歴史の潮流と米外交の変化
2006年12月04日(月)Nakano Associates シンクタンカー 中野 有
米国の中間選挙の結果が示すように、米国民はイラク戦争の失策を認知すると共に何とかイラクの安定と平和へのシナリオと出口戦略を探求しいる。
ジェームス・ベーカー(共和党、元国務長官)とリー・ハミルトン(民主党元議員、ウィルソンセンター所長)が中心となり米国の超党派の叡智を結集させた イラク研究グループ(ISG)の会合がウィルソンセンターにて開催された。非公開の会合なので会議室に入ることが出来なかったが、会議室の外から全米が注 視する会合の熱気を感じ取ることができた。
数日中に報告書が発表されるとのことだが、現時点で新聞等で報道されているイラク研究グループの考察は実にシンプルなものである。
第1は、共和党も民主党も米軍のイラク撤退を模索しているが、その日程に関しては、戦略上から設定を渋っている。しかし、大統領選に向けた国内政治と外交政策の関連から2008年初頭に向けた米軍撤退の可能性が高い。
第2は、米軍の軍事目的を攻撃部隊からイラク軍へのアドバイス、トレーニング、後方支援にシフトさせる。
第3は、イラク研究グループに招かれたキッシンジャー元国務長官がワシントンポストのコラムにて「イラク戦争に関しては、米国の軍事的勝利も軍事的解決もない」と簡潔に述べている。
第4は、米国はイラク戦争で3000億ドル(36兆円)を既に浪費し、毎月80億ドル(1兆円近く)を費やしている。これは予測を遥かに超える額である。
第5は、米軍の先制攻撃の責任とイラクの市民戦争を静めるために、治安維持、復興支援のための資金的協力は不可欠である。
米国の崇高な叡智が結集されてもこの程度の妥協の産物しか生み出されぬ現実に接し、表層的な現実のみならず歴史の潮流の視点で、米外交の変化を考察する必要があると考えられる。
英国の歴史学者アーノルド・トインビー(1889-1975)の文明の衰退、ロシアの経済学者ニコライ・コンドラチェフ(1892-1938)の景気変 動のコンドラチェフの波、そしてキリスト教とイスラム教の衝突と融合の3つの側面より現在の米国の外交政策を照射してみることとする。
第1、トインビーは、一つの文明の盛衰は800年周期であり、西洋文明と東洋文明とが相互に交替を繰り返しており、例えば、紀元前4世紀―紀元5世紀に ギリシャ・ローマ文明が興隆し、13-20世紀は大西洋文明の時代、そして21世紀はアジア文明(太平洋文明)の時代が到来すると文明盛衰説を唱えてい る。米国が太平洋を挟み中国、インド、中東に目を向けるのはアジア・太平洋文明への憧れだと読み取れる。
第2、コンドラチェフの波。1922年、コンドラチェフは、約半世紀のサイクルで戦争、技術革新、通貨供給、エネルギー資源供給のサイクルで景気が変動 するとの仮説を立てている。国家の命運をかけた戦争は、破壊と創造から技術革新への貢献を果たす。エレクトロニクス、プラスチック、原子力開発の技術革新 の主流は、第二次世界大戦の結果生まれた。
1944年の通貨安定のブレトンウッズ体制は、1971年のスミソニアン体制に取って代わり通貨の安定が失われた。しかし、冷戦後、軍事・経済面での両 方において覇権体制を確保してきた米国は、通貨供給量を調整することで経済成長を維持させてきた。
イラク戦争の米国の浪費36兆円は、皮肉にも中国、日本、韓国等の国債で賄われている。このようなことが可能なのは、通貨供給量の本質的な調整能力を有する米国のパワーにあると考えられる。
冷戦で敗退したロシアが石油・天然ガス価格の高騰の恩恵で覇権体制を急速に回復している。ロシア、中東の資源国が、エネルギー安全保障戦略を通じた国際 情勢の変化を導いている。コンドラチェフの長期サイクルがグローバルな規模での地殻変動を演出しているようにも映る。
第3、キリスト教とイスラム教の対立と融合。キリスト教は、ユダヤのヘブライズムとギリシャ・ローマの西洋的なヘレニズムが融合して生まれたとの見方が 正しければ、2000年前に既に異なる文明の融合が実現されていたことになる。20世紀初頭、アメリカ人がキリスト教の教えを全く知らないインドの奥地を 訪れた時、キリスト教と類似している生活様式をしているインド人を見つけ、明らかにキリスト教の源流は東洋にあるとの見解を示している。
文明の衝突の論議もあろうが、人間の性(性善、性悪)は、衝突と融合の繰り返しで起こり、最終的にヒューマニティーが調和をもたらすと考察される。イラ ク戦争は、米国のキリスト教とイラクのイスラム教の衝突である。この二つの一神教の調和には時を要しようが、キリスト教自体がヘブライズムとヘレニズムの 融合で生まれたものであるとすると、同じ流れの中にあるキリスト教とイスラム教の調和と融合は確実に実現されると考えられる。
米国が第二次世界大戦に関わった期間は3年8ヶ月である。イラク戦争はそれを超えた。軍事力、経済力、生産能力の面で勝利できるはずの戦争にうろた え、出口戦略さえ見出せない米国は、米外交戦略の修正が問われている。米国の伝統的な外交戦略は孤立主義である。米国の自由、民主、個人主義の価値観を守 るために、米国の外交政策は、孤立主義、現実主義、国際協調主義、覇権主義と国際情勢の変化と地政学的動向により適合されてきた。
今日、ポスト冷戦、或いはコールド・ピース(冷たい平和)の中で、米国の軍事予算は年間50兆円を超え、これに軍人の年金、イラク戦争、核開発を加える と80兆円と言われている。日本の国家予算に等しい米国の軍事費は、異常であり、米国のハードパワーと世界の警察官としての米国の限界が見えてくる。
イラク戦争の失策が米国への孤立主義への回帰を呼び起こすことを危惧する。第一次世界大戦後のベルサイユ条約で米国のウィルソン大統領が国際連盟を提唱 しながらも米国の議会がそれを承認しなく、米国の孤立主義の結果としてドイツのファシズムや日本の帝国主義の蔓延に対する勢力均衡が損なわれた。米国の孤 立主義が外交の真空を生み出し、第二次世界大戦につながったとの冷酷な戦争の歴史を忘れてはいけない。
米軍のイラク撤退は、米国の孤立主義への流れではなく、米国の覇権主義から国際協調主義や勢力の調和(concert of power)につながることが期待される。
ハドソン研究所で開催されたセミナーで、最小の犠牲で冷戦に勝利したレーガン大統領ならイラク戦争にどのような軍事戦略を描いたかの討論があった。レー ガン大統領なら9.11の報復としてアフガンに侵攻するも、イラク戦争に関しては、ブッシュ大統領とは違った戦略を通じ、イラク戦争を回避した可能性が高 いとの専門家の意見があった。仮にイラク戦争を行なう場合、米軍の人命を尊重し、空爆中心の攻撃に留めるか、地上軍を投入するなら一時的に数倍の米軍を編 成したであろうとの見解があった。最も可能性が高いレーガンの戦略は、イラクの親米勢力への武器供与と資金的援助を通じた戦略に徹底したであろうとの意見 があった。この考えは、イラク研究グループが唱えるイラク軍への後方支援に近いように考えられる。
イラク研究グループが3年8ヶ月前に開催されていれば、イラクの市民戦争の悲劇と3000名近くの米軍の犠牲は回避できたと思われてならない。当時、日 本テレビのワシントン支局長の呉さんとイラク戦争回避への可能性を熱く議論したことが懐かしく思い出される。日米同盟に基軸を置く日本は、外交のターニン グポイントに立つ米国へ、キリスト教とイスラエル教の一神教同士の戦いで見落としがちな日本的・多神教的なアドバイスを行なうことが肝要であろう。今、日 本がイラクで苦しむ米国に的確なアドバイスと協力を行なわなければ、将来、日本周辺で北朝鮮等の有事が発生した場合の米軍の対応にも影響するように思われ てならない。
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