堀さんの長崎鎮魂の原点
7月、外語大中嶋嶺雄ゼミの先輩、堀憲昭さんの訃報に接した。すぐに堀さんが編集した4冊の書籍を取り寄せた。「死の同心円」「赤とんぼ」「牧師の涙」「立花隆 長崎を語る」。重い気持ちで昨夜ようやく読み終えた。特に「死の同心円」はとても印象深かった。忘れてはならない歴史が僕の心の中で改めてぐるぐる回り始めた。立花隆もまた、晩年、長崎と真剣に向き合っていたことも知った。
堀さんは講談社で定年を迎え、故郷の長崎市に帰り、長崎文献社の編集者となった。帰郷した動機を聞いたことはなかったが、堀さんが帰った理由が分かった。長崎原爆だったのだ。堀さんもまた人生に原点に原爆があったのだ。明日は長崎原爆の日。堀さんありがとう。
FACEBOOK Adam isn’t hereから転載。
堀さんと最初に飲んだ日のことが思い出せません。銅版画家で随筆家(講談社から二冊刊行)の(故)渡辺千尋さんとの関係で堀さんを知り、そして大黒町のうどん屋の店主(故)鳥羽瀬勝さんと繋がったのです。鳥羽瀬さんは「長崎四季彩 鳥羽瀬勝水彩画集」/鳥羽瀬 勝 著 ・ 堀 憲昭 編 長崎文献社 」 を2006年11月 に発行しているので、それ以前に飲んだはずなのです。うどん屋で飲むこともあったのですが…私を除く三人が鬼籍に入ってしまいました。
堀さんは式見出身、私が最期に勤務したのが式見中学校です。堀さんは私が式見中学校に転勤したことを喜び、堀さんの同級生で元長崎県教育長木村道夫さんを誘い3人で飲むこともありました。木村さんとは私が県立美術博物館、県教育庁学芸文化課勤務時代に面識があったのですが、式見繋がりの飲み会でした。
元長崎大学学長の(故)齋藤寛先生を囲む会、通称「齋藤会」は、宿泊を伴うこともありましたが、毎月第4水曜日が定例会で、会場は「レストランBar 猪ノ口屋 」と決まっています。10年以上も続いている会なので、飲んだ回数すら正確にはわかりません。メンバーの齋藤先生、峠さんに続き堀さんまで鬼籍に入るなんて残念すぎます。
明日、堀さんを偲び献杯をします。
