ホンダと日産が本格的な提携交渉に入ったというニュースが19日広がった。三菱自を含めて年産800万台規模のグループが形成され、トヨタ、フォルクスワーゲンに次いで世界第三位になるという。毎日新聞の特ダネで、新聞各紙が20日、トップ級で後追いした。ここ10年、元気だったのは電気自動車でトップを走るアメリカのテスラだった。中国の電気自動車メーカー、BYDもテスラを猛追、今年は400万台が確実視され、台数でホンダ、日産を追い抜く勢い。

かつての日本経済は半導体、太陽光パネル、電池で断トツのトップだった。今は見る影もない。NECも富士通も官需頼りの企業に成り下った。三洋電機はパナソニックの傘下に、そしてシャープは鴻海に買収された。ここ20年、自動車産業だけが日本を牽引してきたが、その一角にも大きな影が差してきた。日産は21世紀に入ってフランスのルノーと提携、ゴーン社長によって経営が急回復した。電気自動車で世界の先陣を切ったのも日産だった。何が日本自動車をおかしくしたのか。実は世界の自動車生産台数で第三位は韓国の現代自動車グループ。世界中の国々で走っている現代自動車を日本の道で見ることはまずない。筆者はこのことをずっと指摘してきた。1980年代、現代自のポニーがアメリカに輸出され、カローラの地位を冒していることを知り、記事にしたことがある。日本の自動車関係者に話を聞くと、ぼろくそだった。途上国の自動車に日本が負けるはずもなかった。

実はホンダと日産の提携の陰にあるのは鴻海だった。日産に株式取得を交渉したが、失敗、現在、ルノーとの間で株式譲渡の交渉をしているのだ。日産がホンダに泣きついた背景にそんな危機感があった。たぶん経産省が裏で動いていのだろうと思う。60年代にホンダが四輪車に進出する時、大反対したのは当時の通産省。その後、ホンダが四輪車でも世界的メーカーになった。だからホンダはその後の半世紀以上、独立独歩の姿勢を貫き、世界的な自動車メーカーの再編とは無縁にあった。ホンダの強みはまさにこの独自路線にあったはずだ。

日産は戦前の鮎川義介がつくった日産コンツェルンに端を発する。60年代にプリンス自動車と合併して、その基礎をつくった。合併の背景には通産省がいた。一時代「技術のニッサン」をうたい文句にできたのはプリンスの技術だった。富士スピードウエイでスカイラインGTRがポルシェとの死闘を繰り返したのは伝説である。そのニッサンが第二の危機を迎えているのは、たぶんその官僚的体質にあるのではないかと思っている。

ホンダとニッサンの提携は実は「ホンダによる救済」というのが大方の見方であろう。ニッサンの技術者の逃亡はすでに始まっているかもしれない。鴻海のEV最高責任者は元ニッサンの関潤氏である。