最近、トランプ大統領が王様に見えて来た。中国古代の堯舜のような治世ではなくネロのような暴君だ。確か、司馬遼太郎の「龍馬が行く」で、勝海舟が龍馬に「アメリカでは王様を国民が選ぶんだよ」と教えるところがあったように記憶している。日本にはPresidentという概念もなく、訳語もなかったから、勝海舟はアメリカのPresidentを「王様」と訳した。もちろん小説であるから、司馬遼太郎の創作である。

 どこかの本だか忘れたが、アメリカ建国の歴史の中で、ワシントン将軍に向かって「閣下、即位を」と進言したことが書いてあった。合衆国が誕生する前、都市国家的なところ以外に、共和制の国はなかったから、統治者は王を名乗るのが常識だった。ところがワシントンは「わしは王にはならない」と言った。アメリカ建国の父たちは「憲法」をつくって、その統治者を市民が選び、その権力者をPresidentと命名した。

 ナポレオンはフランス革命後の混乱を収拾して、大統領に選ばれ、その後、選挙で皇帝に就任した。もちろん世襲制ではない。市民が皇帝を選ぶのだと知って驚き、勝海舟が龍馬に教えたアメリカの大統領制の話は理屈に合っていると合点したのだ。

 それ以来、僕は、アメリカの強大な権力を持つPresidentは「任期制の王様」ではないかと考えて来た。そんな任期制の王様が存在する国がないわけではない。マレーシアである。地方に君臨してきた9人のサルタンを5年交代で順番に王様に任命する制度である。なるほど、すごい発想をする国もあるのだと感心した。