土佐山日記9 虫送りと屋号
7月18日(水)。村の野菜などを売っているバルという小さな店で昼ご飯を食べていると、アカデミーの内野さんもやってきた。四国地方は梅雨明けだと聞いた。ここらでは昨日から夏空が広がっている。真っ青な空と雲、そして山の深い緑のコントラストがいい。
村では祭りが多い。17日は旧暦6月20日、高川地区で虫送りがあった。蝗送りともいい、春から夏にかけて火を焚いたり鉦や太鼓で悪霊を村から追い出す祭りだ。普通はわら人形をつくって悪霊をかたどるのだが、高川では大きなわらじに木の大刀を貫き通したものに笹に人形をくくりつける。大わらじは村の境に立てられて一年間の豊作や無病息災を祈る。大わらじはダイダラボッチを連想させる。そして村人には呪文を書いたお札とビワの葉が配られる。
かつてそれぞれの部落であったが、今では高川だけに残る。高川の虫送りの面白いのはお堂で行われることだ。以前に土佐山に寺がないと書いた。しかし地蔵堂というお堂はあった。ただ僧侶がいない。京都から毎年坊さんを招いて、京都の地蔵盆のように読経に併せて何メートルもある数珠を参加者がぐるぐる回す行事が始まる。虫送りと地蔵盆が合体したものが高川の虫送りなのだ。
お堂は高台にあって部落が見渡せる。家々には屋号があるというのだ。
「区長の高橋さんちは風呂の元。昔、部落に風呂がひっとつしかなかったから」
「向こうの一番高いところが林元(はえのもと)、その下に宮前と花屋でしょ、右に佐古(さこ)、新宅と続いて、中谷、大屋敷(おやしき)。下坂(おりさか)、木戸浦(きとうら)なんて面白い読み方もぜよ。今では小字になっている屋号もある」
「それから小さな道にもみんな名前がついちょった。調べたら面白いぜよ」
なるほど小さな村の小さな部落のさらにその小さい部分にまで固有の名称をつけた時代があったのだ。番地がなかった時代である。近代国家になると面倒だったのかすべてが「何丁目何番地」と番号になってしまった。味気ないことである。