サダム・フセイン処刑のインパクト
2007年01月02日(火)NakanoAssociatesシンクタンカー 中野 有
サダム・フセインが処刑される直前、直後から、米国の新聞、テレビ、ラジオの多くが異例の報道を行なっている。本来なら、フォード元大統領の葬儀、2006年の出来事の総括が主流となるはずが、メディアはサダム・フセインの特集を組んでいる。
ベラルなメディアでは、早急な処刑の負の影響力に触れ、イラク、中東問題の解決を遠のけるとの見方を示している。国営放送のVOAは、イラク政府の正当性と各国の影響、とりわけ、欧州の主流の見方は複雑ではあるが、おおむねイラク政府に同調していると伝えている。バチカン、ロシア、エジプト、サウジ、リビアなどは、露骨に遺憾との態度を表明している。フセインの年末の処刑は、ブッシュ政権にとって織り込み済みであったか定かでないが、テキサスのクロフォードに集結したブッシュ政権のブレーンは、2007年のイラク戦略を米議会との調整で困っているように映る。
リベラル、保守、スンニアラブ諸国、シーア派で論調が分かれるが、一つ確かなことは、サダム・フセインの絞首刑の衝撃的な映像がテレビで流され、また、携帯で撮影された生々しい処刑の瞬間の映像がインターネット上で飛び交い、巨大なインパクトを世界に及ぼしていることである。編集されてない生の映像は嘘をつかな
い。これは、インターネット時代の光か影のどちらと理解すべきなのであろうか。
天国から地獄を味わいながらも、最後の最後までサダム・フセインのプリンシプルを貫いた姿は、アラブの伝説として語り継がれよう。夜明け前の寂しい素朴な処刑台、そして生まれ故郷ティクリートの暗闇の中で埋蔵された静寂さは、25年間、大統領としてイラクを統治したサダム・フセインの輝かしい栄光とのコントラストをあまりにも鮮やかに際立たせている。その哀愁は、憎しみを和解させるだけのエネルギーに満ちていると感じるのは、ナイーブな見方であろうか。
スンニとシーアのイスラムの祝日にあたる犠牲祭が、一日違い、スンニの祝日の夜明け前にサダムの刑がシーア政権により執行されたことがスンニアラブ社会に大きな波紋を起こしている。このようなイスラム教の運命の悪戯が、中東の命運を狂わせるのだろうか。或いは、和解の薬となるのであろうか。
サダム・フセインの最後の最後のメッセージから、アメリカ、ペルシャ、スパイに立ち向かうためにイラクの結束が必要との趣旨を読み取ることができる。敵はイラクの外部にあるとの見方は、アメリカやイランの干渉を避け、イラク人の結束を固め、イラクの内戦を緩和させる効力を発揮するとものと考えたい。同時に、国際テロへの活動に新たな種が蒔かれる可能性も心配される。
2006年の最後の世界を席巻させた早すぎたサダム・フセインの処刑は、サダム・フセインの伝説を作り上げ、スンニが中心のアラブ諸国とイラン(ペルシャ)との精神的な分断を深めることになると考察される。サダム・フセインの処刑に関し多くの見方、分析があるが、あえて一つ挙げるとすると、ロシア、中国、北朝鮮など、イラク戦争の恩恵を受けている「恩恵の枢軸」にとって追い風の出来事であり、また、アラブ諸国がペルシャを敵に回すことによりアメリカは「悪の枢軸」の一環であるイランに対しプラスの副作用を被ることになると考える。一国のリーダーの想像以上の俊敏な幕切れは、独裁者を擁する孤立国家北朝鮮にも何らかの影響を及ぼすものと考えられる。
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