ファテマちゃん物語(2)日本へ
リサーチ役は、ストレスクリニックのマネージャー(事務長)サヒーさんが中心になって走り回りました。2日、3日、4日と日が経つばかりで、良い返事はありません。脳外科という高度医療技術を伴った手術は、今のアフガニスタンでは無理だというのです。CTスキャン、MRIもありません。その内「日本でお願いできないのか?」という声が、医療現場からも上がって来ました。赤十字病院、チルドレンホスピタルなどの先生方も、熱心に日本での手術を要請してきました。
ストレスクリニックへ来院する子ども(戦災孤児)は、一日平均30人。頭痛、腰痛などの体痛を訴える子ども、腹痛、湿疹、下痢、便秘などや、ゆううつ障害、統合失調障害など、ストレスが元になる身体系・心理系のストレス障害の子どもをケアしながら、ファティマちゃんへの対応を考える日々を過ごしました。
頭痛がひどく、入学して一ヶ月で退学「頭痛が無くなったら、学校へ来てもいいです」と、先生から宣告されてしまったファティマちゃん。「頭痛がひどくてジッとしていられずに騒いだりわめいたり、ケンカしたり、先生の言うことも聞けなかったんですから仕方がない」母親のマルジアさんは、昨日のことの様に目頭を押さえながら話してくれました。そして「ファティマは自分の名前も書けないし、読めないんです。頭痛を取り除いて学校へ行かせてあげたい・・・。」
アフガニスタンの首都カーブルで、突然に起こった悲劇は多くの人々にショックを与えました。そしてそのエピソードが口コミで、首都カーブルばかりか地方都市へも伝わり、民族の違いをも越えみんなが口々に戦争を呪い、なにもしてあげられないもどかしさを募らせながら、ファティマちゃんに同情と励ましが寄せられました。
ファティマちゃんの一族の、多数の人々も集まり、「日本で手術を!」哀願とその熱意が、さらに高まっていきました。
日本で手術をお願いします! ファティマの命を助けてあげて下さい。もし私の命が必要なら、いつでも差し出します。一族の長老達の必死の哀願に、少しづつ決心が固まり出して行きました。「病院は? お金は? 滞在中の世話は? 食事は?」
「ベストをつくせば、日本人なら応えてくれるはず!」。決心への裏付けはこの一点だけでした。
「アフガニスタンでの手術は不可能」それが分かった以上、日本へ連れて行くしかない。「日本の皆さんに相談して、返事を送ります」ストレスクリニックのスタッフによく説明し、先ずは日本への旅支度をはじめたのです。
早速アリアナ航空へ行き事情を話したところ、快く次の日のフライトチケットを発券してくれました。感謝です!
そして次の日の昼には機上の人となり、インド・ニューデリー経由成田空港へ、帰国は5月13日でした。
取材がくる:これについても後々いくつかのエピソードが発生してしまいました) ⑥上記をクリア出来て、なお費用が適性価格であること。
※ こんな難しい条件をクリア出来る病院なんてあるんでしょうか?誰でもそう感じます。しかしあったのです! 以前から私達のNPO・NGO活動にご理解とご支援を戴いている、文京学院大学大学院人間学研究科教授(医学博士:当時)吾郷晋浩先生のネットワークのご厚意とご活躍から、「国立国際医療センター」へたどり着くことが出来たのです。
近藤院長先生、脳神経外科医長原先生のご紹介を受け、早速レントゲン写真(アフガニスタンで撮影したもの)を元にミーティングを持って下さり、手術までのアウトラインが示されました。
近藤院長先生、原先生は、本当に丁寧にそして「我が子」のごとくに、親身になって相談に乗って下さいました。本当にありがとうございました。①~⑥までの条件は、全てクリア出来たのです。近藤院長先生談話「特別の事とは思っていません」涙が出るほど嬉しく思いました。「是れ師道」というべきか・・・。
原先生談話「ペルシャ語は難しいですね。辞書を取り寄せてスタッフみんなで勉強したんですけどね・・・。」感激でした。本当に有り難うございます。更に、形成外科、耳鼻科、眼科、口腔外科の先生方も参加する大手術になりそうです。しかし、これで医療分野の準備は整いました。
・・・さぁ、次にすべきことは・・・。(アジア戦災孤児救済センターhttp://park22.wakwak.com/~namai-stress/awoa/から転載)