男爵イモは、高知市出身の男爵、川田龍吉が函館どつくの社長時代に留学先のイギリスから持ち込んだじゃがいもの品種。自らの農場で育て、近所に配ったところから広がり、誰彼となく「男爵いも」と呼ぶようになった。その発祥地、函館市郊外の七飯町にTHE DANSHAKU LOUNGEが誕生。男爵の所蔵品を展示しているが、男爵が横浜どつくの社長だった1902年にアメリカから輸入し、愛用していた蒸気自動車は日本のマイカー第一号だった。今でもエンジンは動くそうだ。日本で運転免許制度が生まれたのは1907年だったから、男爵は「無免許」で運転していたことになる。
 土佐人は高知では大した事業を残していないが、函館では神田のニコラス堂をつくった沢田琢磨を含めて大きな存在感を残している。ちなみに龍吉の父親、川田小一郎は土佐藩士、岩崎弥太郎の片腕として三菱創建に尽くした人物で、男爵となり第三代日本銀行総裁となった。小一郎の長女、鈴は男爵芝小路豊俊の妻となり、その長男の芝小路豊和は、朝吹英一、原田敬策(男爵原田熊雄の長男)、朝比奈愛三(雪村いずみの父親)とハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」として活動していたというから面白い。