福祉先進地、鷹巣町の出来事
2006年02月20日(月)長野県南相木村診療所長 色平哲郎
ふだん「政治」なんて遠い世界の話、と感じている人は少なくないでしょう。しかし、衣食住はじめ生活のすべてが、じつは政治の動きと密接に結びついています。
政治が遠く感じられるのは、何かが起こらなければ、その大切さに気づかないほど、わたしたちの感覚がマヒしているからでしょう。
秋田県に「鷹巣(たかのす)町」という小さな、けれども福祉の最先端をゆく町がありました。日本で初めて「個室&ユニット型」の老健施設を建てた町です。以下、浅川澄一・日本経済新聞編集委員の記述から引用します。
『始まりは、1991年に岩川徹町長が誕生したときである。新町長は就任直後に、町民の声を聞いて回る。「住民からは老後の不安が最も多かった」。翌年、すぐにデンマークを視察し、同国に倣って24時間の訪問介護を取り入れる。これが、まず本邦初であった。
デンマークへの視察は、町の職員ばかりか町民も加わる。施設や在宅介護の実情をじかに見たり、体験を重ねた。これが、ワーキンググループという町独自の住 民参加運動につながる。50人以上の住民が、様々な高齢者ケアについて、提言し、時には実行者になるのがワーキンググループだ。(中略)
ハードばかりではなく、介護の現場のソフトも利用者の立場に立った柔軟な仕組みを導入した。看護師も作業療法士もヘルパーと同様におむつ交換に入る。入居 者の要望にあわせて職員が動く。起床から食事時間など利用者に合わせる。職員の動きやすいような取り決めではない。施設運営では珍しいことだった。職員数 も、国基準の3対1から、できるだけ1対1に近づけようと、2対1は切っていた』
これほど進んだケアを行っていた町が、03年に行われた「町長選挙」をきっかけに一変します。岩川町長は選挙で敗れ、「病院長」が新しい町長となりました。病院を経営している人だから、さぞかし医療や福祉に対して進んだ考えをもっているだろう、と思いきや、とんでもない。
「福祉で全国一にならなくてもいい。身の丈にあった福祉で十分」とこれまでの町の方針を頭から否定するのです。そして、元気な老人のためのミニデイサービ スの予算が削られて廃止されます。町のなかにあったグループホームも閉鎖。町は広域合併で「北秋田市」となるのですが、全国に先がけて「虐待防止」を宣言 した「安心条例」も、05年9月の議会で廃止されてしまいます。
「条例があると、介護者の負担になる」というのが、その理由。国会では「高齢者虐待防止法」が成立し、国をあげてお年寄りへの虐待をやめましょうと呼びかけるようになっていただけに時代に「逆行」する決定といえるでしょう。
さらには福祉の町・鷹巣のシンボルだった「ケアタウンたかのす」が、町からの予算を削られて、現場のリーダーだった有能な人材が次々と退職へ追い込まれました。
あっというまに鷹巣町は、十数年の歳月をかけて築いてきた福祉、ケアの財産が消えてしまいました。建物でも、ケアのしくみでも、築きあげるには長い時間 と、大勢の努力が必要です。かんたんにはいきません。でも、壊すのは一瞬でできてしまいます。いったん壊せば、再生するのは至難の業です。
政治の世界は、ある意味で壊したり、つくったりのくり返しで成り立っています。重要なのは「誰のために、何を目的として」それを行うか、です。
鷹巣町の岩川前町長は、最初に町の人々の意見を聞いて回っています。一般の町民が何を求めているか、真剣にさぐっています。「町民のために」という気持ち がはっきりしていました。聞き取りを行った結果、「老後が不安」という切実なニーズに行き当たります。ならば、その声にこたえようとして全国有数の「オン リーワン」といえるケアの町をつくったのです。
かたや、病院長の新町長は「身の丈」つまり、町の財政に応じた福祉でいいと断言しました。この発言そのものは、さほど問題はないように聞こえますが、安心 条例を廃止するに当たって「介護者の負担になる」とホンネが出ました。介護をする人たちは、強い援軍と感じるかもしれませんが、「介護者の負担を減らすこ と」が介護の目的なのでしょうか。誰のために介護は行われるのでしょう。介護現場はケアをする側の都合で左右できるものではありません。介護をしている人 も、いずれ歳をとれば介護を受ける側に回ります。
介護を受ける高齢者の満足度が少しでも高まらない限り、ケアを行う側の過酷な労働条件も向上しないのです。
とかく病院の経営者は、医療を行うのは医者の仕事。素人の患者はつべこべ言わずについてきなさい、といった態度をとりたがります。しかし、そのような傲慢 な態度に国民的な反発が高まり、医療紛争が次々と起きるようになりました。患者さん、あるいは介護を求める高齢者と、同じ目線に立たなければ「明日」は見 えてきません。
鷹巣町の出来事は、いつ、日本ぜんたいの運命に重ならないとも限りません。
いま、「医療制度改革」や「診療報酬改定」など、医療の根本的なしくみの変化にまつわる記事が新聞紙面をにぎわしています。高齢者への医療費負担が増える 一方で、小児科や産婦人科など医師のなり手が少なくて困っている分野には少し手がさしのべられてきたようです。ひとつひとつの細かい決めごとを一度で理解 しようとするのは難しいことです。医療の専門家でも完璧に理解できている人は少ないでしょう。
ただ、難しい制度の話も「誰のために、何を目的に?」というソボクな疑問を持ち続けながら読めば、案外、新しい発見があるのではないでしょうか。
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