の犯罪的行為でしょう。危険なマンションを『売り抜け』ようと企んだ者がいて、加担した施工者がおり、そのための凶器といえる設計 図面を作った者がいた。姉歯元建築士は、凶器を磨くべく末端で動いた。彼の行為が許されるわけではないが、一級建築士が資格を剥奪されるかもしれない危険 を冒して、シンジケートを構想する必然性はない。権限も資金もない。シンジケートはトップダウンで作られます。
 被害を受けたのは住民であり、第一義的な加害者はそのマンションを販売したデベロッパー。欠陥住宅の供給者には、民法上の『信義』に見合う損害賠償か買 い戻しを実行させる筋道、賠償義務とチェック機能の強化とともに医賠責保険のような、事故や瑕疵に備えた保険制度なども充実させなければ、同様の犯罪的行 為は防ぎきれない。信義とは、約束を守り務めを果たすこと。ここを中心に制度を見つめ直す。信義とは曖昧な心の持ちようではなく、経済活動、社会生活全般 を成り立たせる文化的基盤なのです」
 医療の分野でも「信義」という言葉が、いつの間にか軽んじられるようになった。診療の現場では、圧倒的に医師が主導権を握っていて、情報の非対称性が大きい。
 少ない情報しか握っていない患者が、それでも命を預けてくるのは医師が約束を守り務めを果たす「信義」をプロフェッショナルとして保持していると想定し ているからだ。山岡が言うようにここが崩れたら、医療も含めて社会生活が成り立たなくなる。
 だが、しかし……。個別の医療事故訴訟を持ち出すまでもないだろう。医師のなかでも信義の砦は崩れかけている。
 94年に86歳で亡くなった秋元寿恵夫ドクターは、戦時中、「731部隊」に強制徴用されている。そこで人体実験を見聞したことが、秋元ドクターの生き 様に深刻な影響を及ぼした。のちに病態生理研究所を立ち上げ、臨床検査法を確立し、検査技師の教育・育成に心血を注がれた。原水爆禁止運動にも積極的に参 加している。が、常に人体実験の過去が脳裏から離れなかったようだ。
 秋元ドクターは、懺悔の気持ちをこめて『医の倫理を問う-第731部隊での体験から』(勁草書房)を著した。
 その著書のなかで、ロックフェラー財団の医学部長グレッグ博士が46年3月にニューヨーク市のコロンビア大学医学部医学科の卒業式で行った講演を翻訳し、紹介している。
 グレッグ博士は、優秀とされる医学校の卒業生が社会に出て活動する過程で「身中の虫」として常に心せねばならない要素として「うぬぼれ」「地方人気質」 「忘恩」をあげ、これらを病に見立てて「むかしなじみ症候群」と命名。世の中に出てからも「むかしなじみ症候群」には用心しろと警鐘を鳴らしている。
 具体的には「うぬぼれ」とは、その字義のとおり、優秀とされる学校を卒業した者が抱きがちな自己満足感。自信過剰になる一方で育ちのよさ特有の「けだるい無気力」にもつながると述べている。
「地方人気質」とは、狭くて自分の立場に凝り固まる傾向で、コロンビア大学などの場合では「医者としてのそれ、ニューヨーク子としてのそれ、及びアメリカ人としてのそれ、というふうに三重のものとなっている」と痛烈に批判している。
 都会育ちであろうが、井の中の蛙は狭い地方人気質にとりつかれているのだ。
「忘恩」とは、深く物事を考えずに何でも鵜呑みにすることから生じるようだ。
 グレッグ博士は、大学が医学生を教育する総コストに対して授業料は「七分の一以下」と概算し、医学生は大きな利益を享受していると指摘したうえで、次のように語っている。
「この並外れた利益を諸君にもたらしてくれた人々は、いまはすでに親しくことばを交わせる間柄からはほど遠い世代に属している。またこのような計算は、医 師に託したそのあつい信義に対して、いつかは諸君が報いてくれるであろうと期待していた人々に、深く頭をたれて感謝の意を表するのもまた当然であることを 思わせるに十分であろう。
 いわば諸君は賭けられているのだ。それも六対一の勝負で。諸君は必ずや自分が受け取ったものを、のちに社会へ引き渡す立派な医師であることに、多くの人 々が賭けているのであるから、どうか諸君、下世話にいう『馬に賭けても人に賭けるな』の実例にならぬように十分に心掛けていただきたいのである」
 エリート医師を養成するといわれる大学の卒業式で、馬より劣る人間になるな、と言っているわけで、そのシニカルで旺盛な批評精神には脱帽するばかりだ。 日本の国立大学医学部の卒業式で、これだけのスピーチができる「教授」がはたして何人いるだろうか。米国の懐の深さを感じざるをえない。
 さて、秋元ドクターは著書の「あとがき」をこう書き結んでいる。
「ひとりでも多くの若い諸君に、この新刊本(『医の倫理を問う』)と併せて『医療社会化の道標』とを読まれるようおすすめしたい。なぜなら、現在わたくし たちが置かれている社会のありようは、無念なことながら、またもやあの当時に逆戻りしてしまったので、二度とふたたびあのような無法な暴力は絶対に許すま いと、決意を新たにする上でも、これらの書物で当時の状況を正確に知っておくことがどうしても必要になってくるからであり、それがまた本書のしめくくりと してのわたくしの切なる願いともなっているのである」
 この本が、世に出たのは1983年だった。もう20年以上も前なのだが、日本の社会はさらに「逆戻り」の度を深め、抜き差しならない地点にきてしまった感を禁じえない

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