中田英寿にメディアが敗北した日
2006年07月08日(土)萬晩報通信員 成田 好三
2006年7月3日は、日本のメディアにとつてはあまりにも屈辱的な日として記憶されることになるだろう。
その夜、どのメディアにとっても無視しようながいほどの重要情報が流れた。情報源は唯ひとつ、本人が発信したホームページだった。
メディアは、情報の本人確認ばかりではなく、周辺情報の取材さえできなかった。メディアは、通常ではニュースにしない段階でその無視しようもない重要情報を紙面化、TV映像化しなければならなくなった。
7月3日夜に流れた重要情報とは、ドイツW杯日本代表、中田英寿が本人の公式ホームページ「NAKATA.NET」に掲載した現役引退表明だった。
中田は、W杯日本代表の中心選手であり、サッカー選手の海外進出のさきがけでもあり、最も人気と関心が高い選手である。
そんな有名選手が、日本代表が1次リーグで敗退した直後の、W杯決勝トーナメント開催期間中に、突如として現役引退を表明した。どのメディアも無視できるはずもない。しかし、情報は中田本人の公式ホームページに掲載された長文の現役引退表明文だけである。
翌4日の新聞は、例外なく中田の引退表明を大々的に取り上げた。読売と朝日は1面、スポーツ面、社会面で大きく紙面を割いた。ともに、スポーツ面に中田の引退声明文の全文を掲載した。経済専門紙である日系もその要旨を載せた。
翌4日朝、TVのワイドショーもこの話題一色に染まった。フジのワイドショー「特ダネ」は中田のホームページの画面を映像化し、長文の声明文の全文を朗読した。
中田の引退表明にあたって、メディアの対応で筆者が注目したのは声明文の全文掲載と全文の朗読である。
メディアにとっては、本来、本人の引退声明文などは素材のひとつにすぎないものである。重要な素材ではあるが、それをもとに本人や本人の周辺への取材を重ねた上で紙面やTV番組を構成することが、当たり前のことだった。
しかし、本人からも周辺からも取材できず、唯一の情報をもとに紙面化、番組化しなければならなくなった。ならば、唯一の情報である声明文を全文掲載(朗読)するしかしか、手段がなかったといえる。
中田のメディアの関係は、長くぎくしゃくとしたものだった。メディアにとっては、日本のスポーツ選手で最も成功し、最も注目と関心を集める選手である中 田は、継続的に取材しなければならない、重要な取材対象者だった。しかし、中田は、メディアの素材であること、勝手に加工される取材対象者であることを拒 否してきた。
中田は、彼の最重要決断である現役引退表明にあたって、メディアに対して完ぺきなまでに情報をコントロールしたといえる。 「俺のことを書きたいなら、 俺の書いた声明文を読め。そこにすべてが書いてある。声明文がすべてだ」。それが、中田が発したメディアへのメッセージだったろう。
メディアはホームページを読める一般人と同じ情報をもとに、紙面を、TV画面を構成するしかなくなった。中田の引退表明に関しては、メディアはその特権的立場を失ったことになる。
2006年7月3日は、日本のメディアが中田英寿に敗北した日として記憶されることになるだろう。(2006年7月5日記)
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