いじめ根絶キャンペーンのまやかし
2006年12月06日(水)萬晩報通信員 成田 好三
今回は、誤解を恐れずに危険な「思想」について語ることにする。
いじめよる小中学生の自殺が相次ぎ、文部科学大臣あてに、いじめ自殺を予告する手紙が届いたことで、文部科学省と日本中のほとんどすべての主要メディア が、いじめ根絶キャンペーンをはっている。朝日新聞は、小中学生に影響のある有名人を紙面に登場させ、いじめ体験とその克服法を彼らに語らせ、「いじめで 死なないで」と訴えさせている。
いじめは、悪である。自殺に至らせるような悪質かつ陰湿ないじめは犯罪行為である。
しかしである。社会が一丸になって、いじめ対策をこうじれば、いじめを根絶できるとする、彼らのキャンペーンは理にかなったものではない。いじめは、人 間社会のどこにでも普遍的に存在する現象である。小中学校だけの存在する現象ではない。会社社会にも、地域社会にも、老人ホームにも存在する現象である。 社会の最小単位である家族社会にだって存在する。
小中学校からいじめを根絶しようなどという行為は、社会から犯罪を一掃しようという行為と同じく、実現不可能な愚かな行為である。社会から犯罪を一掃することなどできるはずもない。仮にできたとしても、そんな社会は完全な「警察国家」に成り下がってしまうだけである。
すべての社会に共通する、いじめの構造にはある共通項がある。閉鎖された社会でこそ、いじめの頻度が高まり、いじめが悪質化、陰湿化することである。
いじめは、軍隊や刑務所、かつての学校の体育界系で頻発化し、悪質化、陰湿化した。これらの社会に共通するのは、閉鎖性の極めて強い社会だということである。
彼らがキャンペーンをはるとすれば、いじめの根絶ではなく、いじめの頻度と悪質かつ陰湿ないじめの低減を目的とすべきである。そのためには、閉鎖系の社会を開放系の社会の変革すべくキャンペーンをはるべきである。
小中学校でいじめが頻発し、悪質かつ陰湿化している理由には、小中学生が学校に閉じ込められている現実がある。学校しか彼らが所属できる社会がないからである。
学校しか、彼らの所属する社会がないならば、学校内の序列が彼らの「価値」のすべてになってしまう。彼らが学校以外の社会に所属しているならば、彼らが学校内でいかに疎外されていようと、他に選択する道がある。
文部科学省や日本のほとんどすべての主要メディアは、いじめ根絶キャンペーンをはるのではなく、こう「宣言」すべきである。
いじめは、社会に普遍的に存在する現象である。だから、いじめを根絶することはできない。しかし、いじめの頻度を減らし、自殺に至らせるような悪質かつ陰湿ないじめを抑えることは可能である。
そのためには、小中学校を外との社会とかかわりをもつ、開放系の社会に変えることである。
もっと具体的に言えば、校門を閉めるのではなく、校門を開放して他の社会の人間を構内に引き込むことであり、児童生徒を校門の外の社会に放り出すことである。
学校は文部科学省の決めた学習指導要領の範囲の勉強をするところであり、それ以外の分野であるスポーツや文化活動は学校以外の社会でやればいいのである。
学校内で疎外されたって、学校以外にもいろいろな道がある。かつてのフォーク少年も、ロック少年もみんなそうだった。学校なんて、児童生徒が所属する複数の社会にひとつにすぎない。
そう考えれば、いじめを跳ね返せることはできないにしても、自殺などという極めて非生産的な行為に価値を見いだすことは減るはずである。(2006年12月5日記)
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