桜の入学式定着は大正期 2005年2月28日
日本の年度は4月に始まる。いつ、どういう経緯で始まったのか。ずっと考えてきた。そんな答えを書いてくれた記事に出会うと嬉しい。やはり同じ問題意識を持った記者がいるのだ。明治期には大学は9月に始まった。政府の会計年度は1月に始まった。そんなばらばらの年度が時間が経つごとに4月に集約されていったことが分かる。度量衡や年度はその国においてもばらばらだった。そして今もばらばら。理由はそれぞれだろうが、統一に向かっていることだけは確かだ。変える勇気がそれぞれの政府に求められる。企業の会計年度も僕が記者になったころにはばらばらだったが、いつの間にか3月決算になってきている。
卒業式や入学式は桜の咲くころで、学校の年度は4月に始まり、翌年3月に終わる。多くの日本人がそう思っているだろう。しかし大正時代後半まで、高校や大学では欧米並みに9月の年度開始が主流だった。
江戸時代の藩校や寺子屋は随時入れた。明冶政府による学制でも、4月が多かったとはいえ、地域や学校によって年度開始はばらばら。特に大学などでは9月の年度開始がほとんどだった。外国人教師の採用で欧州に合わせたからだ。
1886年、政府は会計年度を4月から翌年の3月とした。会計年度は当初、暦年だったが、度重なる変更の末、4月-3月に固定した。理由は不明だが、地租の納期の関係とされる。
この年の変化はもう一つ。陸軍の徴兵検査の届け出日がそれまでの9月から4月に早まった。そうなると、教員を養成する高等師範学校(現在の筑波大学)が9月入学のままでは、同年代の人材獲得で後れをとる可能性が出てくる。
会計年度との統一と軍部との競争の二つを背景に、高等師範学校が1886年に年度開始を4月とし、地方の師範学校もこれにならった。故佐藤秀夫日大教授の研究によると、これが日本の学校が4月から始まる起源だという。
1892年には文部省の通達で小学校の年度開始が4月に統一され、中学校にも拡大。旧制高校や大学は9月開始を続けたが、1920年前後に4月の年度開始が明文化された。
「3月に中学を卒業して9月の高校入学まで半年間を無駄にするのはもったいないという議論が強まった」と渡部宗助国立教育政策研究所名誉所員は4月統一の背景を説明する。
GHQ(連合国軍総司令部)の影響下にあった戦後の教育改革では、欧米に合わせて9月年度開始も検討されたが、教育関係者の多くが4月開始を支持したため、明治、大正以来の伝統が踏襲された。新学期は草木が芽吹く春がふさわしいと日本人は考えるようだ。
国際化を背景に、文部科学省は大学の秋季入学を推進し始めた。しかし、導入したのは国際基督教大学(ICU)や東洋大学、早稲田大学などの[部学部にとどまっている。(編集委員木戸純生)