一升瓶という酒のスタンダード容器
10年ほど前から「一升瓶」の存在が気にかかっている。酒、醬油、味醂など調味料のリサイクル容器のスタンダードとして定着している。ペットボトルの出現でその出番が減ってきたが、日本酒や焼酎の容器としてはいまだにスタンダードである。
尺貫法はいまや風前の灯と思われているが、おっとどっこい。土地の広さを示す「坪」、部屋の広さの「畳」は平米で示すより日本人の感覚に馴染んでいる。一方で重さの「匁」(もんめ)や「貫」(かん)、そして足の大きさを示す「文」(もん)の意味が分かる人は少なくなった。牛乳もすべてリットル表示ばかりとなった。ところが酒だけは「升」(しょう)と「合」(ごう)が健在、というより、リットルではほとんど通用しない世界である。「一升瓶」という存在があまりに大きいためなのだと考えている。
度量衡や規格の変遷は非常におもしろい。かつて日本家屋の障子や襖そして畳はサイズが規格化されていた。だから家を解体しても別の家屋に流用が可能だった。古障子とか古畳も町で売っていた。これは大変な文化だと思っている。酒も「一升酒」という言葉が残っている。
酒や醬油は元々、樽からの量り売りが主流だった。金持ちは樽で買っていたのだろうが、庶民は酒屋に容器を持参して好きな量だけを入れてもらっていた。だから一升瓶という概念はなかったはずである。明治になってガラス瓶が登場し、だれかが「一升瓶」をつくって酒を売るようになって一升瓶という概念が誕生したのだろうと考えた。それで、いったい誰がいつ始めたのかが疑問となっていたのである。
それが分かったところで「それがどうした」という程度の問題だが、いつのころからか、酒屋や博物館で一升瓶の由来を聞く自分があった。
京都・伏見、大倉酒造の大倉記念館を訪ねたとき、大倉酒造が「瓶詰酒」を初めて売り出したとの説明があった。館長さんに「一升瓶」の由来を聞いたが、「うーん」とうなったきり返事がなかった。
答えは唐津市の宮島醤油のサイトにあった。宮島清一社長が書く「社長ブログ」。1990年発行の『びんの話』(山本孝造、社団法人日本能率協会)を参考に一升瓶”発明”の由来が書かれてあった。
http://www.miyajima-soy.co.jp/ceo/ceo/ceo.htm
ガラス壜が登場するのは明治19年のこと。日本橋の岡商会が壜詰清酒を売り出したのが始まりとされる。以来、壜詰が増え、明治34年(1901)、灘の「白鶴」が人口吹きガラスの一升瓶入りの清酒を発売し、沢の鶴も前後して売り出しているそうだ。
一升瓶は一本ずつ手作りだったから貴重品で、何回も使うという発想は当たり前のことだった。
一升瓶の量産は大阪のガラスメーカー「徳永硝子製造所」の二代目、徳永芳治郎によって達成された。大正11年(1922年)、関東大震災の前年のことであるからまだ100年の歴史はない。徳永兄弟の「血のにじむ」ような努力による技術革新のおかげで、われわれはいま、普通に一升瓶の恩恵にあずかっているのである。
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